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途絶えた過去がめぐるとき未来が始まるのかもしれない

vol.86【ワタシノ子育てノセカイ

小さくとも声をあげるんだ。世界に自分を知らせると、まだ見ぬ自分が知らされるから。

声をあげるとどこかで響き、世界をふちどり跳ね返ってくる。もし声が戻らなければ、自分がまだまだ薄いだけ。感じとるのも受けとるのも「自分」でしかないんだな。

言葉をつむぎ、想いを解放してしまえ。言葉の厚みが心の厚みで、重ねた言語が自分になるんだ。

ところで私には「実子誘拐」で6年以上離れて暮らす、10代のふたりの息子がいる。

2024年6月21日、17時前。長男タロウから「来て!」とやぶからぼうなLINEが届く。次男ジロウと母まどかの誕生日の夕食会は、どうやら決行されるらしい。

15時半のお迎えにワクワクしていたジロウから、自宅待機の指令をうけた21日の早朝。家族による母子の予定が唐突に変更するのは7年以上の常であり、変更の理由に合理性などはあったためしがない。説明がしにくいうえに納得もできないからか、変更や中止があってもタロジロは、いつしか理由を私に伝えなくなってしまった。

一方の私も何が起きたかを察する能力が、異常に訓練されているので理由を尋ねるなど野暮なのである。

とはいえ予定変更の理由を伝える作業は、人間関係を構築するスキルでもある。理由には主に原因と結果の2パターンがあるのだから、せめて結果という希望は伝えられるようになってほしい。

今回のケースなら、変更になった原因は伝えずとも母子で共通認識できているので、まぁよしとできる。だけど変更してどうなるのかどうしたいのか、はこれから起きることなので伝えないとわからない。

私はいつもいつも、タロジロの思い描く未来を、タロジロが表現できるようになってほしいと願ってる。

出だし乱れた夕食会だけど、何事もなかったかのようにして、私たちは久しい親子の再会を喜んだ。

ジロウが自宅から飛び出してきて、タロウは優雅に玄関の鍵を閉めている。「ジロウの誕生日やで!生まれてきてくれてありがとう!」と迎える私に「今日はお母ちゃんの誕生日やし」とタロウがはにかんで「ジロウのお祝いもするけどな」とジロウが太陽みたいな顔をする。

幼いタロジロと毎日お散歩してたあぜ道で、わちゃわちゃとはしゃぐ私たちに、一日の終わりを告げる夕日とは裏腹の力強い光がさしてくる。

ジロウの好きなチョコレートケーキを3人で買いにいって、焼肉屋さんでタロウにお肉を焼いてもらって、ジロウが3日前に急きょ決めたプレゼントを無事に開封して、実は23日が誕生日のいとこも一緒にケーキを食べて、みんなでジロウの指示を受けてプレゼントを組み立てはじめたら、久しぶりの夕食の時間はなんでか終わりに向かっていた。

制限時間が近づくにつれてタロジロはぴりぴりしはじめる。久しぶりに見る変わってしまった変わらぬ姿。巣立ち準備するタロジロにいまだ覆う鳥かごが、どうか二人の足かせとならず羽ばたける糧となっていますように。

2026年から施行予定の共同親権を導入した改正民法には、潔さすら漂う欠陥がある。父母が存在しないのだ。

父母とは一体なんたるか、の定めがない。というのも改正民法の枠組みが、単独親権制度を払しょくしきれていない家制度のままだからだろう。

家制度における家族では、ヒトではなくイエを存続させることが目的となる。そして目的に向かって私たちは歩いていくので、イエという架空の器が日本で暮らすヒトの価値観となるんだ。

むしろ個人が存在してはならないから、父と母がいるはずもなく、イエを構成する夫婦がいるのみとなる。父母に個別の中身があってはならず、夫婦という器に入ってさえいればいいんだ。77年ぶりの世紀の法改正が大失敗できた理由でもある。

中身のないイエを求めてきた日本は、確たる安心を掴もうとも握ろうとも空振りする。だからこそ実体のある父母の存在に脅威を感じてしまうのか、不安のあまりか父母を夫婦というイエに取り込んでしまったんだ。

改正民法が施行されるまで2年を切った。日本はこのまま、家制度に呑み込まれていくんだろうか。

バタバタと帰り支度をするタロジロを送り届けると、玄関の足元にある小さなはめ込み窓から、ふたりして窮屈そうに顔をのぞかせた。

面会交流してたタロジロが幼い時期、私たちははめ込み窓越しにジャンケンをして、勝ち負けがついたら手のひらを高速で振り合って、さよならをする習慣を自然とつくった。

そしていつしか面会交流がなくなり、いつぶりだかわからない面会交流で、タロジロは当たり前のように小さな窓から顔をのぞかせた。このときにはすでにタロジロは窮屈そうで、窓一面がふたりの体で覆われていたんだ。

窓に収まりきらないふたりの姿に時の流れをかみしめて、はめ込み窓でのジャンケンばいばいすら、もう思い出になってしまったんだと気がついたのは、2年くらい前だったかな。

久しぶりにジャンケンしてくれる15歳のタロウと11歳最終日のジロウは、以前よりもっともっと窓に収まりきらなくなっていた。タロジロが窓から見つめる風景は、どんな記憶となって、タロジロに積み重なっているんだろうか。

育ちゆくタロジロに感謝しようと自宅に戻ると、テーブルの上に並んでいる組み立て途中のプレゼントが目に入った。

時間配分に失敗したジロウは、プレゼントをもって帰りたいけどまとめる時間がなく、タロウからは作りかけではなく完成品を持ち帰るよう押される。やりだしたら終わるまでやりつづけたいジロウは、泣く泣くプレゼントを置いて帰っていったんだ。

「完成するまで置いてたら、いつでもお母ちゃんとこに作りにいけるで」とタロウが指し示す未来に、ジロウはしぶしぶながら納得したらしい。

私たちは、私たちで、私たちの時間を創り上げるから、大丈夫。



ジロウラボにて時間と闘う11歳の最終日
小学生の指示にテキパキ従う中高生サポーター

これだけは覚えておいて。ママはあなた達を本当に愛していること。ママは寂しくていつも泣いてるよ。今あなた達とお話しできてとても幸せな気持ちになっていること。あなた達に会いたいよ。あなた達にまた会える日が待ち遠しいよ。

突然の告知にもかかわらず
6名もの親御さんに参加していただきました
☆7月も続行決定☆

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