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戯曲「高校野球がうまくても」(前半)

【あらすじ】
 20XX年、日本のとある地方都市に新設された公営の野球場で、夏の高校野球の予選試合の一回戦が行われていた。
 対戦カードは私立立志学園と公立白川高校。吉岡辰三監督率いる私立立志学園はエースの南亮を擁して春の選抜ベスト8まで勝ち上がり、校内外から注目されていた。一方の公立白川高校は、秋に新設されたばかりで、正規部員は4人。あとは他部署の助っ人だった。
 一回表、立志学園は初回から猛攻撃を仕掛ける。1時間で39点の大量得点となった。いけいけの立志学園だったが、試合が経過する中で、ランナーコーチの原田が熱中症で倒れるなど、暑さの中でしだいに体力を失っていく。もちろんそれは守備をしている白川高校の選手たちも同じで、変わらずプレイも緩慢で、改善する余地もない。やがて立志学園の選手たちの中でも、このまま猛攻撃を続けるべきか疑問視する空気が生まれる。
 しかし、監督の吉岡は先の選抜の反省もあり、妥協する様子は一切ない。
 そんななか、それまでベンチ内で沈黙を守っていた新任の女性部長・斎藤あずさが、これ以上のプレイは生徒のためにならないと吉岡監督に進言。しかし、吉岡はそれを素人の意見として突っぱねる。
 ベンチ内の空気を察するかのように、やがて雲がグラウンドを多い、土砂降りの雷雨になる。(ここまで前半)
 試合が中断する中で、斎藤は球場の会議室を借りて、あらためて選手と「このまま本気の戦いを続けるべきか」を議論しようと提案する。
 最初、選手たちはこれまで指導を仰いできた吉岡監督の手前、議論を控えていたが、2年生の向井の発言をきっかけに、さまざまな議論が巻き起こり、最終的にそれぞれが修復不可能になるくらいにやりあう。
 一方白川高校もまた、雨天中断中にベンチ内で話し合いをしていた。
 結果は棄権。不穏な空気の中で肩透かしを食らってバラバラになりかける立志学園の選手たちは、しかし、そんな白川高校の在り方に、忘れかけていたものを取り戻す。(ここまで後半)

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登場人物表
吉岡辰三(43)…私立立志学園野球部監督。
南 亮(18)…立志学園野球部のエースピッチャー。3年。背番号は1。
加藤大樹(18)…立志学園野球部のキャッチャー。3年。背番号は2。
木村健一(18)…立志学園野球部のファースト。3年。背番号は3。
小林智一(18)…立志学園野球部のセカンド。3年。背番号は4。
五十嵐大(17)…立志学園野球部のショート。3年。背番号は5。
岸田圭介(18)…立志学園野球部のサード。3年。背番号は6。
田中直樹(17)…立志学園野球部のレフト。3年。背番号は7。
竹本博美(18)…立志学園野球部のセンター。3年。背番号は8。
柴野佑(17)…立志学園野球部のライト。3年。背番号は9
原田智幸(17)…立志学園野球部の控え選手。一塁側ランナーコーチ。3年。背番号は10。
永井俊之(17)…立志学園野球部の控え選手。三塁側ランナーコーチ。3年。背番号11。
寺西賢三(17)…立志学園野球部の控え選手。3年。背番号は12。
島地哲也(18)…立志学園野球部の控え選手。3年。背番号は13。
佐々木賢(18)…立志学園野球部の控え選手。2年。背番号は14。
向井直人(17)…立志学園野球部2年生。背番号15。ただし優秀なので三年を差し置き、外野で試合に出る。
坂口真一(16)…立志学園野球部の控えピッチャー。2年生。背番号16。

三浦エリカ(17)…立志学園野球部のマネージャー。
斎藤あずさ(32)…立志学園の英語教師であり、野球部長。

辻村隆一(18)…公立白川高校野球部三年。ファーストを守っている。
棚橋茂雄(18)…白川高校野球部三年。サードを守っている。

審判(45)
ウグイス嬢(声のみ)
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序 幕
   舞台は20XX年、日本のとある地方都市に新設された野球場。
   高校球児たちや応援団の活気ある掛け声がどこからか聞こえてくる。
   明転すると、舞台中央に三方向を囲われた三塁ベンチがある。
   ベンチは前後2列で、合計で三〇人ほどが収容できるスペースとなっている。
   ベンチ前には若干のスペースがあり、選手たちはここで円陣を組んだり整列をしたりする。
   また、ベンチの下手側奥には扉があり、球場内部の廊下へ入れる。
   下手の袖近くにはネクストバッターズサークルがあり、次のバッターはここで待機する。
   下手の先にホームベース、上手の先にサードベースがあるが、どちらも舞台袖の先にある(部隊客席からは見えない)。
   舞台客席の方向がフェアグラウンドで、ここで試合が行われる(ここも
   観客にはグラウンドの状況は見えない)。
   また、ベンチの上には観客席があり、立志学園の生徒や保護者、OBらで形成された応援団が応援している(ここも観客からは見えない)。

   ベンチ内では現在、立志学園監督の吉岡辰三は常に下手のホームベースよりに立っている。
   吉岡は試合中ここから指示を出す。
   また、立志学園の選手たちは現在、それぞれのカバンと共にベンチ内に所定の位置を作り(レギュラー選手は前および上手に、控え選手は後ろおよび下手側にに座りがちである)、グラブを磨く、お守りを握りしめる、談笑するなど、しばらく試合前のルーティンを行っている。
   ベンチ内にはバッグのほかに野球用具やお茶の入ったポットなどがあり、ベンチの中央に時計がかかっている。上手の方に部長の斎藤あずさとマネージャーの三浦エリカが座って全体を見ている。
   吉岡、おもむろにベンチ前のスペースに出て岸田に、
吉岡「よし、キャプテン」
岸田「集合!」
   選手たち、吉岡を中心に円になる。
吉岡「今からスタメン発表する」
一同「はい!」
吉岡「一番センター、竹本」
竹本「はい!」
吉岡「二番セカンド、小林」
小林「はい!」
吉岡「三番ファースト、木村」
木村「はい!」
吉岡「四番ピッチャー、南」
南「はい」
吉岡「五番キャッチャー、加藤」
加藤「はい!」
吉岡「六番サード、岸田」
岸田「はい!」
吉岡「七番レフト、田中」
田中「はい!」
吉岡「八番ライト…向井!」
向井「はい!」
   島地、柴田、がっかりした様子。
吉岡「九番ショート、五十嵐」
五十嵐「はい!」
吉岡「ランナーコーチは原田と永井」
原田・永井「はい!」
吉岡「控えもいつでも出られるように、アップしとけ」
補欠の選手一同「はい」
吉岡「いいか、お前らは春のセンバツで甲子園常連の東岡島商業に負けはしたものの、県大会ベスト8まで行った。これは当校七年ぶりの快挙だ。OBや保護者も今年は甲子園に行けるんじゃないかと応援にも熱が入ってる。センバツでは最後に逆転を許したが、夏は最後まで油断せずやり抜くこと。いいな!」
一同「はい!」
吉岡「よし、その息だ」
岸田「みんな、ノックの準備な」
一同「はい」
   一同、ベンチの所定の位置に戻る。
   向井と島地、視線が交わされる。少し気まずい空気。
島地「(肩に手を乗せ)俺の分まで頼むぞ」
向井「はあ」
五十嵐「俺、卒業までにこの球場で一度やってみたかったんだよね」
小林「中の設備すごいな」
木村「ブルペンとか、プロばりだな」
永井「会議室もあったぞ」
五十嵐「あんなの何に使うんだろ」
島地「お前の補習用じゃね?」
五十嵐「は、ふざけんな」
   などと試合前の束の間のひとときで談笑する一同。
向井「今日、応援の数すごいすね」
坂口「ほんとっすね」
岸田「センバツでいいとこ行ったから期待してくれてるんだろ」
南と加藤のバッテリー、ベンチの上のスタンドに視線をやり、
加藤「亮。別宮さん、きてくれてるな」
南「ああ。今朝連絡くれた。お前にもよろしくってさ」
加藤「そうか。まあ初戦だ。スカウトの前だからって気張りすぎるなよ」
南「俺はブレないよ。相手が誰であろうと」
加藤「だろうな。にしても……」
   南、加藤、グラウンドを見る。
   グラウンドでは後攻の白川高校の選手がノックをしている。
白川高校の監督(声)「行くぞ」
白川高校の選手(声)「こい」
   打球音が鳴り響く。
白川高校の他の選手(声)「どんまいどんまい!」
   全体的に草野球のようなメリハリがない掛け声だ。
   小林、グラブを磨きながらグラウンドのノックを見渡して、
小林「なあ、五十嵐」
五十嵐「ン……?」
小林「大丈夫か?向こう。そもそも九人しかいないし」
五十嵐「(察して)集中、集中」
小林「ユニフォームあってないじゃん」
五十嵐「どうすんだよ、猫かぶってたら。めちゃくちゃ打撃やばいとか」
   木村、バットを握りしめて、
木村「大丈夫、俺がその分打ち返してやるよ」
柴田「頼もしい」
   佐々木、一同に少し言いづらそうに、
佐々木「実は俺、今朝駐輪場で向こうチームのやつに会ったんだけどさ……」
小林・五十嵐「え?」
ウグイス嬢(声)「続いて、立志学園、シートノックを開始してください」
岸田「よし、いくぞ」
佐々木「あ。後で話す」
一同「おー」
   選手一同、グローブを持って上手、下手から舞台袖へ走って所定の位置につく。
   ノック用のバットを持った吉岡は、ボールの入ったカゴを持つ佐々木と下手へ。
   ベンチの中には、エリカとあずさが残される。
   ややあってグラウンドからは立志学園の選手たちの「お願いします!」「バッチこーい」「ナイスキャッチ」など威勢良い掛け声が響きわたる。
   選手がボールを捕球するたび、スタンドから歓声と拍手が鳴り響く。
吉岡(声)「サード、いくぞ」
岸田(声)「お願いします!」
   あずさ、ベンチの奥の日陰の位置からエリカを手招きし、
あずさ「三浦マネージャー、ちょっといいかしら」
エリカ「はい」
あずさ「野球って、だいたいひと試合何分ぐらいなんでしたっけ?」
エリカ「えっと、試合にもよりますが、だいたい2時間半から3時間ですかね」
あずさ「3時間!こんな猛暑に?」
エリカ「はあ……。まあ、サッカーとかと違って、攻守交代がありますし」
あずさ「それにしても……」
   あずさ、チラッと時計を見る。
あずさ「この暑さで3時間か……」
   あずさ、ハンカチで顔を仰ぐ。
   しばらくして、
ウグイス嬢(声)「立志学園、シートノックを終了してください」
   グラウンドで守備についていた選手一同がベンチ前に戻ってくる。
岸田「集合!」
   選手一同、吉岡を囲んで帽子を取る。
吉岡「いいか。お前たちは去年の夏からこの一年、死ぬ気で頑張ってきた」
一同「はい」
吉岡「相手がどうあれ、死ぬ気でやれ。死ぬ気で勝ち上がって、みんなを甲子園に連れて行ってやるぞ」
一同「はい!」
あずさ「死ぬ気……」
審判(声)「両軍、集合!」
岸田「整列!」
    選手一同、ベンチ前に一列に並ぶ。
岸田「行くぞ」
一同「おー!」
   選手一同、ホームベースのある下手方向へ走ってはける。
審判(声)「両軍、礼!」
選手一同(声)「お願いします!」
   試合開始のサイレンが鳴る。
あずさ「なんか軍隊みたいね……」
審判(声)「プレイボール」
ウグイス嬢(声)「一番センター、竹本くん」
   スタンドから大歓声が湧く。
   暗転。

第1幕 第1場

   明転。
   ベンチの時計の針は13時。
   立志学園の選手一同、「思い切って打っていけ!」「ナイスバッティング」などの声を発しながら、グラウンドに意識を集中させている。
   しばらくあって小林、木村に、
小林「…(少し不安げに)なあ」
木村「ん?」
小林「終わるんだよな?」
木村「何がだよ」
小林「だって、試合開始して一時間で、まだ一回表ワンアウトだろ?」
木村「俺たちが決めることじゃないだろ」
小林「まあな……」
   二人のやりとりに視線が自然と集まる。
   向井、ホームベースにやや身を乗り出して、
向井「あ、ボール球(なのに)!」
   カーンと軽い打球音が響く。
向井「あちゃー」 
審判(声)「アウトー!」
   五十嵐、ベンチへ帰ってくる。
吉岡「何やってんだ。明らかにボール球だろ」
五十嵐「すいませんでした!」
吉岡「気だけは抜くなと言ってるだろ」
五十嵐「はい!」
   五十嵐、小林の隣へ座る。
五十嵐「……」
   五十嵐、少し落ち込んでいる様子。
   またしても小林と五十嵐に視線が集まる。
五十嵐「(気付き)……ん?」
小林「ちっ。なんでもねえよ」
   失笑が漏れ聞こえる。
五十嵐「えっ?」
岸田「次」
小林「あっ、やべ」
   小林、慌ててヘルメットを持って、ネクストバッターズサークルへ。
ウグイス嬢(声)「一番バッター、竹本くん」
田中「タケのやつ、一回表だけでサイクルヒットあんじゃね?」
柴田「一回だけでサイクルとか……」
田中「何回転すんだよ」
   カーンと言う音。
田中「あら」
   サードを守っていた棚橋がベンチ前にフライを取りに来る。
棚橋「オーライ、オーライ……」
柴田「お前が余計なこと言うから、力んちゃったじゃん」
田中「(エラーが)あるぞ、あるぞ」
棚橋「オーライ、オーライ……」
   棚橋、フライを落とす。
棚橋「……あれ?」
   棚橋、見失ったボールを探している。
田中・柴田「……」
   田中、柴田、互いの顔を見合わせる。
小林「……」
   小林、近くに落ちていたボールを拾って棚橋に渡してやる。
   棚橋、帽子をとって深々礼をする。
棚橋「ありがとうございました!」
小林「……え?」
   棚橋、なぜか小林の返事を待つように小林を見ていた。
小林「いや、早く(ボールをピッチャーに渡せよ)」
   小林、顎でマウンドを指し示す。
棚橋「あ。ピッチャー!」
   棚橋、ようやく気づいてボールをピッチャーへ返す。
棚橋「あざした!」
   棚橋、もう一度帽子を取って一礼し、去る。
白川高校の選手たち(声)「ドンマイ、ドンマイ」
小林「ドンマイじゃないよ……」
   カーン、という快音が響き渡る。
田中「センター前……。サイクルは次のお楽しみか」
小林「よし、続くぞ」
   小林、素振りしつつ打席へ。
   と、いきなり打球音。
木村「ばか、初球打ちしやがって」
岸田「ああ……」
審判(声)「アウト、チェンジ」
   小林、ベンチに帰ってきて、
小林「だれだよ、余計なこと言ったの」
木村「(鼻で笑って)ふん……」
   ベンチ、失笑。
五十嵐「行くぞ」
   五十嵐、小林のグラブを渡す。
   南、小林に近づき、
南「だせえことやってんじゃねえぞ」
   南、グラブで小林の尻を叩く。
小林「……悪い」
   出場選手一同、守備につく。
南「どうした、タイキ」
   加藤、キャッチャーのプロテクターをつけきれてなかった。
加藤「この流れでいきなりチェンジになると思ってなくて」
南「ちゃんとしろよ……」
   加藤、急いでホームベースへ。
   吉岡、それを険しい様子で見ている。
吉岡「みんな、全集中だ!」
エリカ「ファイト!一回裏、しまっていこう!」


第1幕 第2場(続き)

   ベンチの時計は13時10分。
   出場選手はグラウンドで守備についている。
   ベンチには控え選手の島地、坂口、柴田、寺西、佐々木と、吉岡、エリカ、あずさ。
   そこへコーチャーズボックスから原田と永井が帰ってくる。
   エリカ、二人にお茶を出して、
エリカ「はい」
永井「サンキュー」
原田「ありがとう」
   原田と永井、お茶をうまそうに一気飲みする。
原田「(深いため息で)ふう……」
島地「大丈夫か?」
原田「ああ。結局何点?」
エリカ「39点」
原田「まじか……」
永井「俺、肩回しすぎて脱臼しそう」
島地「代わってやろうか」
寺西「(永井に)応援に3組の吉田美穂が来てるから」
永井「なんだ、どうりで……」
島地「ばか、そんなんじゃねえよ」
審判(声)「ストライク、アウト!チェンジ!」
永井「え」
   守備についていた選手たちがベンチに帰ってくる。
あずさ「あら、もう終わり?」
原田「(苦笑して)嘘でしょ……」
   吉岡とベンチにいた補欠の選手たち、ベンチ前で守備から帰ってきた選手たちと合流し、吉岡を囲む。
吉岡「走ってるな」
   南、力強くうなづく。
吉岡「いいか。向こうのピッチャーは見ての通り腰が高い。全体的にボールも浮き気味だ。だからって、打ちやすそうだと思って高めのボールには手を出すな。いい球だけ狙っていけよ。どんな時でも一球入魂、ここでの集中力が後から生きてくるんだ。忘れるな!」
選手一同「はい!」
吉岡「よし、岸田」
岸田「はい」
   選手たち、円陣を組む。
岸田「この回点とるぞ、ファイ(ト)」
選手一同「オー」
岸田「ファイ(ト)」
選手一同「オー」
岸田「ファイ(ト)」
選手一同「オー」
   円陣を終えた選手一同、それぞれベンチの所定の位置につく。
   原田と永井、コーチャーズボックスへ。
   原田、日差しを眩しそうに見て、帽子を深く被り直しながら、
原田「ふう……」
   原田の足取りがやや重いようだ。
エリカ「大丈夫かな……」
   心配そうに原田の背中を見送るエリカ。
   エリカ、吉岡を見るも、吉岡は腕を組んで別のことを考えている様子。
   加藤、南に、
加藤「亮、いいな。監督も言ってたけど。変化球も冴えてる。相手にもったいないくらいだ」
南「タイキ」
加藤「わかってる。ただ、この後の試合のことを考えてもいいぞ」
南「大丈夫だ」
   お茶を飲んでいたあずさ、エリカを手招きして、
あずさ「三浦マネージャー、ちょっといい?」
エリカ「はい」
あずさ「確か、こういう場合ってあれよね。コールド試合……?になるんじゃないの?」
エリカ「はあ。でもまだ2回の攻撃ですので」
あずさ「どう言うこと?」
エリカ「コールドは5回で10点、7回で7点と定められています」
あずさ「それより前はないの?」
エリカ「はい」
あずさ「じゃあ、とりあえず5回まで行かないとダメってことね」
エリカ「相手が棄権してこないかぎりは……」
あずさ「棄権すればどうなるの」
エリカ「たしか、これまでの記録は全部チャラになって、9対0のスコアになるはずです」
あずさ「ふうん。詳しいわね。もう勝敗は明らかだと思うけど、それでもやらなきゃダメなのね?」
エリカ「ルールなので」
あずさ「そう」
   あずさ、手元の腕時計を見て、ふいに立ち上がり、
あずさ「ちょっとお手洗いへ行ってきます」
   あずさ、ベンチ奥の扉からスタジアムの内部へ。
坂口「何喋ってたんすか?」
エリカ「コールドについて」
坂口「飽きて帰ったのかな」
島地「あとつけてみろよ」
エリカ「(苦笑)やめなさいって」
寺西「でも、あの人昔トランプにあったことあるって」
島地「トランプって、あのアメリカ大統領だった?」
寺西「うん」
坂口「まじすか?なんで」
寺西「英語の授業で言ってた。うちに来る前に外資系企業にいたのがあの人の売りだから」
向井「へえ。ある意味すごいっすね」
南「お前らいつまでくっちゃべってんだよ」
   南、寺西らを叱責する。
寺西「チェ」
エリカ「……」
   坂口、向井「巻き込んですみません」とジェスチャーで謝る。
エリカ「ううん……」
南「ちゃんとボール見極めろって!」
加藤「いい球だけな!」
   エリカ、南の背中をじっと見つめる。
審判(声)「ボール。ファーボール!」
竹本「ナイス選(球眼)!」
   立志学園、しばらく私語なく自軍の攻撃の応援に集中する。
   暗転。
   

第2幕 第1場
   引き続きキーン、コーン、と爽快なバットの打撃音が聞こえてくる。
   明転する。
   時計は14時前。
   立志学園が攻撃中だ。
永井(声)「回れ回れ回れ!」
   スライディングの音。
審判(声)「セーフ!」
   ベンチの頭上のスタンドからもちらほら拍手。
   走者だった竹本、帰ってくる。
   あずさ、ベンチ奥の扉から入ってくる。
あずさ「今どきの野球場には結構な会議室があるのね」
五十嵐「ワンアウト満塁!しっかりランナー返してけ」
あずさ「ワンアウト…!」
   あずさ、腕時計を見る。
あずさ「一時間でワンアウト。念のため聞くけど、まだ2回表ですよね?」
坂口「はい」
あずさ「この分だと、この回が終わるのは4時、試合が終わる頃には日が変わってるわ」
   あずさ、頭を抱える。
エリカ「加藤くん」
加藤「えっ?」
   エリカ、ファースト側を指して、
エリカ「原田くんが」
加藤「ほんとだ。監督、原田のやつ……」
吉岡「よし、交代だ」
   島地、立ちあがる。
吉岡「寺西!」
寺西「はい!」
   寺西、ファースト側のコーチャーズボックスへ走る。
島地「……」   
   島地、そろそろと腰を下ろす。
   向井、島地と目が合いそうになり、慌ててそらす。
島地「は?」
向井「何も言ってないじゃないすか」
   ややあって、原田がベンチに帰ってくる。
原田「申し訳ありませんでした!」
吉岡「水飲んでしばらく休んでろ」
原田「はい」
   原田、力無くベンチに座る。
あずさ「今、彼(原田)は何に謝ったの?」
佐々木「えっ……」
   エリカ、原田にお茶を持ってくる。
エリカ「よく頑張ったね」
原田「ああ……」
   あずさ、横から入ってきて、
あずさ「原田くん、医務室に行きなさい」
原田「えっ……」
   原田、吉岡を見る。
あずさ「どうかした?」
審判(声)「ストライク、バッターアウト!」
小林「おいおい、完全なボール球じゃん」
   五十嵐、苦い顔でベンチに帰ってくる。
吉岡「なんであんな球に手を出した」
五十嵐「すいません!」
吉岡「なんでかって聞いてる」
五十嵐「……エンドランのサインと間違えました」
吉岡「さっきもだろ。次やったら交代だぞ」
五十嵐「すいませんでした!」
   五十嵐、帽子をとって詫びる。
   原田、吉岡に話かけようとする。
   だが、吉岡の五十嵐を叱責する剣幕に躊躇する。
   あずさ、それを見かねて、
あずさ「吉岡監督、ちょっとよろしいですか?」
吉岡「……はい?」
あずさ「原田君を医務室で休ませてあげてください」
吉岡「は……?」
   吉岡、原田をじっと見る。
原田「自分は大丈夫です」
あずさ「だめに決まってるでしょ、熱中症は後から来ることもあるんだから。監督」
吉岡「……わかった、休め」
   吉岡、渋々うなづく。
原田「すいません……」
あずさ「バッグ、持ってったら?念のため」
原田「え?」
あずさ「そのまま救急車で運ばれることかあるから」
エリカ「私、持ちます」
   エリカ、原田のバッグを持つ。
   と、開いたままのバッグの中から赤本がこぼれ落ちる。
   背表紙には「早稲田大学」と書いてある。
原田「あっ」
加藤「ん……?」
あずさ「赤本ね」
原田「い、行こう」
 原田、赤本を慌てて拾ってカバンにしまう。
エリカ「うん」
   原田、エリカに付き添われながら去る。
あずさ「監督、差し出がましいと思われるかもしれませんが、あちら側の生徒も代えてあげたほうがよろしいんじゃないでしょうか」
吉岡「大丈夫です」
あずさ「でも」
吉岡「すいません。ちょっと今大事な局面なんで」
あずさ「(イラっとして)45点差でですか?」
吉岡「(ため息)はあ……」
あずさ「わたしは言いましたからね」
   あずさ、呆れた様子で所定の位置へ戻り、何やら手帳にメモをする。
坂口「でも向こう、よく持ち堪えてますね。あれだけあちこち走って」
田中「俺がしばっちと偵察で行ったときも、あいつらグラウンドの隅でずっとダッシュしてた」
柴田「うん」
審判(声)「タイム」
木村「またタイムだ」
小林「変えた方がいい。さっきから全然ストライク入ってない」
木村「いないんだろ、代わりが」
佐々木「実はさ。俺、今朝駐輪場で向こうのチームのやつに会ったんだけどさ。たまたま向こうに同じ中学のやつがいて。そいつ、陸上部なんだ」
木村「は?」
佐々木「うん。助っ人で、他にも早めに引退した運動部のやつがかき集められてる。正規の部員は四人だって」
木村「四人。どうりで……」
小林「そういや、去年の秋に突然発足したって」
五十嵐「まじで?」
竹本「お前、ミーティングで田中と柴田のレポート聞いてた?」
五十嵐「え?」
島地「そういうとこだぞ」
五十嵐「は、はは」
木村「おい、ピッチャー続投だぞ」
小林「あいつこそ大丈夫か」
岸田「……」
   岸田、ちらっと監督を見る。
吉岡「余計なこと考えるな。試合に集中しろ」
岸田「……すいません」
   あずさ、その様子を遠巻きに見ている。
審判(声)「プレイ!」
   打球音が続く。
   暗転。


第3幕

   明転。
   時計は15時30分を回ったところだ。
ウグイス嬢(声)「4回表、立志学園の攻撃。三番ファースト木村くん」
加藤「ノーアウト、ノーアウト!」
岸田「バッター、いい球だけ狙ってけ!」
   と、打球音。
   サードから棚橋が取りに来る。
棚橋「オーライ、オーライ」
   棚橋、グラブを天に差し出し、ボールを掴みかける。
竹本「(思わず)ナイスキャッ……」
   棚橋、グラブで弾いて、またもボールを落とす。
田中「まただ……」
白川高校の選手たち(声)「ドンマイ、ドンマイ!」
   立志学園の選手たち、今度は誰もボールを拾わない。
   棚橋、ふらふらになりながらボールを拾い、
棚橋「ピッチャー」
   棚橋、ピッチャーにボールを投げ、守備位置に帰っていく。
選手一同「……」
竹本「もうけた、もうけた!」
木村「(ため息)なんだかなあ……」
   ベンチ内にしらけたムードが広がる。
   あずさ、それを察知して、
あずさ「吉岡監督、ちょっとよろしいですか?」
吉岡「……なんでしょう?」
あずさ「このままお続けになるおつもりですか?」
吉岡「このまま、とは?」
   ベンチの選手たち、視界のすみで二人のやりとりをみている。
あずさ「生徒たちも混乱しているようですし」
吉岡「私にはそうは見えませんが。それに今は生徒ではなく、選手です」
あずさ「(断固として)いえ。選手である前に、生徒です」
吉岡「(威圧的に咳をして)ゴホン」
あずさ「75対ゼロ……。さすがに、もう勝負がついてるんじゃありませんか?」
吉岡「監督は私です。試合の采配は私が決めます」
あずさ「でも……」
吉岡「(遮り)あなたが何を思おうと、我々は高校球児らしく、相手に失礼のないように正々堂々戦うのみです」
あずさ「でも、これでは弱い者いじめみたいじゃありませんか。保護者たちも見ています」
吉岡「(うんざりだと言った様子で)斎藤先生」
あずさ「だったら、わたしからも言わせていただきます。当校の野球部の部長はわたしです。教師として、生徒たちの健康と安全に責任があります。そして、あなたは学校との契約で雇われている身です。ご自身のお立場をくれぐれもお忘れなく」
吉岡「なっ……!」
   二人、短い間だが、厳しい剣幕で睨み合う。
あずさ「……」
吉岡「……」
岸田「監督、バッターにサインを」
吉岡「ああ……」
   吉岡、バッターにサインを出す。
   選手たち、背後でざわめきだす。
あずさ「なんです。」
   あずさ、ベンチの選手たちを見回す。
   選手たち、慌てて視線を逸らす。
あずさ「みなさんも、もっと言いたいことがあれば遠慮なく言えばいいんですよ」
一同「……」
   ベンチ内がシーンとする。
   と、柴田が不意に一人上空を見上げて、
柴田「あ……」
田中「え?」
柴田「入道雲。ほら……」
   あずさもつられて天を見上げる。
   舞台上、ゆっくりと暗転していく。
   やがて雨の音がしだす。
あずさ「……」
   あずさ、その表情が不敵なものに変わっていく。
   雨音、あっという間にあたりに雷鳴と共に激しく鳴り響く。
   暗転。

                (後半に続く)


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