四番目の呼吸
ヨーガスートラにはプラーナヤマについて、以下の記述がある。
この四番目のものとはなんだろうか?
呼吸には、吸気、呼気、停止の三つのプロセスがある。そして、その背後にあるのが、四番目である。
それは、呼吸の三つのプロセスに囚われていては見つからない。そのプロセスを超えなくてはいけない。
呼吸は意図しなくても、身体が勝手にしている。それが、身体が必要としている、最適な、自然な呼吸だ。
呼吸に気づこうとするとき、呼吸へ意識を向けると、呼吸が意図的にならざるを得ない。
そして、意図するとき、呼吸(身体)と自己同一化する。
この自己同一化を離れることが、四番目とも言える。
そのとき、自然な呼吸に気づくことができるようになる。
身体との自己同一化をやめたとき、次にエネルギーとの自己同一化が始まる。
そして、このエネルギーが四番目のものとなる。
エネルギーとはなにか?
物質と精神の中間のものであり、精神が物質を形成する媒体、物質が精神に影響を与えるときの媒介となるものだ。
四番目とは、エーテル体からアストラル体(エネルギー)への移行とも言えるだろう。
ちなみに、これはスピリチュアルで言えば、3次元的物質から4次元的エネルギーへのアセンションとも言える。
仏教での解釈も見ていこう。
とても当たり前のことのようだが、これが意味することを、ここでは触れないが前後の文脈から読み取ると以下のこととなる。
入息によって気づきが生じ、出息によって気づきが生じる。
入息と出息は、別々のものだが、気づきとして見れば、同じもの。
つまり、入息と出息を部分的に見ると、対象が切り替わるため、気づきが途切れ途切れになる。
しかし、入息と出息を全体的な一つの呼吸として見ると、気づきは連続し、集中が容易になる。
入息(→気づき)→出息(→気づき)→から、
気づき→気づき→の気づきの連続へ。
経典の中では、入息と出息による気づきと、気づきによる「気づき」は区別されることに注意しよう。
それが、入息と出息と気づきの三つのプロセスを超えた、四番目の「気づき」となる。
それが、「受」である精神的感覚である。
瞑想としてのプロセスはこちら。
さらには、呼吸の全体として、四つの呼吸を見ていこう。
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