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「HSPでよかった」と心の底から思える日は来るだろうか


 秋は消滅したのだろうか。

「紅葉見に行きたいねえ」と妻と話していたが、気づけばその木には電飾が巻かれていた。日本はいつか秋と春がなくなってしまうのかもしれない。「季節外れ」とか「2月上旬並みの寒さ」などの言葉が、いまいちピンとこなくなる。

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 先月会社を退職してから、手足の震えは少なくなった。ただ今でも前職のことを時折思い出しては頭が痛くなる。全て苦しかった記憶かといえば、そんなことはないのだが、人の感情、仕草、言葉を振り返る度「どうしてあんなことになってしまったのだろう」「もう少しこうしていれば」と後悔が多い。そして「あの言葉、行動の意味はなんだったのだろう」と、答えの出ようのない問いを自分で作り出しては心を働かせている。

 退職をしてから私はだいたい家にいるか、図書館にいるかの生活を送っている。朝家事を済ませたら図書館に行き、こうして文章を書いている。お昼は自分で作って持ってきたおにぎりをもさもさと食べ、夕方くらいまで館内で過ごしている。

 最近だんだんと自分の中でこのリズムができてきてとても嬉しく、朗らかだ。マルチタスクを行いながらなど、複雑な生活は私には向いていない。やるべきことを、ひとつずつやるのが性に合っているようだ。


 帰り、スーパーでの買い物も済ませ、夕飯の準備を進める。退職してから、こうしてひとりの時間が本当に増えた。誰とも会話しない。むしろここで文章を書いていることが一種の「会話」なのかもしれない。

 私は人と話すのが好きだが、人の細かい言葉や行動を深読みして勝手に傷ついてしまう。私はHSPの中でもHSS型なのだろう。

 HSSとは、High Sensation Seekingの頭文字をとった略称で、日本語では「刺激探求型」というらしい。刺激を求める外交的な性格である一方で、傷つきやすい方をそう呼ぶそうだ。

 昔は自分を「〇〇だ」と認識しようとすることを怠っていたが、最近自分にすとんとハマる特性を理解し、自身を落とし込むことで安心している。私はずっと、涙が出る理由がわからなかったから。


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「もうイルミネーション見れるかな!?」

 ふと話しかけられ、私は自分がひとりではないことを思い出す。妻はきらきらと輝いているものが好きだ。その感性はよく私を引っ張り上げてくれる。ネットで調べてみると、どうやらもう点灯している地域もあるようだった。

 この話をしていた時は11月の、まだ中旬。同じく「見に行きたいねえ」と話していた紅葉の見頃は11月の下旬だった。文化が季節が追い越している。

 気温は10℃を下回った。暑がりで汗っかきの妻も、流石に洋服を2枚以上着ている。「これくらいの気温がずっと続けばいいのにね」と言う妻の台詞を、私は自分の人生と重ねる。この平和がずっと続けばいい。あやうくこれだけのことで目から溢れそうだった。


 私たちはイルミネーションを見に、お洒落をして出かけた。目一杯のお洒落。いつか子を授かれた時、こうした時間がなかなか取れなくなってしまうかもしれない。

 一瞬一瞬を大切にしていくのだ。妻が笑っている。このたったひとつの場面ですら、私は胸を必要以上に動かしていただろう。

 あなたは何を考えてる…?私は今、どんな言葉をあなたに贈ろうか。人と話をすること、妻と話をすることがこんなにも愉しく喜びであるというのに、私は相手の気持ちが完全にわかりきれないこの世を時たま恨んでしまうことがある。ただ自分の考えが筒抜けになってしまうことも怖い。私はきっととても汚れていて、それは裸でいることよりよっぽどなことである。



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 イルミネーションが点灯するまで時間があったので、途中カフェに寄った。ちょっと背伸びをしたカフェ。紅茶とケーキを合わせて1500円くらい。上品なポットと、洗練された食器。味どうこうより、"こうしたおもてなし"をしてくれるだけで——私はあわてて目をぎゅっとつむった。私は幸福に怯えているのかもしれない。

 皆笑っている。皆優しそうだ。私もその一員に見えているだろうか。私は妻のとなりで、「夫」に見えているだろうか。私は自分の左手の薬指を確かめる。この指輪を買った時、どんな想いだったか、そして妻に渡した時、誓ったもの———、光沢のある艶々とした津波が私の心を一気に包み込む。目と目の間が、燃えるように熱くなった。



 日も落ちてきて、私たちはイルミネーションが盛んに創られている場所までゆっくり歩いていった。

 妻はクリスマスが好きだ。幼い頃、よく家族でクリスマスはパーティーをしたらしい。そうした記憶が今の彼女を包んでいるのだろう。くるくると身体を回しながら辺りを見渡す。俳優のように「綺麗だね。連れてきてくれてありがとう」と彼女は言う。私はお茶の間の"いち"視聴者のような気分になり、その言葉がまさかたったひとりの私に向けられているなんて。

 そういうことを考え、私は目の周りで滴るものを冬のせいにしようとした。


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 今まで、散々傷ついてきた。

 どんな会社、職場に行っても続かなかった。些細な一言で傷つき、また自分の些細な一言にひどく後悔をした。「気にしすぎ」「考えすぎ」と言われ、自分でも呆れるくらいそうであるのに治らなかった。


「そのままでいいんだよ」

 私はよく、落ち込んでいそうな人にそう声をかけた。私は人に優しくする時、自分が言われて嬉しいことばかり考えて話している気がする。そう思う度、私が救いたいのは目の前の人ではなく、自分自身なのかもしれないと焦り、自責した。私の優しさは「本物」ではない。だから私の胸が皆に筒抜けになってしまうなんて——と考えると嗚咽しそうになるのだ。



 音楽とともに、街が煌めいている。

 私はそれを眺め、やはり潤ませていただろう。どうしてこんなにも私はと、ぐしゃぐしゃにした過去を馳せる。だが不思議と、イルミネーションを見ていると胸がほどけていった。こうして冬に見にくること、その記憶にあるのは私にとって妻しかいない。私は散々と嫌な記憶があるが、これからたくさん健やかな記憶で上書きしていく。


 できるだろうか。そうしたいな。

 情景を、いつも涙が追い越してくる。「今泣くところ?」と妻は言わない。どんな時でも泣いていいと言う。だからあなたは、笑っていても、泣いていても、楽しんでいても、どんな時でも私の瞳にきらきらと映るのかもしれない。それはまるで、四季を置き去りにしているかのように。きっとあなたは、自分自身を生きて証明しているから。「あなたらしくないね」と誰かに言われたとしても、きっとあなたは「これも含めて私なのよ」と言うかもしれない。そんなことを考えて、私はくすりと笑った。

 こんな自分を私は時たま俯瞰で見て、「世話の焼ける人だな」と思う。自分がHSPだとわかってから、私は自分の心を整理できるようにはなってきたが、そもそもHSPでなければこんなことを考えなくてもよかったのになと思いそうになる。だからまだまだ——、私には伸び代があるだろう。


 ぜんぶの季節じぶんを愛したいから。

 ああ。つまり秋がなくなってしまうのは寂しい。ただイルミネーションを見て、久しぶりに気分が高揚しただろう。





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詩旅 紡
作家を目指しています。