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会議5分、学校15分、友達との約束30分

私が自分にとって大切なことである「程よい柔軟性をもつ」ということに至った1つの要素についてご紹介したいと思います。それは海外で触れた遅刻についてです。はじめにお伝えすると、この記事は遅刻を推奨するものではありませんのでその点だけご注意ください。

5分前行動、10分前行動

日本人は小学生の頃から5分前行動、10分前行動を厳守してきたのではないでしょうか。また、「大切な試験や面接などは30分前には現地についているようにしよう」といったことを中高、大学と推奨されてきました。

私もそれにはなんの疑問も持っていませんでした。約束の時間に着けないということ、つまり遅刻するということは、相手の迷惑になるだけでなく、自分にとっても非常にマイナスに働くからです。時間を守れないということは、約束を守ることができないと思われてしまう。これは仕方のないことです。

会議は5分、学校は15分、友達との約束は30分

私は以前、留学を経験したことがあります。このとき講義を担当された先生の言葉に衝撃を受けたことは今も覚えています。それは遅刻あるいは約束に対する考え方の違いです。

留学中もやはり時間は厳守すべきだという考えから、私は大学の講義には少なくとも10分前、早ければ20分前につくようにしていました。毎日そのようにしていると、先生が次のようにおっしゃったのです。「日本人は非常に時間に正確だ。以前、私も日本を訪れたことがあるが、電車もバスもイベントもなんでもぴったりに来るし、ぴったりに始まる。なんでもきっちりしている。すごく誠実な国だ。」このことについては、とても誇らしく感じました。

衝撃を受けたのはその次の言葉でした。「この国でも時間や約束を守るということは非常に大切である。ただ、会議は5分、学校は15分、友達との約束は30分くらいまでなら許容される。怒るという感情にはならないし、何も言われない」というのです。

これまで、約束の時間を厳守してきた私としてはたいへん驚きました。遅刻にも許容できる程度があった。今、後悔していることは、そのときに理由を尋ねればよかったということです。

程よい柔軟性をもつ

いまとなっては本当の理由はわかりません。ただ、個人的な推測としては「程よい柔軟性」があったのではないかと思っています。日本であればルールや約束、決定は基本的には守られるべきもの。もちろん海外もそうでしょう。しかしそれに対する柔軟性という観点では海外の方が許容量が大きいのかと思います。

例えば、日本は学校の習熟度別授業のクラス分けが基本的に学期ごとや学年ごとといった枠組みで行われることが多いように感じます。一方、私が留学をしていた大学の語学の授業では、期間によらずレベルを変更することが可能でした。

また、日本の鉄道は電光掲示板は、「何時何分どこ行き」という表示が一般的です。一方、私が訪れた国の地下鉄では、「何分後にどこ行き」という少し抽象的な表示の方が一般的でした。

これらからもわかるように、ルールや表示を正確にしすぎないことで程よい柔軟性を保っていたのではないかと思っています。

考えてみたい柔軟性

もちろん柔軟性も時と場合によると思います。時間についても正直なところ、正確に時間が守られた場合の方がスムーズに行動ができると思います。また、日本にいる以上それが礼儀でしょう。

しかし、それにこだわりすぎるということは場合によっては考え直すべきことなのかもしれません。時間に限らずとも、むしろ時間以上に、様々な場面で柔軟に考えるということは大切かもしれません。

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