「好きになった人とはいつも上手くいかない」と嘆く女性達の話

 顔がタイプだった彼も、最初は興味なかったけど気づいたら好きになっていた彼も、いい感じだと思っていた彼も……みんな付き合うまでに至らなかった。
 「付き合う」という口約束はセックスという印を押したと共になかったことになってしまうことだってある。

 どうして「好きになった人とはいつも上手くいかないんだろう」

 嫌だったらそもそもデートなんてしないよね? 生理的に無理だったらセックスなんてしないよね? 最初にグイグイきたのは彼の方だよ? だって今日楽しそうに笑ってたじゃない? 次は◯◯行こうねって言ってくれたよ?

 ただ「付き合う」という口約束がないだけで、私達を何も知らない第三者が見たらきっと仲の良いカップルに見えていたに違いない。
 ただ「セックス」という身体を重ね合う行為があっただけで「付き合う」という口約束に効力はなくなってしまったのだろうか。

 どうして「好きになった人はいつも違う人と付き合ってしまうのだろう」

 この間までその隣で笑っていたのは自分だったのに、今は違う女性がそこで笑っている。
 どうしてそんなに可愛くない、その子に、自分には向けないような笑顔を向けているの? と何度も何度も答えの出ない問いで己を突き刺す。

 そしていつしかネガティブな感情は自分を包み込み、濁ったフィルターで見たセカイはとても曇っていて苦くて憎々しく見えてくる。

 どうしてあんなに性格の悪い女性に? どうしてあんなに可愛くない女性に? どうしてあんな太っている女性に? どうして……と、欠点にばかり目が向いてしまい、そして自分で自分を傷つけて自信を失っていく。

 そこには「私はそんな存在以下なのだ」という現実だけが残り、隣に空いた席と心にすっぽり空いた穴だけを残して。


 *  *  *


 そんな「好きになった人とはなかなか上手くいかない」という女性は少なくはないと思う。

 もしかしたらその悩みにすら気づかずに「どうして上手くいかないんだろう」と漠然と落ち込んで悩んでいる女性もいるかもしれない。

 何故、これを綴っているかというと私もそんな女性の一人だったからだ。
 そしてだからこそ気持ちがわかる上で、向き合うべき厳しい現実を綴ろうとなんとなく思ったのである。

 男性は女性が思っている以上にわかりやすい。
 わかりやすいからこそ、女性はわからなくなってしまうのだ。

 例えば男性が「休みの日はいつも家にいるかな」と言ったり「友達と出かけることが多いかな」と言ったとする。
 この場合は言葉通り「休みは家にいる」し「友達と出かけることも多い」のだろう。
 なのに、女性はここから「こう言ってるから独身なのかもしれない」「こう言っているから彼女はいないのかもしれない」と推測する。

 しかし彼は一言も「独身」とも「彼女がいない」とも言っていない。女性側が勝手に話を難しくしているだけなのだ。

 こうして自ら迷宮に入り、彼の言葉に喜怒哀楽し、気づくと壁にぶち当たって破滅していく。
 そしてきっと上手くいかない理由を探しては考え、悩み、時にコラムを漁ったり、恋愛本を読んでみては「彼と付き合えない理由」を探すだろうと思う。

 私の何がいけなかったんだろう? と何度も何度も考えて、そして忘れた頃にはまた新しく出会いがあり、そしてまた同じことを繰り返してしまう。


 上手くいかない理由なんてものは大きく二つしかないと思っている。

 一番の理由は「容姿」だ。
 男性は女性以上に視覚的要因がでかく、どんなに口で「見た目は気にしない」「中身の方が大事」と言っていても彼らにも好みは存在するし、見た目の占める割合は大きい。

 そしてその「容姿」も世間一般的に誰が見ても可愛いor綺麗だと分類される容姿以外は「好み」に左右される。

 好みの枠を超えるような容姿端麗さではない限り、ほぼ彼の好みで決まる。
 もちろん内面を重視する男性だって存在するので、それがすべてではないだろうが、それでも実際に「付き合えていない自分」と「彼の隣にいる女性」を見た時に、その答えは自ずとわかるのではないかと思う。

 もし自分がその女性を不美人だと感じても彼にとっては彼女が美人であり、自分が付き合うほどではない容姿、好みではない容姿というのが事実なのだ。
 そしてもしかしたらそれは自分の驕りに過ぎず、自分の方がただの不美人に過ぎない場合も多々ある。

 自分があの時こう言ったのがダメだったのかな? 自分があの時こうしなかったからダメだったのかな? きっとそうやって何度も悔いて悩むことだろうと思う。

 そんなもの彼にとって可愛ければ大抵許される。大きな要因はそこではない。

 そしてどうしてこんな悲劇が生まれ続けるのかというと、男性は「付き合いたい女性」更には「結婚したい女性」となった場合にはハードルがあがるのに対し「セックスしたい女性」のハードルは低く、許容範囲の容姿がぐんと広がるからなのだ。

 男性もバカなようでバカではない。
 もちろん好みの容姿が一番だけれど、付き合うとなったら好みの容姿だけではなく、他にも求めるものが出てくる。結婚となれば更に増えるだろう。

 Twitter上では割り勘問題と同じぐらい「セックスは付き合う前か後か」という議論があがるが、こんなものは議論するだけ無駄だと思っている。

 彼にとって価値が高ければセックスした後も付き合えるし、彼にとって価値が低ければセックスした後に付き合おうとはならない。
 この「価値」とはもちろん容姿も含まれるし、内面も含まれる。

 考えてみて欲しい。
 付き合う前にセックスをして「この人と付き合う」となるならば、もちろんタイミングの問題はあれど、全く好みじゃない女性と付き合おうとなるだろうか? 容姿を度外視してセックスがよかった付き合おう! となるだろうか? それこそ「都合のいい関係でいいや」と思うのではないだろうか。
 もしそれでも付き合おうとなるとしたら、かなり内面的な相性がいいか、経験値の少ない男性だろうと思う。

 これだけの話を前者の付き合えた人が言う「付き合う前にするしない関係なくない?」なんてものを信じて、後者の人が悩むことになる。
 多くの恋愛指南書にはそういった後者になってしまった人達に向けたセフレから本命になるテクニックの記載があるが、そもそも「付き合いたい女性」の範囲に入る容姿をしていれば、こんなことで悩むこともない。

 それは気づかなければいけない現実で、気づきたくなかった現実でもある。

 しかしこれに気付くことで、いかに振り向いてくれない男性への執着が無駄な足掻きかということを教えてくれる。
 そしてこれに気付いたとて、本来忘れてはいけないのが二番目の理由である「内面」の問題だ。

 容姿の問題に気づいた人ほど陥ってしまうのが「見た目が悪いからだ」とすべて見た目のせいにして、自分の内面の落ち度に気付かないというところにある。
 そして容姿よりも内面の方が自分で客観視するのが難しい。

 何故なら誰もが「自分はまともだ」「自分がおかしくない」「自分は普通だと思う」「あの人よりはマシじゃない?」「誰にも迷惑かけてないし」「会話も成り立ってるし」「友達もいるし大丈夫」なんて思っている。

 自分はおかしくないと思っているし、相対的に誰かと比較して自分はまともだと思っているのだ。

 もちろん自分で自分をまともだと思うことが悪いわけではない。ただ本当にまともかどうかは「自分で決めることではない」ということだと思う。だからこそ「内面」は自分で気づきにくく、矯正するのが難しい。

 そんな内面すらも帳消しに出来るのが容姿の効力だが、彼氏は出来るけど続かないという女性の多くはその効力さえも上回ってしまう内面の問題を抱えているし、そもそも容姿の効力は年齢と落ちてくる。

 まだ幼さが残る20歳女性が天然発言をすれば笑って済ませられることも40歳女性が20歳女性と同じレベルの天然発言をすれば、常識がないヤバイ人なのでは? という見方に変わる。
 それこそが自分では気づかない一面でもあると考えられる。

 あの人はヤバイよねと思っている自分は、誰かにあの人ヤバイよねと言われている。

 年齢を重ねれば指摘してくれる人は希少であり、ほぼいなくなるだろう。
 友人はきっと「大丈夫だよ」「おかしくなって」「まともじゃん?」と言ってくれるだろうし、そう思っていなければ既に友人ではなくなっているだろうと思う。

 こうして、狭いコミュニティの中で「まともな自分」はどうして上手くいかないんだろう? やっぱり見た目かな? とすべて容姿のせいにしてしまうようになる。

 もちろん容姿のせいでも、年齢というハンデのせいでもあるだろうが、すべて容姿と年齢だけのせいで上手くいかないわけではないはずなのだ。

 それでももちろん多くの場合は「容姿」という大きな壁を度外視して、前に進むことは出来ない。
 大した見た目をしていない男性にジャッジされるのは不愉快だが、同じように自分もそうしてジャッジしているからこそ「好み」が存在する。それは仕方のないことだろうと思う。

 だからこそ「好きになった人と上手くいかない」女性は選ばなければならない。
 容姿や内面を含めて「自分を変える」か、好みを改めて「好きになる人を変える」か、を。

 世の中はそんなに甘くない。
 好きな人と付き合えるという幸せを手に入れた女性の反対側には、好きな人と付き合えないという悔いた女性が必ず存在する。

 その気持ちは痛いほどわかるからこそ、こうして綴っているのだが、どうか夢から醒めて欲しい。そしてその悪夢から醒めた時、新たな現実という悪夢が始まるわけだが、その悪夢はもう夢ではなく現実であり自ら作り出せるものだということを、どうか。

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