「母の日」が辛い (うつ病で障害者になったら、母に捨てられた話8)
5月9日は母の日である。ネットでも「母の日」という言葉とカーネーションを見る機会が増えた。そのせいで、心がザワザワ波立っている。母に負わされた傷があまりにも深いからだ。
うつ病を抱えながら私は15年以上も働き続け、廃人同様になって退職した。その時母はすでに10年以上も弟に家を無償で提供していた。だから、私にも家賃分を補助して欲しいと言ったら、役立たずはいらない、とあっさり捨てられた。
詳しくはこちら(うつ病で障害者になったら。母に捨てられた話)
稼げないどころか、自分の身の回りの世話もできないお前には一銭の価値もない、といきなり母に捨てられた。
世間話でもするようにいつもの態度で、お前はいらない、と切り付けられた。深く鋭い傷は、いまだ完治していない。母を信じていただけに、完全に不意打ちの傷だった。
自分の存在を根本から否定された。
私はいなくていい人間だというレッテルを貼られた。
私がいなくても、世の中に何の影響もない。
ただの穀つぶしだ。
私はいないほうがいい。
ここまで追い詰められた。
今、私が生きていられるのは夫の全身全霊による支えのおかげだ。感情が不安定で、愚痴愚痴繰り言をいっているかと思えば、突然怒りだす、死にたいと言う、落ち込む。これを夫のテレワーク中であれ、不規則エンドレスで繰り返している私のそばに居続けてくれた。「あなたは悪くない」と言い続けてくれた。
だから私は今、生きている。
* * *
母を許そうと思ってはいるが、許せるようになるのは時間がかかる。だから時々心が揺れてしまう。しんどい。薬でずっと眠っていたい。
ここ最近心の奥底に存在している赤黒いマグマが、母の日をきっかけとして不気味にうねりはじめ、突破穴を探している。
叫ばないように、暴れないように、精神安定剤を多めに飲んでなんとか理性で推しとどめている。
爆発してしまえば、一番そばにいてくれるを傷つける。その人は何も悪くない。何度も矢面に立ってくれた人だ。
だから私は、安定剤をザラザラ流し込んで、強制的に自分をシャットダウンする。私を大切に思ってくれる人を傷つけ、苦しめ、悩ませるようなら私の内臓を少々痛めつけるほうがました。
* * *
幸い、わたしはドクターストップにより、母の介護に一切関わらなくていい。どんな状態になろうと一切関知しない。
夫の扶養家族だから、費用をビタ一文出さなくてもお咎めなし。
災害で実家がどうなろうと、知らない。
葬式にも出ない。だってドクターストップだから。
ほら、こちらもきれいに縁を切りましたよ。かつて「母」だった老婆さん。私は老婆の望みを叶えてあげましたよ。
だから、私の願いも叶えてください。なあに、簡単なことです。私の人生に一切関わらないだけですから。
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