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アンテナを張っていた結果で独立することになった

株式会社介護屋山﨑 代表取締役
ケアマネジャーを紡ぐ会 奈良支部長
山﨑 理央

令和6年4月1日に奈良県奈良市で居宅介護支援事業所をオープンしました。まさかの急展開で社長になっちゃいました。



居宅介護支援に囚われず働くことの楽しさを知る。

みなさん、こんにちは。
ケアマネジャーを紡ぐ会の奈良支部長をしております山﨑と申します。
私は今年の3月まで【介護屋みらい】でケアマネジャーとして勤めていました。

【介護屋みらい】
江戸川区と船橋市にある単独型の居宅介護支援事業所です。


このコラムを読んでくださる皆さんは、少なからず聞いたことがあるという方から、憧れの居宅で『近くにあったら働きたいな』って考えたこともある人が多いのではないでしょうか。

何せ私も『働きたいなー』とずっと思っていたうちの一人です。

私は31歳? 32歳? の時に【介護屋みらい】を知り、【宮﨑直樹】というケアマネジャーに憧れてから独立に繋がる物語が始まりました。

介護屋みらいで働く。そんな夢が、まさか38歳で叶うなんて思ってもみませんでしたが、これもアンテナを張り続けていたから起こったことなんです。


アンテナを貼り方

①在りたい自身の姿をイメージする
②情報収集する
③機会を逸しない

とにかくこの3つです。

①在りたい自身の姿をイメージする
私は27歳からケアマネジャーとして働きましたが、常に違和感を持っていました。定時を過ぎてもサービス残業して書類を揃えている。実地指導(現在の運営指導)前は毎日居残り書類を整理する。本来は相談援助職であるにも関わらず、書類の負担から相談業務が蔑ろになる。この違和感を違和感のまま終わらせず、この違和感を非日常に変えることが在りたい姿だと考えていました。

②情報収集する
非日常を日常に変換するために、情報収集することは大切です。もちろん自身で解決できればいいですが、私は解決するための近道があるのであれば、時間をかけるよりも情報を集めて心理的にも物理的にも負担を軽減する方が良いと考えています。

③機会を逸しない
ここは一番簡単です。ここに辿り着くために、イメージを深めること、そして情報収集することを常に意識して行動していると、【今でしょ!】というタイミングが必ず来ます。
そこに乗っかるだけなんです。


私自身の経験で言うと、ケアマネジャーという大枠で考えるだけでも、法定研修の講師、ケアマネジャーを紡ぐ会奈良支部長、産業ケアマネの活動、介護屋みらいで働くといった結果に結びついてきました。

そして現在は、株式会社介護屋山﨑の代表取締役です。


介護屋山﨑は【仕事と介護の両立支援】と【居宅介護支援】を提供します。

仕事と介護の両立支援室では、
【暖かい陽が入る 介護のカタチづくり】を理念として、


つむぐみらいでは
【一人一人の介護のカタチづくりに伴走する】ことを理念として、

地域密着型の居宅介護支援からオンラインをフル活用した仕事と介護の両立支援を展開してきます。


実はこれも日頃からアンテナを張って、日頃から自分の中で深めていたことなので、言語化することや具現化していくことには困りませんでした。

独立せずに介護屋みらいで働いて、ケアマネジャーを紡ぐ会の活動や政治の道に進むことも考えていましたが、自分でもびっくりの急展開でしたね。

当初は想定もしていなかった、ケアマネジャーとしての独立です。
これもアンテナを張り続けていたことで選択できたことです。


独立することで意識が変わった

ケアマネジャーの皆さん、産業ケアマネの皆さん、
独立に興味を持ったことはないですか。

介護保険制度の中では、
ケアマネジャーは柔軟な働き方ができる職種になります。
そして、ケアマネジャーの知識や経験は介護保険制度を超えて社会に必要とされています。

これから社会は大きく変わります。
大きく変わることは大変なことですが、変わった先にチャンスがあります。

独立や新たな展開を考えている皆さんには、
ぜひ在りたい姿のイメージから機会を逸しないところまでを意識して活動してほしいと思っています。

早く行きたければ一人で行け。
遠くに行きたければみんなで行け。
〈アフリカの諺〉

私は一人でも多くの仲間と遠くに行きたい。
一緒に遠くまで行ってくださる方は、ぜひ声をかけてくださいね。
これからもケアマネジャーを紡ぐ会をよろしくお願いします。

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