「脱JTC」じゃなくて「新JTC」だよ!
最近、よく聞く「JTC」という言葉を聞く。
ジャパニーズ・トラディショナル・カンパニーの略だ。
どういう意味かというと、
……らしいが、正直、私には違和感がある。
伝統的な日本企業が時代遅れだからと言って、問答無用に「JTC」を切り捨てないで頂きたい。
💠JTCには継承すべき美徳がある
私は「脱JTC」でなくて
「新JTC」になればよいと考える。
JTCは決してオワコンではない。
確かに、古い慣習は時代遅れかもしれない。年功序列や終身雇用などは、戦後の高度成長を支えたが、今日の「雇用の流動化と働き方改革」からして時代錯誤と言える部分はあるだろう。
上意下達の企業文化や硬直的な組織運営なども、ジョブ型雇用の推進に合わせ改善していくものかも知れない。
でも、大切なのは"温故知新"。
例えば、新卒者などにはJTCの方があっているかもしれないのだ。
研修体制も充実していて、長期的にキャリア形成が図れる可能性が高いからだ。
また、メンバーシップ型のジョブローテーションにもメリットはある。
純JTCだからこそ多彩な知識、多様な経験が積めるからだ。
その結果、
ジェネラリストとしてのマネジメント力
を身につけることもできるだろう。これも大きなキャリア形成上の長所である。
ジョブ型でスペシャリストを目指すのもよいが、生成AIによって専門知識がコモディティ化することだってありそう。そうなればスペシャリストの領域は狭まる。
つまり、「JTCはダメ!」、これからは「脱JTC」だと言って、どこに向かうのかもわからない雇用形態、働き方、そして、価値観に憧れるのは
危険だ。
もう少し冷静に振り返り、従来のJTCの持つ普遍的な美徳を思い起こして欲しい。言い換えれば日本の企業文化を再考し、"JTCの進化形"を目指す方が賢明だと考える。
ちなみに"美徳"とは、「美しい徳。道にかなった行い」と辞書にはあるが、私の定義は「長い年月を積み重ね、普遍的価値として定着した行動様式」を指す。
100年前から言われ続けてきた「企業は人なり」という言葉には普遍的な原理原則を感じる。そして、この言葉には企業の成り立ちの根本が含まれていてJTCにも通じている。
人材を「資本」として捉え、その価値を最大限に引き出すことで、中長期的な企業価値向上につなげる経営の在り方を「人的資本経営」と呼ぶ。この価値観は、まさしく日本型経営の美徳を持つ新JTCによって実現できると思う。
世はまさに転職の時代。ヘッドハンティングと退職代行が蔓延し、副業解禁も合間って短期雇用が常態化している。
本当にこれでよいのか?
💠和魂洋才の精神を再現しよう
日本企業は、欧米型の自由主義市場経済に順応する形で成長をしてきた。
その背景には、従来からの伝統的で正しいことを信ずる精神的バックボーン(武士道精神)があった。
和魂洋才とは、心には日本人としての大和魂をもち、西洋の学問を活用することだ。
この和魂洋才の精神だけは引き続き持っていたい。
だから脱JTCでなくてJTCを進化させる''新JTC"がよいと言いたいのだ。
日本人の悪いくせなのかも知れない。振り子が一端、振れると振り切るまでいく。「右へ倣え」の風潮が強い。まさに同調思想というものか?
しかし、世論はショーペンハウエルの言った「振り子の運動の法則」に従うもの。
人間の社会は面白いもので、右に傾くような状況が続けば、左に反動して、結局は、真ん中に戻ってくる。何だかんだと言っても行き過ぎたものは収まるべきところに収まる。これが自然の法則なんだろう。
つまり、「脱JTC」一辺倒に傾くのではなく「新JTC」へと「温故知新の精神をもって"中庸"と成す」がよいのでは。
この中庸とは、今日の社会システムと企業スタイルにあった"現代版・和魂洋才の精神"を意味する。