つくるということ・美術と先生
4月ですね。これから美術の先生をはじめるという方、これから美術の勉強を始めるという方もたくさんいらっしゃいますよね。
美術の教師って、
「本当は芸術家になりたかったけど食うのに困るから美術教師しかたなくしてるんでしょう」
と言われることも言うこともなんだかごっちゃになってる時あります。皆さんはありませんか?そしてそう聞いたことはありませんか?
私が美術教育法を習った先生は、何故美術教育を学びにきているのかと言うことについて、痛烈に批判する人でした。
「芸術家を志すというのは幼稚な考えだ。ピカソやロートレックの15歳の時の作品を見れば絵描きになるのは少数でいいと気づくはずだ」という彼の授業のメモ書きを未だ持っています。当然当時の私は彼の言葉に反発したのですが、一方で私自身「少数が生き残るための芸術の世界」の教育には興味はありませんでした。言い換えれば、自分の知りたい美術の価値や教育の世界についてあちこちハシゴして探すしかないなという感じはありました。
東京藝術大学は、入学式で、「この新入生のうちの1〜2人が芸術家になればいい」的なことを学長が言うことで有名です。(「諸君らのうち宝石はたった一粒です。その一粒を見つける ために君らを集めた。他は石にすぎません」 (2009年12月4日 朝日新聞「天声人語」)100人いて残りのほぼ100人は「芸術家になれなかった人」と言う認識がまず生まれるんです。このモヤモヤ感ったらない。この後にどんな展開で締め括られても、なんだかもやっとやっぱりしますねw(確か私の時は全員ががんばろう、まだ宝石は誰かわからない、君かもしれない的な話にすり替わってる感じだったけども、、、、)
一方で、芸術科は大事だ、歴史は芸術の変遷に合わせて歴史の名前も変えてきた。国立の芸術施設が整えられていないのは日本くらいだ。芸術家を保護しない。とおっしゃる芸術学系の先生もいました。
で?じゃぁその国土を育てる美術教師の教育はどうなっていたのか。
ずっと不思議でした。
芸術と美術教育の間が全然スムーズに地続きにならないんですよ。教育学の人の美術教育、芸術学の人の美術教育と棲み分けられている。
結果、「美術教師の本分は教育で子供にあるので自分の表現は後回しです」とか、「美術の教師はゲージュツ家になれなかった人がなる」になって、中学校の教師を辞める時に「僕は皆さんと同じように夢を追いかけます」とか言って締めくくっていくんですよ。もしくは、「アーティストになることは無理だったんで美術教育で一旗あげようと思ってます」とか生徒に言っちゃうんですよ。
私は、美術やものを作るってことは年齢を超えてすっごい大事だと思います。絶対にエンタメやアートは生きる糧になります。つくることは過去の自分と明日の自分を肯定する大事な行為です。困った時に何十年前の校舎のスケッチが支えてくれたりすると信じています。同時に、一握りのアーティストを産むための教育の中にももちろん表現することの大切さは入っています。
ここ、矛盾してるようで一致してるようで不思議なんですけど、芸術家の教育は美術教育の中にちゃんと入ってるから芸術家を諦めるものでもなんでもないんです。だから私は大学三年生の時の美術科教育法のノートにあるメモ書き「芸術家を志すというのは幼稚な考えだ。ピカソやロートレックの15歳の時の作品を見れば絵描きになるのは少数でいいと気づくはずだ」に私は今でも反発します。自ら表現することをしなかったら一体何に教師は生徒を導くというのでしょう。
美術の先生はその言葉で、多くの子供や多くの人々につくることの愛を配れます。
100人のうちの100人が各々のアートの方法で愛を配り、寄り添えばいいだけなのです。100人のうちの1〜2人の芸術家になるっていう割合の話じゃなくて宝石かどうかは結果的についてくるお名前なだけなのです。(そう入学式で話が続いていたとしても、みんなの頭には残らない残念さ)
もちろん、今やってる・研究してることが芸術かどうか考えながら追求するのも同じことです。あなたがやってることが芸術かどうかなんて、結果的についてくるお名前です。
だから、芸術を志す人はみんな安心して一生懸命絵を描いて物を作ればいいし、家の中にものづくりのある家は幸福感に満たされることに自信を持っていていいんだと思います。
さて、共感できないけど未だに私を悩ませてくれてる美術科教育法の先生は坂本小九郎先生でした。