時間を流すと温故知新がはじまるらしい
vol.78【ワタシノ子育てノセカイ】
たとえ誰に何を言われようとも、圧力に屈してはいけない。心をカラッポにする思考停止の圧力なんて、強くしなやかにかわしてしまえ。
自分を見失った時点で、無意識に醜い圧力側になってしまうんだ。自分を信じて貫けば、過去の自分が必ず未来で迎えてくれるから。
大丈夫、がんばれ、がんばれ、がんばれ。
◇
ところで私には「実子誘拐」で6年間離れて暮らす、10代のふたりの息子がいる。
◇
2024年4月8日、長男タロウが高校に入学する朝。私はタロウに珍しくLINEする。
タロウが中学校に入学した3年前、タロウと私は断絶に陥り、結果として約5ヶ月間の音信不通になった。タロウはどんな想いで新生活を送っているんだろう、と私はくる日もくる日もただただ思い馳せる毎日を過ごす。
終止符はある日突然やってきて、タロウがひょっこりと私に会いにきた。それから1年半後ぐらいだったかな。誰もいない家からタロウが登校していることに気づく。
過ぎた時間は戻らないのに、私はなにかできたはずだと、自分の感情の処理に迷走した。断絶に陥ったことではなく、私にできることがあったはずの空白の過去に、時間差で戸惑ったんだ。とはいえ当時の私は私で、精一杯に生きていたのもわかっている。
まぁとにかく苦い思いをしたので、高校の入学では同じ過ちをくりかえしたくなくて連絡を入れた。「今日から高校生やな」という投げかけに、タロウから返信がくる。
「お母ちゃんの家の前通らへん」
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タロウが中学三年生になったころから、私たちは朝の挨拶を交わすようになった。私の自宅前の通学路で、タロウは自転車、私は2階の窓から、いってきますといってらっしゃい。朝の15秒はかけがえのない親子時間となった。
ありがたい瞬間を創出してくれたのは次男ジロウで、ジロウがふと「朝会えるやん」と提案してくれたことがはじまりとなる。登校班の集合場所と私の自宅が対面していて、6年生になった今年度も朝の挨拶を交わしているんだ。
母子の距離は300mあるけれど、会える、と得意げに笑った5年生のジロウを私はよく覚えていて、自分の固定観念に苦笑いした。
2024年3月、タロウとのランチ会。タロウは穏やかに中学生活の総括をはじめ、1年生から順を追って整理し、残すは卒業式だけとなった。話がひと段落して「朝の挨拶はあと2回やな。めっちゃ張り切って声かけるわ」と私が伝えると、タロウは浅いエクボをつくって返事したんだ。
「まだ通学路、決めてへんで」
◇
4月12日。共同親権を導入する法案が、衆議院の法務委員会で可決される。中身は依然として単独親権制度のままだ。質疑による修正や改正はなかった。
正確には修正はあったけど解釈しだいで、法制審からの一連の流れで考えると、悪くしたものを戻した印象しか私にはない。質疑では本質的な議論は一切なく、日本の国力をまざまざと見せつけられた。
親権制度の改正は「国創り」である。
閣法をだした自民と公明は問題を理解しているのに、単独親権制度の法案をだす力量しかなく、立憲と共産は切ないほど不勉強で、反対のための反対しかできなかった。
子と引き離された国民のほうが遥かに学んでいる現実と、議論すらできない議員を選んでいるのは国民という事実に、やるせなくなる。くり返しになるが、今法改正は日本をどうするかの話だ。
とはいえ一縷の希望をみいだすのが私の趣味なだけで、ここまでのいきさつは私の想定の範囲内に収まっているから、落胆はない。
親権制度は親子のカタチをつくるシステム。だけど今法案では「親の権利」も「子の権利」もなんら保障されていない。そもそも違憲立法で条約違反という謎法案となっている。
ちなみに法案では道徳規範が明文化されている。共同親権を望む人々において歓迎するケースはある。だけど私は、国民はアホちゃうぞ?と複雑な気持ち。
とはいえ私も含めアホなのかも。実子誘拐が起きているので。あぁ、世界は矛盾ばかり。
◇
入学式の朝から私に気を遣ったタロウに、ちょっぴり切なくなりつつも、成長しゆく心に感謝する。
しかし母はあきらめが悪いので、500mおはようをすることにした。中3のタロウを毎朝見送った窓から、自転車に乗る準備をするタロウが見えるんだ。アリさんサイズだけど、ちゃんと朝に会えるやん。
ジロウ節にも感謝しながら、そういやジロウは元気なのかと思い馳せる。それこそ300m越しに会う以外は音信不通になっている。
4月10日水曜日の昼下がり。「ジロウ!」と呼ぶ声が窓から聞こえた。慌てて窓から乗り出して外を眺めると、ジロウが友達とすぐそこでたむろっている。おぉ!遊びに来てくれた!?と喜んだのもつかの間。自転車でぴゅーっと駆けてった。
どうやら翌日の遠足のおやつを、友達と買いに行く約束をしたらしく、私の自宅の前が集合場所になったらしい。と偶然出会った我が母から情報が回ってくる。
母が「お母ちゃん、家におってやで」と伝えると、ジロウは「うん。今日はええねん!」と答えたそうだ。いや、私はよくないが、朝の1/100もの近さで一瞬会えたので、やっぱりまぁええか。
ジロウの心には、母親である私が、揺るぎなく確かに、存在しきっているんだ。会えない寂しさはあったとしても、不安はもうないんだろうな。
◇
どうやら最近、親離れしていくタロジロに、気持ちが追い付いていかないらしい。ふとした時に思い出すタロジロは、なぜかいつも7年前のままなんだ。とはいえ今は2024年の4月である。
タロウの高校の先生に家庭の事情をお伝えがてら、共同親権の法改正についてふれた。すると先生は迷うことなく「お母さんが親権者になったら、対応が変わるってことですね」と笑顔で私に質問する。
どうやら今は、生徒の親である私を、差別するらしい。ま、だからこそ私はお伝えに赴いたわけだ。
我が母校でのタロウの入学式は、小雨だけど桜が満開。私が通ったままの校舎を懐かしむ一方で、校庭のクスノキは驚くほど大きくなっていた。
ジロウと300mおはようした30分後、タロウと500mおはようする新学期。どうか健やかな年度となりますように。