今を断たずに紡いでゆけば、未来は希望で満ち溢れる
vol.74【ワタシノ子育てノセカイ】
情熱があるとどんな人生でも歩んでゆける。小さくていいから、胸の中に熱い想いを秘めておくんだ。
現実的か効率的かなんて、いちいち自問自答しなくて大丈夫。自分を温められるほどの想いなら、自分に問わなくてもちゃんと答がやってくる。
心の熱は、痛みを溶かして、柔らかい世界を創造する、やさしい自然のエネルギーだから。
◇
ところで私には「実子誘拐」で6年間離れて暮らす、10代のふたりの息子がいる。
◇
2024年3月15日金曜日。長男タロウが中学校を卒業した。
体育館で向き合う子どもたちを眺めていると、走馬灯みたいに、実子誘拐後の7年の日々が巡りゆく。すべてを糧にして逞しく育つタロウに、私はどれほど育ててもらったことか。
子どもたちはいつだって、希望に満ちた未来そのものなんだ。可能性に溢れるタロウの姿も、同級生の子どもたちの姿も、ただただ喜ばしいのに、私はどうしちゃったんだろう。
涙が溢れて止まらない。
◇
3月12日火曜日、タロウの志望校の受験日。いてもたってもいられなくて、私は朝に応援LINEをしてしまう。実子誘拐後、初めての出来事である。忙しい朝なのに、瞬く間に返信がきた。
前日11日もいてもたってもいられず「顔見に行くわ」とこれまた初めての連絡をした。下校後のタロウはすぐに反応して、よき時間を知らせてくれたから、タロウの好物であるグミを片手に会いに行く。
自分の子と会うだけなのに、思い悩む7年以上の異常性は、タロジロを個人としてリスペクトするための、貴重な自問自答の時間となっている。
結果、応援LINEも、会いにいくのも、実行してよかった。だけど喜ばしい一方で、じきに処理しがたい葛藤も沸き起こったんだ。
私が想像する以上に、中学生のタロウは、母のことを、ずっと想い、ずっと待ち焦がれ、ずっと我慢していたのかもしれないな。
◇
「明日入試やでグミ持ってきたで」と両腕広げて現れた私を、タロウはエクボで迎え、吸い込まれるようにハグに応えてくれた。
グミを手渡されたタロウが「がんばってくるわ」と私に微笑む。タロウから始まる会話として、初めてきいた言葉だったらしく、私は唇が震えだす。
がんばってくることを、主体的に伝えるタロウは、もうすでに15歳だった。
実子誘拐の3ヵ月前の日本を飛びだす関空で、ジロウを抱っこする私の横を、事情を理解しても取り乱さずに、テクテクとついてきた8歳のタロウ。幼いときからいつだってタロウは、自分の意思で歩んで、どんなときも淡々と母を見守る、強くしなやかな子だったじゃないか。
母との日常が消えてから、タロウはどれほどのがんばる場面を、こなして越えてきたんだろうか。タロウを応援で送り出し、挑戦したタロウを迎えるはずだった時間を、たぶん「子育て」というんだろうな。
「がんばってきたから大丈夫やで。せやけど名前だけはしっかり書いてな」とタロウの頭をなでようとすると、伸ばす腕の距離感が違ってて、ほんの少し時間もズレた。
わしゃわしゃと髪をいじられたタロウは「たしかにそうやな」とグミを振る。穏やかにエクボを深めて「水曜日行くから」と未来を残して去ってった。
◇
3月12日。次男ジロウとの密会交流。いつものように迎えに行くと、ジロウがうつむいたまま車に乗ろうとしない。右に左に体重を移して揺れながら、手にもつ交通旗をザッザッと振って、小さな声を絞り出す。
車に乗らへんわ。もうお迎えで会わへん。
なるほど。久しぶりである。とりあえず私が話をしようと持ちかけると、揺れていた体はおさまり、ジロウは訴えかけるような眼差しを私に向けた。
いつものように母のお家でお茶をする。おやつを食べながら対話するうちに、母と会えない日々の悩みについて、第三者に助けを求めてみたいとジロウは希望。具体的な相談先として、法務局の子どもの人権SOSか学校の先生があがり、ジロウは先生がいいと考える。なので私は相談したい先生がいるのかきいてみた。
どの先生でも大丈夫やで!子どもが困ってたら、誰でも助けてくれるはずやで。学校の先生やねんから!
ふたりで話し合って、私が校長先生に打診することになった。ジロウではなく私が伝える理由はふたつあるが、割愛。打診の結果、ジロウの相談は拒否された。学校に関係のない問題だかららしい。
◇
結果報告をタロウのLINE宛にする約束をしていたので、私はジロウにメッセージを送る。
このときのジロウは、母とこの先また会えなくなる不安と闘っていて、放課後の密会をやめる選択肢をとろうとしていた。そんなジロウから「明日ちょっとだけ話す」と返信がくる。
翌日の放課後。私から学校の回答を再確認すると、断られた理由をジロウは知りたがった。ジロウはおかしいと感じたらすぐに「なんで?」と口にする。力強い目で私に問うた。
子どもが幸せになるためのお手伝いを、学校の先生はしてくれるんやないの?
日本の教育では、解を一方的に与えるけど、問を一緒に求めてはくれない。教育制度が単独親権制度という家制度に準じているからだ。
だけどジロウは大丈夫。子どもは助けてもらえる存在だと、幸せになれる存在だと、ちゃんとわかってるんだから。
困っても、諦めるな、考えろ、声をあげ、自分を示せ。
◇
受験の翌日水曜日。卒業式の2日前。タロウと私はランチ会でき、受験の体験談もシェアできた。第一声は「あんな、名前書かんでよかったで。番号だけやったわ」。おどろく私にタロウがあたたかく解説をつづける。
軽やかにお喋りするタロウを眺めていると、私はふと声を漏らしていた。「朝会えるのも、もうちょっとやな」。どの高校に通うにしても、私の自宅前を通る登校だと遠回りになるんだ。
タロウがキョトンとして微笑む。「ん?タロウはまだ、どの道で登校するか決めてへんで」
あぁ、またやってしまった。無意識の決めつけ。あるはずなのに存在しない親子時間のかたわらで、よもや自然に親子になっていく私たち母子。
タロジロの見つめる先は私にとって、未来を照らしつづけてくれるミチシルベなんだ。
◇
受験の話がひと段落し、卒業式の話で盛り上がる。だけど式典後について私が質問したとたん、タロウの回答はこもりだした。なるほどな。なにがなんでも、私は逃げるものか。
卒業式当日、受付でもらったパンフレットに、式典後のお知らせが挟んであった。やっぱりな。
『家族への感謝の手紙を書きました』
母は手紙がなくたって、中学校の卒業を、タロウの成長を、心から喜べるんよ。お腹にいるときから今の今まで、どんなタロウもありのままを、ずっとずっと愛しています。
晴天の下、在校生と保護者の花道を3年生が歩んだ後、子どもたちは親元へ向かい、手紙を渡してスマホを手にしていた。解散後に生徒自らの記念撮影が、学校から特別に許可されていたので。
30分ほど経過して人がまばらとなり、賑やかな雰囲気が収まりかけたころ、タロウにLINEすると既読になった。体育館前のひらけた空間にて、5mほど離れた先にタロウの姿を発見。ゆっくりとキョロキョロしてる。
同級生の中でひときわ小柄だったタロウ。春の兆し香る2024年、母の背を追い越した15歳のタロウが、8歳のときと変わらぬエクボを添えて、輝かしい未来を贈ってくれた。
タロウの存在そのものが、母への感謝の手紙です。