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幸せな社会と、人類の弱体化

B.ラッセルとう天才

 バートランド・ラッセル(1872~1970年)という、哲学者、論理学者、数学者、社会批評家、政治活動家でもあるイギリスの天才的な人物がいる。
 本当にすごい人で、アラン、ヒルティの「幸福論」と並ぶ三大幸福論の一つも書いているし、アリストテレス依頼の論理学者としての成果も出し、アインシュタインと共に核廃絶の宣言を出した平和活動家でもある。1950年にはノーベル文学賞を受賞した。

wikipediaより引用

人類の発展を支えてきた「三つの闘争」

 この天才ラッセルの著作『宗教から科学へ』では、人類社会の発展を支えてきた力の源泉としての「人間の三つの闘い」に関する記述がある。

  1. 自然との闘争:人類は生存と繁栄のために、自然環境と絶えず対峙してきた。気候変動、災害、食糧供給などの課題に対処するため、農業の発展をはじめ、化学、エネルギー、様々な分野での技術革新を進め、自然の脅威を克服しようと努めてきて、社会発展を実現させてきた

  2. 人間同士の闘争:歴史上、戦争や紛争は絶え間なく続いてきた。資源の争奪、領土の拡大、宗教的・政治的・民族的対立など、様々な要因から闘争を引き起こし、社会や国家の形成、変革に大きな影響を及ぼしてきた。そのプロセスで社会、技術の発展を遂げてきた。

  3. 自己との闘争:個人は内面的な葛藤や道徳的なジレンマと向き合い、自らの欲望や弱さを克服しようと努めてきた。この、自分の内なる闘争は、自己成長や倫理的成熟に繋がり、個人の行動や価値観を形成する重要な要素とされる。

 これらの三つの闘争は、人類の文明や文化の発展に深く関与していることは疑う余地もない。そして、ラッセルはこれらを通じて人間の本質や社会の構造を分析していた。

SINIC理論とラッセルの「三つの闘争」

 じつは、このラッセルの多くの研究成果の中には、オムロンの未来予測理論「SINIC理論」にも影響を与えていることがあった。
 そのダイアグラムの社会ステージは、まさに現在なのだ。人類社会の発展のステージをトランジション(過渡期)から一段上げようとしている現在進行中の「最適化社会」から、「自律社会」という社会に抜け出ると、人類はこれまでのような葛藤、カオス、闘争を必要としなくなり、弱体化してしまうという予測なのだ。その根拠として、SINIC理論の論文中で、ラッセルの主張を取り上げている。

人類が弱体化する社会?

 確かに、最適化社会の渾沌を抜けると、人間は生命を脅かす厳しい自然環境を克服して生存欲求を満たすべく、知恵を絞り、発展を遂げてきた。それが、自然を制御可能としたり、豊かさを担保したまま調和したりできれば、思考停止に陥る部分は出てくるだろう。
 また、社会(人々)との闘争は、人間関係、権力、資源確保、経済競争などのパワーゲームに伴う対立によるものだ。コミュニケーションにも関係する。
 人類社会は、そこに法律、倫理、文化、市場経済などの社会メカニズムを考え、つくり、解決を図ってきた。
 自己との闘争も同様だ。自由と自律を確保された社会において、人間は何を踏ん張りどころとするのだろう。その足場を失ってしまう。
 ラッセルは、これらの三つの闘争を通じて、人間社会は進化し、発展してきたと述べた。自然、社会、自己との関係における闘争と対処が、文化、技術、価値観、社会組織の変化につながり、人間社会の成長を支えてきたというわけだ。その必要がなくなる。あるいは、それは諦めざるを得ないと感じるようになるのかもしれない。

終わりなき闘争

 私はSINIC理論で未来社会研究をする立場であるが、これらの闘争は、自律社会の到来を迎えても、さらに質を変えて持続するのではないかと考える。
 一つ目の「自然」との闘争、これについて「共生」や「調和」という言葉が踊る傾向にあるが、そもそも人類の生存にとって「自然」は厳しく、統御不能の相手ではないか。先日、カナダの先住民イヌイットの人の話を伝え聞いて「そうだよなあ」と思ったことがあった。
 それは「私たちは、決して自然と共生した暮らしをしようとしているわけではない。自分たちが生きていくために最も合理的なやり方で自然と関わっているだけだ」という意味の内容だった。
 注目の研究者、松田法子さんの「生環境構築史」のレクチャーを受けた時も、人類の生環境構築の歴史は、猛々しい自然からわたしたちが身を守れるようになるための営みの連続であったことに改めて気付かされた。

生環境構築史ウェブサイトより引用

 ヒトのいのちも同様、医療技術がどんなに発展しても、制御可能な領域はごく一部でしかない。そのことは、予期せぬ病を患った誰もが感じることだ。
 「人々との闘争」、「自己との闘争」これらも同様、これらの闘争の勝利でゲーム・オーバーになることはあり得ないだろう。

自然社会へ闘争は続く

 今回は天才ラッセルの「人類の三つの闘争」とSINIC理論の未来との関係から考えてみた。まだまだ、最適化社会のカオスから抜け出せない世界では、ラッセルが言っていたような「3つの闘争」は、終息する気配は感じられない。
 それよりも、生成AIやロボティクス技術、脳科学が予想以上に発展、革新を遂げる中、人と機械の関係の中で新たに生まれる「弱体化」が喫緊の大きな潜在課題であるように感じている。機械は、ますます加速度を増して人への影響を大きくしている。
 俄に、「人間らしくふるまうAIやロボット」の開発も進むが、たぶん、人と機械の関係の発展は、ありがちな「らしくふるまう」レベルの技術とは違うところを目指すものだろう。その先の自然社会の時代を想像すると、そう感じられてならない。SF作家のテッド・チャンの作品などを読んでいても、それをじわじわと感じる。この話も、もう少ししたら書いてみたい。

中間 真一

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