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自己肯定感が低い先生たち

前回の記事を書きながら,子育てには親だけでなく先生も関わってくるので,先生たちの自己肯定感が高いことも大事よね,と思い番外編?として書いていきます。

「子どもが大好きだから先生になりました」の危うさ

自己肯定感の低い先生はとても多いです。

というよりも,
もともと自己肯定感の低い人が選びやすい職業なのかなとも思います。(私もそうでした)

例えば先生になった理由の中で多い,

「子どもが好きだから」
「誰かの人生に影響を与えたり,関わりたいと思った」

 前者では,実は大人と関わるのが苦手・自信がない,というケースが良くあります。というか,子どもが嫌いで先生になる人はあまりいないので,実習生や初任の先生がこう言った時は「自信がないのかな」「大丈夫かな」と思っていました。
後者の場合は,それをすることで自分の価値を感じたい(そうしないと感じられない)という無意識がうっすら隠れていそうです。

 他にも,激務で大変な仕事であるこの業界に「敢えて」飛び込む時点で「自己犠牲」の精神がとても強いですよね。
 私が就職活動をしていた頃は(今も?)自己肯定感が高そうな学生たちはこぞって,外資金融とか商社とか旅行会社みたいなところを受けていて,「教員??そりゃぁご苦労様です」くらいの感じでした(笑)

 とは言え,福祉や教育(特に中学校以下)の労働環境の過酷さ,待遇の低さからも分かるように,今の日本社会は「自己犠牲の精神」によって支えられています。1日も早く待遇が改善されて,自分を犠牲にするような働き方ではなく,自分の生き方を大切にしながら働けるようになる日が来るといいなぁと思います。それによって,健全に子どもと関わることを心から楽しめる人材がもっと集まるんじゃないかな,と思います。

自己肯定感が低い先生の特徴

  • 生徒と対等な関係になれず高圧的な態度を取ってしまう。

  • 自分の授業や仕事を客観的に評価できなかったり,同僚や保護者からのアドバイスが聞けず意地を張ってしまう。

  • 部活指導での実績や結果を自分のステータスにする。

  • 生徒を利用して自己実現を図ろうとする。

具体例を挙げるとキリがないのですが,こういう先生たちはどこの学校にも必ずいます。
そして実はこういう状態の先生たちほど,同僚からは「デキる先生」だと思われがちです。
前回の記事でも書きましたが,自己肯定感が低い人ほど,同じように自己肯定感が低いのにそれを覆い隠そうとしている人の「努力」に弱いからです。
自己肯定感によく似た感覚に「万能感」がありますが,「自分はなんでもデキる!」という万能感がある先生たちが多いなぁというのが個人的な印象です。

本当は万能感ではなく,自己肯定感の方を回復させられればもっともっと子どもとも幸せな関係が築けるはずなのですが,そもそも自分がその状態であることには気づく機会がほとんどないんですよね。

ちなみに,自己肯定感が無茶苦茶に低かった私がそのことに気づけたのは,ある幸運な出会いからでした。

価値観がひっくり返った出会い

元々教員になる前に,コンサル営業の仕事をしていてなかなか数字が上げられず,社長から呼び出されて「お前は会社のお荷物だ。ボーナス返せ!」と怒られてすっかり自信を無くしていたとき,会社や社会の役にも立てないこんな自分ができそうな仕事って…とたどり着いた教員の仕事(笑)
そんな感じだったので教員になった後も,めちゃくちゃ自己肯定感が低いまま,生徒に向かって「こっちの言うことが聞けないなら今すぐ帰れ!」とか暴言吐いて,本当に帰られちゃったり,保護者と揉めることもよくありました。
そんな時,
異動した先で出会ったある1人の先生から
「なんで先生になったの?」と聞かれました。

その時の私は例に漏れず
「誰かの人生に影響を与えたり,関わりたいと思った」
というようなことを話しました。

そして返ってきた答えが,

「自分は誰かの人生に影響を与えたいなんて考えたこともない。むしろ誰にも影響なんて与えたくないよ。怖いから。」

もうこの瞬間,ハンマーだか岩で頭を思いっきり殴られたような衝撃。
なんだかよく分からないけど,これがとても「真っ当な」考えなんだ,ということだけは分かりました。

そしてこの先生と日々一緒に働いていく中で,私が今まで「出来る」と思っていたことは全てが「万能感」に過ぎなかったんだ,ということに気付いたのでした。

そしてそれを機に
「先生」の仮面を外して,1人の人間になれた私。
1ミリも先生として構えることがなくなりました。
カッコつけたり,いいとこ見せなきゃと気負ったりすることもなし。

でもそれが一番大事なことでした。

こっちがそういう状態になると,子どももちゃんとこっちを向いてくれるようになるんですよね。
それまでは,大事な話をする時に言い回しとか言葉選びにすごく気を遣っていたけど,そんなことをいちいち計算しなくても伝わるようになる。
こちらが生徒をリスペクトするから,生徒もリスペクトしてくれる。
そしてこれは生徒同士も同じ。
だから相手が困るようなことはお互いに慎む。
この感覚がクラス全体に浸透したおかげで
業務時間外に対応が必要なほどの大きなトラブルもなければ,保護者からのクレームも,退職の日まで一件もありませんでした。

子育ての醍醐味

こんな風に書いていると,じゃなんで仕事を辞めたのか,と思われるかもしれませんが,やっぱり私は自分の生活を大事にしたかったんですよね。
でも,現場から離れた今も,子どもたちと関わりたい気持ちは全く変わっていません。
自分の子育てにある程度目処がついたら必ず現場に戻ります。
先生の仕事は今でも大好きです。

そしてこんな風に思えているのも,さらに我が子の子育てを楽しめている今があるのも「自分との付き合い方が分かるようになったから」です。

自分のことを知り,自分の良いところもダメなところも,フラットに受け入れることができるようになったことで,子どものことも自然に受け入れられるようになりました。

親も先生も,このプロセスを飛ばしたまま子どもに関わることが多いのですが,実はそれが子育てを難しくしています。

特に日本は「自分よりも他者のために尽くすこと」に価値を置く社会なので,とかく日々の生活の中でも自分の意識が外側に向きがちです。

自分の外側の世界で起こっていることなんて,基本は思い通り・期待通りにいかないことしかありません。だからそういうことに一喜一憂するだけでもすごく疲れます。
子育ても同じ。

子どもは大人の期待通りになんてなりません。
という大前提を忘れて
子どもにばかりフォーカスしてしまう大人。
結果,すごく疲れてイライラします(笑)

本当はその「よく分からない」「期待通りにならない」意外性こそ,子どもの成長を側で見守ることの醍醐味なんですよね。

(中1の入学式翌日に、ほぼ初対面の同級生のズボンを下ろす、というなかなかの悪ガキだった教え子が、先日再会したとき、銀座の超有名高級寿司店の板前さんになっていて「うぉーこれだからこの仕事やめられん!笑」ってなりました🤣)

子どもに関わる全ての大人が,このたまらないワクワク感と共に子育てできるように引き続き自分に出来ることを考えていきたいなぁと思います。

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Mariko
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