元精神科ナース、精神疾患になりました。
こんばんは。
多動と申します。
現在はOLをしていますが、実は元精神科ナースです。
この夏、私は精神疾患を発症しました。
※知り合いへ
本文中にかなり心配をかける記述がありますが、現在は快方に向かっているので安心してください。
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私は精神科ナースとして一年間、閉鎖病棟で勤務していました。
その後、紆余曲折を経てOLに転職。今は人事事務を担当をするようになり数年目になります。
我が社は職務の特殊性からか、業界の中でも精神疾患を発症する社員の割合が高く、メンタル休職に入る人を多く見てきました。
なんとなく「私もいつかはつぶれるだろうな」という予感はしていました。
生真面目、不器用、手抜きが下手といった鬱病になりやすい性格の特徴を網羅していますし
発達障害も持っています。(発達障害の人はそうでない人に比べて鬱病を発症するリスクが9倍高いと言われています)
おまけに健常者でも精神疾患を発症する人の多い職場です。
これだけリスクが揃っていたら、精神疾患を発症しない方が奇跡とも言えます。
限界の足音が近づいてきたのは20代後半の頃です。
これまで私は、発達障害特性を「人一倍の努力をする」という方法で補ってきました。
しかし「人一倍の努力をする」なんてずっと続けていたら、いつかは壊れるのは明白です。
加齢とともに体力が衰えていくのにつれて、「人一倍の努力をする」ことが段々と辛くなってきました。
それでも私は発達障害という欠陥を持っているから、人一倍頑張らねばならないと踏ん張り続けました。
この頃から度々鬱状態に陥るようになりました。
そして30代を迎えた今年、本当の限界が来ます。
GWが明けたあたりから、睡眠障害の悪化、感覚過敏の悪化、希死念慮の出現、頭痛や耳鳴の頻発といった異変が現れるようになりました。
それでも毎日、食らいつくように仕事に行っていました。
職場では必死で不調を隠していました。
部署では人員削減をされたばかりで、休みを取りづらい状況が続いており、私は病院に行くために有休を取るのも遠慮していました。
そして6月中旬のある日の午後、私は職場で不調を隠しきれなくなります。
デスクワーク中、突然血の気がサーっと引いて視界が真っ暗になり、私は座っていられなくなったのです。
頭に血が回っていない感覚がなかなか抜けず、私は物置部屋で横になりました。
私は血圧が高い方で、今までにそんな状態になったことはなかったので驚きました。
この頃、プライベートの友人知人から休職を勧められるようになりました。
それでも「職場に迷惑をかけたくない」との思いから、なかなか休職に踏み切れませんでした。
ようやく休職に踏み切れたのは、友人からの一通のLINEがきっかけです。
「頼むから休んでくれ。もう命令形で言う、休め!!」
ビシッと言われたことで、私はついに休職の申出をしました。
休職の申出をするとき、私は申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
ただでさえ人員削減で人がいないのに、さらに一人減ることになってしまって、ごめんなさい。みなさんの仕事の分担を増やすことになってしまって、本当にごめんなさい。
そんな心苦しさでいっぱいでした。
休職に入ってからは、糸が切れたように動けなくなりました。
風呂とトイレと最低限の家事をやる以外は、ひたすら寝ていました。
当初は2週間ほど休みをもらって復帰するつもりでいましたが、とても2週間では回復しませんでした。
7月。私の希死念慮は巨大なものとなっていました。
起きている時間のほとんどは死ぬことを考えており、薬の致死量を調べたり、自殺報道を読み漁ったりしていました。
巨大希死念慮との闘いは、想像以上に体力気力を消耗します。
全く動いていないのに、登山をしたあとのよう疲労感が毎日ありました。
「死にたい」「殺せ、殺してくれ」といった独り言をよく唱えていました。
思い出せば、精神科閉鎖病棟にいたとき、希死念慮をコントロールできずに取り乱す患者さんは少なくありませんでした。あのときの患者さんの辛さはこんな感じだったんだな、と我が身になって初めて実感しました。
希死念慮を脱したきっかけは、新しい主治医との出会いです。
色々あって私はメンタルクリニックを転院しました。
そこで出会った新しい主治医が、とんでもなくインパクトのある人物だったのです。(具体的にどんなインパクトなのか詳しく書きたいのですが、諸事情により書けないのが残念です)
新しい主治医のホーリーフール具合に、私は拍子抜けし、死ぬことばかり考えていた自分の深刻さがなんだかアホらしくなってきました。
新しい主治医はキャラこそ濃いものの、治療方針等の説明が分かりやすく、こちらの質問にも丁寧に答えてくれるので、「この先生について行こうかな」と思えました。
このときに鬱病という診断名がつきました。
正直、ショックでした。
どこかで自分はまだ大丈夫だと思っていたので、鬱病と診断がつくような重い状態だと受け入れたくなかったのです。
新しい主治医からは、治療には長いスパンがかかること、社会復帰までは1年程度の療養が必要となる予想を告げられました。
1年も……!!??
これはもっとショックでした。
真っ先に思ったのが「職場に長期の欠員を出してしまうのが申し訳ない」でした。
また1年も療養していたら、せっかく覚えた仕事を忘れてしまわないかという不安も感じました。
そして8月現在。
療養のおかげか、少しずつ体力気力が回復しつつあります。
睡眠障害、日内変動、感覚過敏など今も残る症状はありますが、全体としては快方に向かいつつあります。
今は社会復帰を目標に、服薬調整を続けるなどして過ごしています。
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鬱病の診断を受けてから公表するまでタイムラグが生じた理由は、自分が受け入れるのに時間がかかったこと、心配をかけたくなかったことが大きいです。
私は普段、明るく愉快なパーソナリティと言われており、それが自分のアイデンティティとなっています。鬱病という病名が自分のアイデンティティを傷つけるような抵抗感もありました。
今回の鬱病発症騒動でいちばん後悔しているのは「もっと早く休めばよかった」ということです。
鬱病の治療の鍵は、早期発見・早期治療です。
いかに早く異変に気づき、早く治療(適切な服薬、十分な休養)をスタートさせるかが大事です。
治療が早ければ早いほど、療養期間が短くて済みます。再発リスクも低くなります。
私の場合、GWが明けたあたりから、睡眠障害の悪化、感覚過敏の悪化、希死念慮の出現、頭痛や耳鳴の頻発と、鬱病を疑う症状がこれだけ揃っていたにも関わらず、
また精神科ナースや人事事務の経験からメンタルヘルスに関する知識が人一倍あったにも関わらず、
まだ大丈夫だと無理を重ね、なかなか休職に踏み切れなかったのは、私が愚かだったこともありますし、鬱病特有の判断力の低下が招いた結果とも考えられます。
今回の鬱病発症騒動で救いだったのは「休め!!」と言ってくれた友人がいたこと、新しい主治医との出会いがあったことです。
この2つがなかったら私は本当に自死を決行していたかもしれません。
これを読んでくださっている人の中で、もしも「鬱かもしれない」という方がいたら。
できるだけ早く受診してください。
繰り返しになりますが、鬱病は(鬱病に限らずあらゆる病気に言えることですが)早期発見・早期治療が鍵となります。
いかに早く治療をスタートさせるかが予後を握ります。
「鬱かもしれない」程度で病院に行くのを躊躇う人もいるかもしれませんが、病院に行った結果、鬱じゃなかったらそれに越したことはないのです。
皆さんには私のように治療が遅れた結果、長期療養を要する羽目になった、なんて経験をしてほしくありません。
躊躇っている時間が勿体ないです。
どうかお願いです。できるだけ早く受診してください。
そして今まさに鬱で希死念慮と闘っておられる方へ。
死にたい気持ちはとてもよく分かります。
だって「死」はすべてを解決してくれるから。
生きることがとても辛いあなたに、私は死ぬなとは言えません。
ただ今日も生き延びたあなたに溢れんばかりの肯定パワーを送りたいと思います。
希死念慮との闘いは本当に大変な重労働です。
時給10万円の感情労働に匹敵すると思います。
希死念慮と闘うあなたは本当によく頑張っています。
どうか自分を最大限に労って過ごしてください。
とりとめのない雑記となりましたが、ここまでお読みいただきありがとうございました。