不登校のゴールって?
株式会社スダチと板橋区が連携して不登校支援をする,というプレスリリースが炎上したというネット記事を目にした。
スダチへの批判のポイントは色々とあるようだがざっくり要約すると
・不登校児のゴールを「再登校」と一律に設定するのはいかがなものか
・不登校支援なのに子どもへのアプローチが一切ない
・スマホやゲームなどの電子機器を預かる手法はどうなのか
そして記事の見出しに
「不登校ビジネスへの批判」ってワードが大々的に書かれていて「わ!これに自分も該当するのか!!」なんてちょっとドキドキした状態でこのnoteを書いている今(笑)
3週間後のゴールは再登校?
スダチの「3週間で不登校を解決するメソッド」は
今現在苦しんでいる親の立場からすると喉から手が出るほど欲しいものかもしれない。子どもの不登校の何が苦しいって,先の見通しが全く持てないこと。
逆を言えばどんなに今が辛くて苦しくたって「期間限定だよ」とか「3週間だけとにかく頑張ろう」って言われたら,全然頑張れる気がするよね。
確かに3週間で変わろうと思えば人は変わる。
でも不登校のゴールになるのは再登校だけなんだろうか?
確かに親にすれば,元居た場所に戻ってくれるのが一番楽で安心なのかもしれない。
でもそれで本質的な解決にならないケースもあるんじゃないか。
私が考える3週間後のゴールは
学校復帰でもそうでなくてもどちらでもいい。
というよりも
真っ当な大人になるためには学校に行くべき,とか
学校に戻れなかったらダメなんだ!みたいな
子どもが大人の思い込みに影響を受けないフラットな状態で,自分の行きたい方向を決められること。
だから私の不登校支援サービスでは
ゴールを「不登校の解消」そのものではなく
「約1ヶ月で親子それぞれにこの先の目標が定まること」
にしている。
人間が前向きな行動が取れる時は,楽しい未来のことを想像してワクワクしているとき。
不登校を解消することがゴールなんじゃない。
自分にとってのワクワクするゴール設定が不登校を解消する。
だから「ワクワクする未来」が定まって,それを実行に移していくことをサポートすれば不登校は自然に解消する。
これは間違いない。
そして学びの場は多様に無数にある。
学校じゃないところがしっくりくるならそれだっていい。
でもそうやって言うと「それは逃げなんじゃないか」と言う人も一定数いる。私は元教員だけど,学校に戻すことが全不登校児への最適解だなんて一度も思ったことない。
嫌なことに向きあえと言う前に
この考え方にももちろん賛同できる部分は大いにある。
社会科の授業で人権について授業するときはいつも,
人は集団生活によって他人との摩擦を経験してはじめて自分と他人の権利を意識する。そしてその権利を守ることの大切さを学ぶ場所が学校なんだ。
と教えてきた。
でも,ちょっとだけ考えて欲しい。
不登校になると,家にこもってゲームや動画三昧,勉強もしないで好きなことばっかりしてるのはダメだ…
って良く言うけど,そもそもそれ(ゲーム云々)は本当に本人にとって学校に行く間も惜しんでやりたいほど「好きなこと」なんだろうか??
子どもも親も「好きなこと」を思う存分に楽しめてますか?
自分のやりたいこと100個書きだせますか?
っていうか自分の好きなことってなんだっけ・・・?
まずはそこをちゃんと考えてみないことには
嫌なことと向き合うエネルギーすら湧かないと思うのだけど。
学校へ行かないことよりも,自分の好きなことが分からない
ということのほうが生きる上ではよっぽど深刻な問題じゃないか。
だから私はとことんそこに向き合ってサポートする。
お子さんとお母さんどちらにも。
自分がどんなふうに生きていきたいのか。
何をしている時が幸せなのか。
そんなことをじっくりと考えてもらって生きるための源を自分の中に探し出して欲しい。
でもってこれから頑張るためのエネルギーをしっかりと充電して欲しい。そんなサポートをできるのが私の身上。
不登校になったからこそ見える景色を大事にした方がいい
教員として働いていた時も何百人もの不登校の子たちと関わってきたけれど,みんなそれぞれに学校に来ない間にもちゃんと成長していた。
なんなら,学校に登校していた子達よりも遥かに長い時間をかけ,真剣に,文字通り命懸けで自分と向き合ってきたからなのか,卒業式の日には誰よりも精悍な顔つきで,立派に巣立っていった子達ばかりだった。
中でも中2の時に不登校になった印象的な女の子がいて
その子はいわゆる他の子よりも早く「大人になってしまった」タイプの子。
「いちいち通うのめんどくせーから,うちに学校が来てくんないかな」
という我が教師人生においても生涯忘れられない「名言」を残した彼女は,本当にたまーにだけフラッと学校の敷地内に来ては,私と世間話をして帰る。
その話ぶりや考え方があまりに大人びていたので
「アンタ早く大人になって私と飲みに行こうよ」といつも教師らしからぬことを言ってしまい
「先生,そんなこと言っちゃっていいの?ウケるんだけど!!」
なんて心配されたりした。
そしてその後も彼女は文字通り卒業式まで1日も「出席」しなかった。
そんな彼女が卒業間近にこんなことを言った。
「先生,私にとって学校に行かなかった期間は,学校で勉強してる方がよっぽど楽だと思えるくらいしんどかった。でも学校に行かない代わりにたくさんの人が私に大切なことを教えてくれたし,それは学校に行くことと同じくらい大切なことだったって今は思う。」
その気になれば,どこでもいつでも人は学べる。
学校という場所は果たして子どもにとって最良な学びの場になっているのか?
学校という場所にこだわることで本当に大切なものを見失ってないか?
子どもに再登校を強いる前に大人が改めて自問しなければいけない局面にあるんじゃないだろうか。
そして,そんな数々の名言を残した彼女は
今や私のママ友である。
子ども同士が同級生という,なんとも計算が合いそうで合わない奇跡が起きて,私たちは数年に一度,キッズスペース付きの居酒屋に行って彼女のお母さんも一緒にお酒を飲む仲になった。当時の夢が叶ったのだ(笑)
「先生には本当にお世話になって」と
節目には必ず連絡をくれる義理人情の塊のような親子だ。
彼女のお母さんは
娘が不登校になった時
「私の娘なんで(笑)色々あるとは思ってましたけど,でも多分なんとかすると思います!」
と明るくカラッと言っていた。こんなにも明るく振る舞うお母さんには会ったことがなかった。我が子が不登校になったら,自分も親としてこんな風に言える人でありたいと思った。
でも,お母さんなりに苦しくてしんどい時期があった,と言っていた。そりゃそうだよね。でも,どんな時も愛する娘を見捨てることなく,心のそこから信頼し続けるお母さんのその在り方に,娘だけでなく私もまた救われた1人だった。
いやー母は偉大。
ということで話は戻るけど
子どもにとって「教室復帰」がゴールとしてクリアになっているならばそれでOK。
でもそもそもそれすらもよく分からない…
という状態にあるならば,なるべく早く最短距離でゴールを目指す!というやり方でなくても良いのではないかと思う。
自分のペースで回り道しながら,
他の人には見えない景色を見ながらゆっくり頂上に辿り着く選択が必ずその子の人生を豊かに鮮やかにするから。