小さな繋がりがしあわせ。
10/15(木) 小さな繋がり…と、見た感じは思っても、
それは、大きな勇気の一歩や決断による変化の重なりで、
なんと言うのか…。覚悟が伴った背景が、やっと点として描かれ、
それが線になるまでが、また一苦労。
そんな日々の中でも、近頃書き残しておきたいことがあって、手が追い付かない喜びと共に、忙殺され忘れないよう心に刻み、守っていきたいやり取りがいくつかある。
これは、たしか今週月曜日のこと。 急に母が慌てて「オムツとパットが足りない!」と言い出した。普段なら、買い物はだいたい水曜日か木曜日に様子を見て、ヘルパーさんに父を任せて行くのに、最近は冬に向けて買っておいた方が良い物は…?と慣れない方に脳が働いていたので、肝心なものをド忘れしてしまった。この日はヘルパーさんがいないので、母が一人で行って私と父で留守番しようかと考えたけれど、母は母で車の運転に疲れると買い物の効率が悪くなったり、お店の中で動くことが負担だったりするので、私が動き回るのが良い。…ということで、あーだこーだと言っていたら、父が「留守番してる」とのこと。
とは言え、留守番中、自由に動いて転倒したりと事故があると怖いので、よくよく話して約束して、YouTubeを流して、父のすきな地図を渡して、とにかく集中して一人の時間を“たのしむ”方へと誘導した。じっとしててね。ということは、不自由な圧をかけて尊厳を侵害すると思うので、「たまにはお一人でリラックスもいいよね」という言葉を、父にも母にも言って、お留守番スタート。緊張した。ハラハラ心配しつつ、テキパキ買い物して、たぶん20分くらい。晴れてるし外に散歩にいこうって約束してたのに、冷えはじめてきたので残念に思いながら、まだあたたかい太陽の存在も感じ、父に見せる青空の写真を撮った。
帰りの車の中では「こけてても怒らない。こけてても怒らない」と母と呟き合い、急いで帰宅。
到着してすぐ、購入したものは車の中に起きっぱなしで、身体ひとつで家に駆け込み「ただいまっ!」と言うと、けろっとした父が地図を片手でびろーんと伸ばして「ぉかえり」と言った。
もう少し、ひとりで居たかっただろうか?笑
そんな時間も、大切なときだなあ。と感じた日でした。
今日もね、書きたいことあるけど、また、分けて書こう。
今は、今しかできない工夫で、のどかに過ごして、お互いの心の余裕を生み出すことで、障害の有無にとらわれない自由な世界をつくり出すことが出来るな~。と感じる日々。
普段はこんなに一緒にいられない。私も治療のためにデイケアや作業所を利用し、他にも病院等通っていると、それだけで体力気力が削ぎ落とされていく。加えて、外的刺激で疲れやすく症状も出やすくなり余裕がない中、実家のフォローに駆けつけていた。両親だけならまだ良いけど、時間帯によってはヘルパーさんや訪問支援の方々が居てくださるので、有り難くも気疲れはして…。悪意はなくても障害への理解がない人や、老若男女健障の隔たりを感じさせられる瞬間は日常に多く散りばめられているので、平気なふりしててもダメージ受けて、ひとりで過ごせる時間みつけても大抵疲れがとれないまま。心や脳に受ける圧や不自由の押し付けは結構身体に影響してきて、昔は1ヶ月寝込んでた。だけど、昨年は3時間だった。だからきっと耐性がついてきたのか、逞しくなってきたな。と自分の体感で分かる。
これが、今は自分のことで外に出ることを自粛しているため、
かなーり気楽になってきた。体調がとびきり良好だというわけじゃあないけれど、落ち込みも深まらずに、うまくひとりの時間を確保し、アウトプットして、こうして今も記録している。
今のうちに、リラックスして生きていくコツを、学ぼう。
そして、自分が自分であれるよう、生きる姿勢を定めたい。