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ルーティンと適応進化


 今年最後のコラムとなりました。いつも、覗きに来ていただいている方、たまたま迷い込んでしまった方、今年もありがとうございました。じつは、訳あって三週間ほど規則正しくルーティンを重ねる生活をしていました。じつは、ルーティンを持つことと、「みらいのミカタ」は大いに関係があると気付いたので書いてみます。

アスリートのルーティン

 みなさんは、ルーティンと聞いて、どんなことをイメージするでしょう?少し前にラグビー日本代表で活躍した五郎丸選手の、手のひらを前に出して二度手を振る動作は、とても話題となりました。あれは、単なるパフォーマンスではなく、必要なルーティンだったはずです。

ウェブサイトより引用

 あのルーティン誕生に関わったスポーツ心理学者の荒木香織氏によれば、ルーティンとは「いつ、何のために何をすればいいのか」を明確にして、その選手に合う動きを見つけることであり、彼の場合は、理に適った動作を見つけるために、ほぼ三年を要して出来上がったものだそうです。
 つまり、いろいろな取り巻く変化のノイズに影響されることなく、自分を客観的に観るための動作ということなのです。イチロー選手も打席に立つと独自のルーティンがありました。彼らのような天才アスリートであっても、単に才能の有無ではなく、自分の基準点を常に定められるように努力をする結果、ルーティンを持っているのですね。

退屈さを越えた先のルーティン

 一方、ルーティンという言葉のイメージとしては、「定型」という意味合いから、退屈そうだったり、考えなくてよかったり、というネガティブなものもありますよね。
 私の三週間も、朝六時の体重測定に始まり、夜は九時に消灯、その間も毎日決められたスケジュールに委ねて時を刻んでいく日々であったことに相違ありませんでした。「これを、いつまで続ければいいのだろう?窓から見えるヒルズの高層ビル群の中では、千変万化の環境の中で、多くの人たちが仕事をしているだろうに」と、当初は感じたのも事実です。
 しかし、数日を経て日々の定型が自分のリズムとなる頃から、私の心境は変わりました。それは、時々生じるイレギュラーに対する感度が上がっていることに気付いたからです。
 イレギュラーというよりも、微細な変化と言った方が適当かもしれません。自分の体調にも、周囲の環境にも、見渡す景色の中の木々の色、葉の落ち方にも、これまでとは格段の差を持って感じる自分に気付きました。これは、明らかにルーティンが暮らしのリズムに染みこんだ後の出来事です。

客観基準を身体化するルーティン

 アスリートは、めまぐるしく変化するプレー環境の中で、自分の基準を的確に客観的に確認するためにルーティンが機能しているということでしたが、その客観的基準の身体化ということは、アスリートのみならず、誰にとっても大切なことかもしれません。
 変化やノイズが氾濫する高度情報社会の中で生きる人間として、そういう環境変化への感度が麻痺している、いや、麻痺させないと生きづらい社会において、人間としての環境への感度を鈍らせてしまうことは、豊かな未来をみる上で、大きな損失になると思うのです。
 みらいのミカタには、人それぞれの感度の基準が大切なことは言うまでもありません。そのセンシング感度こそ、ウェルビーイングのポテンシャルだと感じています。そうならば、私たちは、せわしない、情報洪水、ノイズだらけの社会の中で、暮らしのルーティンを大事にすることが、SINIC理論で予測された間近の人類史的パラダイム・シフト、自律社会に向かうための大きな要件になるはずです。

未来を感じるための「進化思考」

 そして、”みらいをミル”感度が上がると、次に何をすべきかもミエてくるわけです。自律社会の兆しをとらえて、それを先駆ける準備もできるわけです。
 さらに、先駆けの先にあるのは「選択」と「適応」ではないでしょうか。私が会った瞬間に「この人は未来人だ」と感じた多くの人々の中の一人に、太刀川英輔さんがいます。彼も、SINIC理論の共感であり、未来ソウゾウの同志であり、一方的ですが未来時間豊かな若い友人です。

 その太刀川さんの優れた著書『進化思考』は、分厚い本でありながら、グングン引き込まれて読んでしまう、素晴らしい創造的人類社会の基本原理と可能性を示してくれる書でした。最近、全面改訂した「増補改訂版」も上梓されて、ますます密度の濃い内容となり、本書の第三章にはSINIC理論も紹介されています。みらいのミカタに感心のある方には、ぜひ、手に取って読んでいただきたい一冊です。
 彼は、生物の進化に学び「変異と適応」、「変異と選択」、つまり「適応進化」こそ生き残るコンセプトであるという視座から、未来への適応進化について彼の研究成果が述べられた大著です。

未来への適応進化へ

 もう賢明な読者のみなさんは、今回のコラムの落とし所に気がついたでしょう。私は、未来に生き残るための生物戦略は「適応進化」にこそあると確信しています。
 私が一念発起して、仕事をしながら大学院で学ばせていただいた西山賢一先生からの学びも、そこにありました。生きものである以上、適応進化が未来を創ってるのです。そう考えています。

 だとすると、これまでとは非連続な未来を間近に控えた私たちは、なおさらのこと、未来への選択の準備を積極的に行い、未来への適応進化を果たすことこそ、よりよい、より豊かな未来社会をつくることにつながります。
 そして、そのためには、生きものである人間としての変化への感度を磨く必要があり、それを生成する基底となるのがルーティン、すなわち、基準の設定だと思うのです。今だからこそ「ルーティン」が人間に大事になっています。それに気付いている人たちは、ビジネスよりも、自らと闘い葛藤を越えようとしているアスリートやアーティストのみなさんが先行組のようです。
 まだ手遅れではありません。私たちもルーティンの価値に目覚め、未来への適応進化を遂げようではありませんか。
 
ヒューマンルネッサンス研究所
中間 真一


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