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【屁理屈エッセイ】三度の飯よりカレーが好き
カレーが好きだ。めちゃくちゃ好きだ。
「カレーが好き」ということを表現するために、「三度の飯よりカレーが好きだ。」と書こうと思ったが、そもそもカレー自体が飯なので、「三度の飯より」という表現は食べ物の好き度を表すことに向いていない気がする。「三度の飯より野球が好き」とか「三度の飯より猫が好き」というと、ほとんど誰しもが毎日必ず食べるあの三度の飯よりも野球や猫のことが好きなのか!と関心を覚えるが、「三度の飯よりカレーが好き」と言われても、「いや、カレーもその飯のひとつやん」と一気に冷められてしまう。その時点で相手は会話を続けることをやめ帰宅するかもしれない。
とはいえ、「三度の飯よりカレーが好き」という状況が成立するパターンもある気はする。
例えば、その三食が、朝食が食パン、昼食がうどん、夕食がサバの塩焼きだったら、僕の場合「三度の飯よりカレーが好き」はあながち成立しなくもない。食パン、うどん、サバの三食であれば、その日はカレーを一食にまとめて食べたいと思うくらいにはカレーが好きだからだ。
しかし、朝食にクリームパン、昼食に明太子スパゲッティ、夕食に寿司だったら話は変わってくる。僕はこの三食に対しては、カレー一食では太刀打ちできない。カレー一食よりもクリームパン、明太子スパゲッティ、寿司を腹いっぱい食べたい。残念ながら「カレーより三度の飯が好き」状態になってしまう。
ということは、食べ物の好き度を表す場合において「三度の飯より」という時はあくまで条件付きということになってしまう。
「僕は三度の飯よりカレーが好きです。しかしその三度の飯に寿司や明太子スパゲッティは含みません。」と言わないといけなくなる。「三度の飯より」という表現、不便極まりない。
というかよく考えると、そもそもこの世の中の人は皆「三度の飯」がそこまで好きなのだろうか。「時間がないから朝食は抜いている」とか「ダイエットのために夕食に米や肉を食べないようにしている」という話を聞くことは少なくない。ということは皆「三度の飯」よりも自由な時間やスリムな身体を欲しているということになる。そんな状況なのに「三度の飯より猫が好き」という表現で、本当に猫を愛しているかは疑問に思ってしまう。その人が「三度の飯」をどのくらい重視して、「三度の飯」が無いとどれだけ悲しくて辛い気持ちになるのかを熱弁してからじゃないと、「三度の飯より○○が好き」と言われても、「結局それってどれくらい好きなの?」となってしまう。
ということで、「三度の飯より○○が好き」という表現は食べ物に限らず、神羅万象全ての物の好き度を表す表現として適していないことが分かってしまった。それが明らかになってしまった以上、僕たち人間は「三度の飯より○○が好き」に代わる表現を作っておいた方が良いと思った。僕は五つの案を考えた。
一度の睡眠より○○が好き
四十度の風呂より○○が好き
日本の四季より○○が好き
宇宙の神秘より○○が好き
金土の夜より○○が好き
語呂を意識して代案を考えてみたが、睡眠も風呂も四季も宇宙も、好きな人は好きだし、興味ない人は興味ない。結局「三度の飯」と同じ轍を踏んでいる。「金土の夜より」は語呂的にも内容的にも結構良い気がしたが、土日が休みでない人にとっては金土の夜はむしろ憂鬱だろう。
結局、全世界の人が共通して確実に好きだといえるものが思いつかない以上、「○○より好き」という慣用句は成り立たないことが分かった。
むしろ一番ぴったりくるものが「三度の飯より」という表現なのかもしれない。つべこべ言わず「三度の飯より〇〇が好き」と言っておけばいい。
僕は三度の飯よりカレーが好きだ!!
いや、食べ物に使うのはやっぱりなんか違う気がする。