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風土と手仕事を楽しむ、ゆとりある未来


未来の兆し探しの場

 未来の兆しは、どこに行けば探せるだろう?「最先端は大都市のド真ん中でこそ見つかる!」という人もいるだろう。確かに、"新しい何か"は、その時代の中心となる場から生まれることが多いはずだ。
 しかし、未来は全く新しいものばかりとは限らない。故きを温ねてこそ気づける未来の兆しもある。そして、それらは大都市のド真ん中からは見つけにくいのが常なのだ。

いざ、日本の生まれた出雲へ

 というわけで、日本の始まりの地へと未来を感じる旅に出かけた。出雲縁結び空港の到着口から出た途端、久しぶりの知人に声をかけられるなど、到着直後から縁結びパワー全開ぶりに驚いた。
 出雲と言えば古事記や日本書紀など神話の舞台、日本のルーツである。そして心の時代という未来を想像するのに最適な地だ。空港から、まずは毎年十月十日に全国から八百万の神々がやってくるのをお迎えする、国譲り交渉の場でもある稲佐の浜へ出かけた。

稲佐の浜 筆者撮影

 雲と水平線が融け合う彼方を浜から眺めていると、不思議にも向こうから神々がやってくるような気配を感じる。お決まりのとおり、浜の砂を持参して出雲大社に詣でておみくじを引くと、なんと「第一番」という札で、日本のルーツの社で第一番のおみくじで幸先良いスタート。一路、石見銀山の群言堂に向かった。

未来を感じに群言堂のある街へ

 群言堂の理念、取り組みには、生活文化研究という私の立場もあり、以前よりずっと関心を持って注目してきた。群言堂を営んできた松場登美さん、大吉さんのご夫婦も、ぜひとも一度会いたかった方々だ。
 今回の訪問旅は、経済学者宇沢弘文氏の娘として、「社会的共通資本」の認知や実装を拡げるべく宇沢国際学館の代表を務める占部まりさんから、「群言堂で座談の企画があるんですけど、行きませんか?」と声をかけていただいたおかげで実現した。
 石見に近づくと共に、民家の石舟瓦の屋根の民家が道の両側に続くようになる。それぞれの家の時間の積層を感じさせる、赤茶色のグラデーションをなす瓦が光を反射して美しい。

石舟瓦の美しい屋根のまちなみ 筆者撮影

 群言堂のあるのは、島根県大田市大森という人口およそ四〇〇人足らずの小さな街だ。狭いけれど瓦の破片がモザイクのように埋め込まれた美しいアスファルト道路を挟んだ谷あいの街である。
 その通りに入った途端、何かゆたかな時間が流れ、観光地然とした賑やかさとは違う気配を感じながら小雨交じりの中を散歩した。
 テーマパークのような施設っぽさが無い。懐かしさの中にも人が暮らしを営む生身の人気(ひとけ)がある。銀山があって天領であったために立派な代官所もあるなど、文化資本が暮らしの時空間のゆたかさを支えている。

群言堂という場と人

 その通り沿いに店舗の群言堂、そして宿の他郷阿部家がある。群言堂は、服や暮らしの小物の品々が並ぶ、根のある生活文化を提案するお店だ。
 なぜ、この山の中に、この生活美学が成立するのだろう?という疑問は愚かだ。この山の中だからできる生活美学だ。奇をてらうことなく、自然に心地よく美しい。
 やはり、”総本山”という場の力は、宗教だけでなくビジネスであっても、段違いの深さと広さと大きさを感じる。

筆者撮影
筆者撮影

 この地で生まれ育った松場大吉さんが、登美さんとの結婚の後に、この地に戻って家業の呉服屋を継ぎ、登美さんが古い端布をパッチワークして小物として店頭に並べ始めたことから群言堂は始まるが、こつこつジワジワと培ってきた生活の美、丁寧な手仕事、素材を活かすものづくりの文化が積み重なって今に至っているようだ。

筆者撮影

 松場夫妻のたどってきた取り組みについては、登美さんの多くの著作に記されているし、カンブリア宮殿などのマスメディアでも取り上げられているので、ここで詳細には述べない。
 また、今回の登美さん、大吉さん、占部さん他との延べ十時間以上の座談の内容は、雑誌『さんいんキラリ』に特集記事として掲載される予定とのことなので、それを待ってほしい。カメラマンが撮影したよい写真もそこで見ることができるはずだ。ということで、本稿では登美さんや大吉さんと二日間を共にして、じっくりとやりとりさせていただいた中から、最も心に残ったことを、"仕事らしく"まとめてみる。

ビジネス49%、文化50%、理念1%

 先ずは、彼らのビジネスについてである。群言堂の品々は、石見まで出かけずとも、オンラインや三〇以上の全国各地のデパートなどの店舗でも買い求められる。
 やはり、このビジネスも右肩上がりの成長から逸脱することは難しいのだろうか?量を拡大していくしかないのだろうか?この点について、大吉さんはきっぱり明言した。「ビジネスは49%、文化が50%、そして強くて熱い、ぶれない理念を1%、こういう経営は儲けにくい。けれど、こういう経営を続ける」と。
 このことを明言しきれる経営者は、特に上場大企業においては極めて希有の存在になるのが現状の資本主義と言える。サステイナブル経営を頑張って標榜したところで、ビジネス50%、文化49%、理念1%となるのが関の山だ。
 しかし、たった1%の違いであっても、ビジネス>文化、なのか、ビジネス<文化、なのかで経営は大きく変わってしまう。だから、経営者の大切な仕事は「1%であっても、ビジネス<文化、の関係を維持すること」なのだと言う。そして、残る1%の理念は、その大小関係を持続するためにも、強くて熱いものでなくてはならないと言うのだ。
 これぞ文化資本経営の要諦だ。経済的成熟を迎える未来社会の経営理論だと強く感じ取った。そして、良品計画の金井会長と私が話しをした際にも「店舗の出店数はこれからも増やし続ける。けれど、それが目的なのではない」と明言し、さらに「これからのものづくりやものを売ることにおいては風土を大事にしたい」ということも重なった。

 優れた経営者は、未来に向けて文化がビジネスを上回る経営の必要性を心得て、すでにその実践を進めているのだ。

チクチク手仕事の価値とここちよさ

 竈婆こと松場登美さんは、イマドキの言葉で言えば「環境に配慮した製品づくり」、「風土に根ざす生業」、そして「長持ちと循環の生活文化」などと表せるだろう。
 しかし、そんな言葉のすべてを含めて響いたのは「チクチク仕事」の話しだった。彼女は竈婆でありつつ針仕事も大好きらしい。それを「チクチク仕事」と呼んでいた。ちょうど今、チクチクやっていた布を持ってきて見せてくれた。

松場登美さんとチクチク仕事 筆者撮影

 古い浴衣とか手ぬぐい、おむつの柔らかい布に刺し子を施して、襤褸(ぼろ)を生き返らせている。染織家で民藝運動家でもあった外村吉之介は「木綿は人に優しく身を纏い、最後に浄巾(じょうきん)となってその一生を終える。人の一生もそうありたい」という言葉を実践しているのだそうだ。
 そして、このチクチク仕事の効用をいくつかの福祉作業所の人々と共に行っている活動も手がけている。仕事自体も、できあがる刺し子も、両方とものいここちよいのだそうだ。そして、糸から発した仕事を繰り返して価値に仕立て、何度もここちよさを味わうという生き方だ。
 工業社会の急進の中で、なんでもお金で買える利便性を手にした一方、私たちは手仕事を失い続けてきた。しかし、半世紀以上前のSINIC理論の記述の中には、ちょうど今頃の最適化社会、自律社会の特徴として、「貧乏芸術や工芸の復興」という「自らの手でつくる活動価値」の勃興や、「ゆたかな社会における人間の弱体化」への警鐘が述べられている。

 まさに登美さんの「チクチク仕事」は、この未来を先取りしている。決して、周回遅れではなく、最先端のゆたかな暮らしの営みだ。

心想事成人、そして復古創新

 宿泊した他郷阿部家の床の間の軸には「心想事成」という言葉があった。四つの文字の通り、心に想い続けていれば、いずれ人との出会い、偶然の出来事などが引き金になり事が成るという意味だが、登美さんはそれを自分の人生訓だと言っていた。

筆者撮影

 私は、これは未来をつくるということでも同様だと感じ取った。即ち、未来を想い続ければ、共につくる人との出会いや出来事があり、未来をつくることができるということだ。それを信じて、もっと、あたりまえの自然社会をソウゾウしようと改めて志を強くした。
 そして、自然社会とは言え、故きに戻るだけでない。「復古創新」、振り返って歴史を学び、未来への挑戦として進みたい。こんなことを、出雲という歴史の地で、改めて感じた素晴らしい旅となった。

筆者撮影

 旅に誘ってくれた友、旅を共にした友、旅を支えてくれた友、みなさんとの縁を結んでくれた出雲に感謝したい。

 ヒューマンルネッサンス研究所
エグゼクティブ・フェロー 中間 真一


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