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カムカムエヴリバディ6歳のるいが放った”I hate you!”の奥(ニーズ)を探る

NHK朝の連続ドラマ小説カムカムエヴリバディに見るNVC考察の第3弾です。

ひなたが幼なじみのいっちゃん、藤井さんにモモケンを布教したように、朝ドラを通してNVC(非暴力/共感的コミュニケーション)を布教するのがおいらのミッション……いや、ただハマっているだけです、笑。

算太が30年以上を経て再登場し、ざわつく第17週の展開。しかも、ドラマは先週末にクランクアップしてしまったと! 残り1ヶ月ちょいか。ロス確実だなと思いつつ、ネタはまだまだある。はやく書かないと。

さてさて。前回の記事では、共感的に在るためには、相手の「言葉(=情報)を聞かない」ことがキモ、ということを書きました。

言葉を聞かない代わりに、何を聞くのか、何を聞き取るのかといえば……

”ニーズ”です。

NVCで言うニーズは、必要、大切にしていること、大事なこと、その瞬間の私たちを動かす命の源ともいえます。

そして、すべての人のすべての言動は、本人の自覚の有無に関わらず、このニーズによって動かされているとNVCでは考えます。

ですから、対話のとき、聞き手としては相手の言葉そのものを聞くのではなく、言葉の奥、つまり心の中では何が起こっているのかに目を凝らし、耳を傾ける態度を大切にしています。(もちろん、聞き手にも心があるので、相手を聞きながらも自分の内側に起こっていることを押し殺すのではありません。生き生きとうごめく自分自身の命も意識します。)

前置きはこのぐらいで。ドラマの鍵となったあの言葉、6歳のるいが放った”I hate you!"の奥のニーズは何かを推測してみます。

ニーズは、感情に紐付いているというNVCの前提があります。「感情の根っこにニーズがある」と表現するとわかりやすいでしょうか。

ですから感情を手がかかりにすること、感情をじゅうぶんに味わうことで、その根底にあるニーズを見ることができるのです。

まずは、6歳のるいの感情を推測します。(あくまでも、もしかしたらこんなかしら? という推測です。どんな感情があるのかは本人しかわからない。その本人のとらえているものを尊重し、聞き手は推測するに留め、決めつけないのが肝要。)

「もう、来ないでいい。会いたくない」という言葉とあの表情から、激しい怒りが表に出ているのが聞き取れます。

しかしながら”怒り”という感情もクセもので、さらに奥にある感情を覆い隠すために出てくることが多くあります。

怒りの奥にある感情を推測すると、「傷ついている」、「痛い」、「悲しい」、「寂しい」、「不安」、などでしょうか。

そこから推測できるニーズとしては、「見てもらいたい」、「共に生きる」、「愛情」、「親しさ」、「守る・守られる」……などなどが思い浮かびます。 参考:http://nvc-japan.net/material/feelings_needs_list/

そんな中でも、コレかなー?と私に響いてくるのは
「含まれること」inclusionのニーズ。

子どもが、子どもであるゆえに大人の複雑な事情を教えてもらえないこと、脇の「安全地帯」に置かれることってありますよね。私の子ども時代の経験から思い返すと、そういうときが一番悔しい、悲しい、不甲斐ない。

子どもであることは、自分ではどうしようもできない。だから怒る!
大人の「よかれと思って……」が余計なんだ! 

私は含まれたい。
お母さんがパニックになっているのなら、困っているのなら、私が側にいてなぐさめてあげられるのに。
混乱の中に一緒にいたかった、混乱の嵐の中で一緒に雨に打たれたかった……お母さんの幸せにも、困りごとにもどちらにも含んで欲しい!

それが、あのときのるいの心の奥底の願い、叫びだったのでは?

ですが、パニック状態だった安子は、一連の表面的な拒絶だけを聞いてしまった。 ああ、言葉を聞いちゃいけなかったのに。

そして、るいのニーズ=命がその瞬間もっとも求めていることは聞かれず捨て置かれてしまった……

自分が別離を告げたのにもかかわらず、るいが「母に捨てられた」と受け止めているのは、ニーズを聞き取ってもらえなかった絶望の深さゆえだったのではないか、とも考えられます。



ちなみに、”含まれること”というニーズは、その後のるいの成長過程でたびたび心に浮上していたのではないかと、私は推察しています。

雉眞の家で大切にされて育ったとはいえ、子ども時代に安心して家族に”含まれている”感覚を持つことは難しかったのではないでしょうか。含まれたい、けれども含まれない……だから、自分から岡山を捨てた。そう思うと切ない。。。

しかしこのニーズを、強い自律した意志とともにはっきりと口に出すシーンがありました。

それは、ジョーの病気を知って宿に駆けつけたとき。

るい「教えてほしかった。一緒に泣きたかった、一緒に苦しみたかった」

インクルージョン。一緒に。
私をあなたの世界に含んで欲しい。
あなたを私の世界に含みたい。

一緒に。
悲しみも一緒に。
もちろん、喜びも。
何が私の幸せかは、私が決める。

ニーズを表現して、そしてそのニーズを手放さなかったからこそ、その後るいは、ジョーと、そしてひなた、桃太郎とともに、またご近所の多くの人々に愛され頼られ ”一緒に” を生きることができているのです。

ニーズをつかんで、それを生きる。
人生でこれより大切なことはない。#カムカムはそんなことも教えてくれています。

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