人工知能は介護支援専門員の夢をみるか(Do Artificial Intelligence Dream of Care Manager?)
主任介護支援専門員
社会福祉法人運営の居宅介護支援事業所(単独型)所属・管理者
浦田 龍 Twitter @RYU_PINKDARK
ケアマネジャーという仕事について考え詰めていると、扱うのは結局『人間の心(メンタル)』であるということを何度も再確認するし、それを体得するのは結局「対象からカメラを引いて、全体を映さないといけない」という『身体的(フィジカル)な体験の連続』であるということを何度も再確認します。
今回は、この『身体的な体験』はそのケアマネジャー個人に蓄積されていくので、ケアマネジャーの仕事はどんどん属人化していきます。この属人化をどのように解消していくかをお伝えします。
「責任は誰にあるんですか? あなたはなんのためにうちに来てるんですか? ふんふん話を聞くだけじゃないですか?」
アパートにひとり暮らしの男性利用者Aさんは、本人の希望するヘルパー調整がうまくいかないことを苛立って、ケアマネジャーである私に詰め寄ってきました。
前提条件として、以下のことが挙げられます。
・訪問介護事業所の人員体制から、本人の希望に応じることができない。
・本人の要求過多な気質から、これまで複数の訪問介護事業所が撤退を余儀なくされており、そもそも選択肢がない。
・家族とは音信不通で、他に頼れる親族もいない。
・若いころに大きな怪我をしており、充分に働くことができなかったため経済的な余裕がない。
語気荒ぶる本人を宥めながら、ここで言及される『責任』とは何を指すのか、考え込んでしまいました。
本人の介護生活がはじまってから介入している支援チーム内に、本人が探している『責任』の所在はあるのか。
『責任』を自分の外側に追求しようとする、人間の『心』
この『心』の扱いにこそ、ケアマネジャーとしての苦悩があって、醍醐味があるんじゃないか。(はい、ここからポエム化しないように細心の注意を払いながら続けます)
私は学問として心理を学んできた人間ではありません。
ただし、「学問として心理を学んでいない」ことが弁明にならないほど、このように毎日臨床でケアマネジャーとして「人の『心』に作用する」ことについて要求されています。
そしてまた、「ケアマネジャーとしてのはたらきが利用者の内省の一助になる」ということを、支援という体験を通じて何度も目の当たりにしています。
ペーパーワークを全てAIが担うことになっても、「人の『心』に作用する」仕事そのものがなくなることはないでしょう。ケアマネジャーの仕事を因数分解していって「もっとシステムに委ねられる部分」「人間がやらなくてもいい部分」の精査をして、「人間にしかできない仕事」に集中していく必要があります。
利用者の生活史に触れた際に、
例えば「初恋の人を胸の端に置いたままお見合い結婚をして、当然その人とは一度も会うことなく、数十年添い遂げた夫をしっかり見送った」という話があったとします。
例えば「生後数ヶ月の我が子に飲ませる薬がなく、抱いた腕の中で看取った」という話があったとします。
利用者「ごめんごめん、こんな話誰にもしたことないわ…あんたもいそがしいのに関係ない話聞かせちゃったね。で、何やった? ケアプラン? サインね、どこにしたらいい?」となったときに、人の『心』、人格の中枢に作用している時間を副題にして、ケアプランのサインを主題にしようとすることがいかに表層的なことか、毎度息をのんでしまいます。
我々ケアマネジャーは、「はじめまして」と、その介護生活に介入していき、居宅介護支援の契約に立脚した『ケアマネジャーとして』の関わりが前提であるはずなのに、支援が停滞すると、周囲から『人としてどうするのか』『人としてほっておくのか』と疑念が向けられるという不思議な体験をします。
社会の求めが『ケアマネジャーとして』から『人として』に置き換わる。
そこに人の『心』があるからに他なりません。
支援が停滞する原因が「解決できる社会資源がない」「報酬がつかないから誰も動かない」という『社会システムの歪み』であるはずなのに
「認識しながら放置しているケアマネジャーが悪い」と、責任の矛先がケアマネジャーに置き換わる。
『社会システムの歪み』が原因であることは、実態がないので見極めにくいから、実態のあるケアマネジャーに責任が転嫁される。
この『社会システム』は、結局は『人』が作った集合知なので、一朝一夕で変えられるものではありません。
支援が停滞することがあったら、疑念を支援チーム内で「あの人が悪い」と『人』に向けずに、『社会システム』にこそ向けて、お互いの立場や役割を尊重しながら敬意を払い合えるようにありたい。
「人に迷惑をかけたくない」という基本的な感情が根底にあって、ひとり暮らしのアパートにすら自分の置き場がなくなり孤立を深めてしまったAさんに、ケアマネジャーとして尊厳をもって対話を重ねていく。
後日、自宅を訪問した際に、Aさんが(同行訪問した)訪問介護事業所のサービス提供責任者さんに向かって言いました。
「僕は自分の気持ちをうまく人に伝えられないけど、ケアマネさんがいつも僕の話を聞いてくれている。僕のことはケアマネさんに聞いてほしい」と。
本原稿は、ちょうど社会保障審議会介護給付費分科会における令和6年度介護報酬改定の論点と対応案が出される中で書きました。
この混沌とした状況下で、どのように風を詠めばいいのか。加速度的に変化していく社会に併走することができるのか。居宅介護支援費1076単位を握りしめて、考え動き続けたいと思います。