ゆとりごっち祭2024に向けて。①
昨年10月。開催したゆとりごっち祭を今年もやるかどうか、実は長いこと問答を続けています。
自分にやれるのか?やる意味があるのか?本当にやりたいのか?なぜやるのか?なぜ僕なのか?僕ってなんなのか?なぜ生きてるのか?生きるってなんなのか?
そもそもなぜゆとりごっち祭というものをやろうと思ったのか、もしくはやることになったのか?
やろうと思っていることは本心なのか、何かを伝えたいのか、その気持ちはどこからきているのか。
世の中には、たくさんのやりたい心の込もったナニカが生まれています。そのどれも、良し悪し関係なく、ただ何かの気持ちが形になり、美しく、ただあります。人であったり、動物であったり、植物であったり、目に見えない何かであったり、人の考えに及ばない大きな何かであったり。
まるで生まれることが決まっていたかのように、ただ生まれては消えたり消えなかったりしています。
まわりをみれば、そんな美しいものが溢れている。
だから、僕が何かをやる意味なんかないんじゃないか?
こんな葛藤が前回のゆとりごっち祭やほかの諸々を経て、渦巻いてお腹の中から頭の先まで駆け巡っていくのです。
これはそんな葛藤の記録でもあり、自分自身を見つめる、という問答の場でもあります。答えなんかなくて、知る必要もないかもしれないけど、この言葉に起こしえないナニカを形にするために、向き合う必要があると思っているので、綴ります。
この先、自身へ問いかけたくなった時に、またこうして綴るのでしょう。これが何の役に立つのかもわかりませんが、もしこの勝手気ままな投稿が、誰かの目に心に届く時がきたときには、大切な何かを分かち合えるんでしょうか。