カムカムエヴリバディ×NVC〜NVCerは、ひなたの身体性を手に入れたい!
連続テレビ小説カムカムエヴリバディは大団円のうちに終了! そして思っていたほどロスになっていない私がいます。
なんというか晴れ晴れとした気分なんですよね。物語の力はさることながら、チームで、本気以上の本気で”いいものを作る”ということを制作陣の皆様に見せていただいた感謝の気持ちでいっぱいです。「人が人を思う気持ち」はドラマの中にも溢れていましたが、そのドラマを支える、つくる方々の中にこそ、「人を思う気持ち」が満ち満ちて溢れかえっていたに違いない。そんなものを受け取ることができて、ほんとうに幸せです。ありがとうございます!
さて。
カムカムに刺激されて、「カムカムをNVCメガネで見るとこう見えるよ」という記事を、主にNVC(非暴力/共感的コミュニケーション)を知らない人、あまり馴染んでいない方向けに書いてきたつもりです。
ネタ(書きたいテーマ)は今回も含めて、あと2つあるのですが、最後の2つは、主としてNVC実践者向けに、提案も含めて書いてみようと思います。
ひなたの身体性に着目せよ!
ようやく3人めのヒロインについて触れます笑。
最後までカムカムを見届けた人には、岡山⇔関空往復の後に、岡山市街を駆け抜けるひなた、そして同じ道をアニー=安子を背負って戻る彼女の不死身の体力(笑!)が脳裏に焼き付いているかもしれません。が、私がひなたの身体性について論じたいと思ったのは、もっともっとさかのぼった初期のシーンがきっかけです。
1つ目は「条映城のお姫様を探せ!」のコンテストに出場した第74話。「だれがお前なんかについていくか! タァーッ!!!」と、舞台上で相手役の文四郎を斬ってしまうところにピンと来ました。
そしてもうひとつは第85話。一恵がすみれにお茶の稽古をつけるシーンで、すみれがキレた後に、一子が登場して、彼女の点てるお茶でみんなが落ち着く。一子のセリフ「お茶は……相手のことを思う気持ち。それだけのもんや」(名セリフ!)を聞いて、突然涙がこみ上げてきたひなたは「失礼します」と立ち去ってしまいます。おいおい、仕事を途中で投げ出したのか!? なんですが、
NVCでは、「すべての行動は、その人が自覚するしないにかかわらず、ニーズに基づいている」と見ます。
これらのシーンは、ひなたが素直に自分のニーズにつながった瞬間、ニーズのままにからだを動かし、リクエストを実行したと受け取れます。
第74話で文四郎扮する若侍を斬ってしまったのは、もちろん時代劇好きでチャンバラ遊びもお手の物のひなたですから、相手の隙きを突いて刀を奪うシーンをテレビで見たり、それを真似してみたことがあるからこその行動だったのでしょう。
その元となったニーズはいったい何かを推測してみると……
「自律」や「選択/自分で決めること」「一貫性」などが思い浮かびます。
「お侍になる」のがひなたの願いですから、助けられたからといってついていくのは、たとえ舞台の上であっても、たとえお姫様に選ばれるためであっても、本意ではないはず。頭よりも先にからだがそれを知って動いたのが、あの鮮やかな斬り捨て御免! なのでは?
(もちろん、それにしっかり反応した文ちゃんもさすが!)
お茶室のシーンはいわずもがな、ですよね。会いたいのに会えない。
「共鳴」「共振」など、ニーズボキャブラリーを並べるのはヤボって感じ。恋は、「性の表現」「命の祝福」にも通じるなぁ。
ニーズにつながったら光速でリクエストを繰り出す
NVCを学ぶと、「ニーズにつながったら、光の速さでリクエストを繰り出せ」などと言いますが、実は、現代人、とくに大人は、なかなかそれができません。
NVCの「観察」「感情」「ニーズ」「リクエスト」の流れは必然で、本来ならばその流れを妨げたり、混乱させたりするものなどないはずなのに、「思考」がこの流れをストップさせることがままあるのです。
「ニーズに従ったからって、いいことなんかないじゃん?」
「ここは大人の判断をしよう。自分の本能だけで動くなんてバカだよね?」とか、「これはほんとうのニーズなの? もっと別にあるんじゃない〜?」等々気を逸らせるようなことを頭の中で囁いてくる存在がいます。
その正体は、「思考」もしくは「理性」、「論理的思考」、「常識」、「大人の判断」など、ご自分の好きなように名前をつけてあげてください。いずれにしても、その声は「いまここ」から響いているのではなく、私たちの過去の経験、そのデータを参照して「やめなよ」「バカバカしいよ」などと言ってきているのを知っておきましょう。
この声に気を取られていると、せっかく掴んだニーズが、どこかへ消えてしまいます。どんな小さなことでもいい。「あ」とニーズにつながった!と思った瞬間に、人差し指をちょっと上げる、頭を掻く、何かを書き留めるなどどんな些細なことでも、その場でニーズを大切にするための行動(=リクエスト)をとることをオススメします。
恐れや防御から起こる反応的行動と、ニーズにつながってからの行動(リクエスト)は異なる
どちらもとっさにとる行動ですが、反応的行動と「光の速さで」ニーズとつながったリクエストの行動は、どう違うのでしょうか。
ひとつには、反応的な行動は、前述のように「過去の情報」に左右されたもので、純粋に「いまここ」からの行動ではない、と言えます。
もっと簡単に見分けるのなら、その行動をとっているときのからだの在り様が違います。からだがバラバラにならずまとまりがあり、かつ、のびのびと自由に動いているのであれば、ニーズを満たす行動でしょうし、からだが制御不能に暴走していたり、固まったり、萎縮して小さくなるようであれば、怒りや恐れからの行動、あるいは何かを避けるための行動でしょう。
これらを見分けるには、ふだんから自分自身をよく観察するクセをつけておくことが大切なんですよね。そして、とっさであってものびのびと自由にできたとき、その感覚をしっかりからだに記憶させておきたいものです。
「よくやった、できた、できた!」と自分で自分に言ったり、人にエピソードを話して、満たしたニーズを外側から言ってもらうのも、「自分はニーズを大切にした、ニーズを大切にできる」ことをからだに刻みつけることになります。共感バディとの対話や共感サークルはこのためにもとても効果的なトレーニングになります。(このあたりは身体性からNVCにアプローチする『共感的コミュニケーション基礎づくり講座』のキモ!なのだ。メイン講師の万里ちゃんからぜひ学んでいただきたいものです。)
思考と身体に「ねじれ」のない状態をつくる
最後にもうひとつ、NVCerがひなたから学びたいことを挙げさせてください。それは、「とにかくやってみる」態度。
それが最も表れていたのは、岡山に里帰りしたお盆の日にカムカム英語の平川先生(の霊)に出会ったシーンだと思います。電源につながっていないラジオから流れる音声を聞き、幻の世界で先生に向かい合い、そしてメモをとって納得したら「とにかくやってみる」。
思えば、ひなたの「とにかくやってみる」は、虚無蔵さんに誘われた映画村のアルバイトもそう。何したらいいかわからないけど、とりあえずお茶でも淹れてみる。
「とにかくやってみる」は、無理にでもやる、ではありません。
からだが、その場その状況を受け入れている。ひなた自身は無意識かもしれませんが、内観から身体と思考に乖離やねじれがないことを感じ、素直にニーズの流れに乗っていくことができる。彼女にはそんな身体性があるように見えました。
3代のヒロインのうち、安子も、るいも、「ねじれ」がありました。それは時代背景や置かれた境遇の影響を、大きく受けていたからとも言えます。
でも、ひなたにはそれがない。るいとジョーからたっぷり愛情を受けて育ったことの証左ですよね。子ども時代は低空飛行だったり、やることが見つからない等の表現もありましたが、一貫して「ねじれ」のない姿がドラマの中で描かれていたと思います。
「ねじれがない」ことこそ、NVC実践者として生きていくのに実はとっても大切なことなのです。
NVCって実はとってもシンプル。
ひなたの道を心軽やかに歩くには、このシンプルさを、ひなたの身体性を手本に学びたいものです!
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