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あの世からとどいた短冊

 父がデイサービスから短冊を持ち帰ったのは、8月に入ってすぐのことだった。

 松本市には、子どもの成長を願って七夕人形を飾り、「ほうとう」という名前の郷土食を食べる慣わしがある。「ほうとう」といえば、野菜たっぷりの鍋に平打ち麺を入れて味噌で煮込んだ山梨の郷土料理が有名だが、松本市のそれは、冷たい極太麺に、あんこ・きなこ・ごまをまぶした、いわば”うどんでつくったおはぎ”のことで、七夕の日にしか食べない。七夕人形がある地域も少ないらしいが、甘い麺も珍しいらしい。

 私が幼い頃は、毎年母が、七夕様と笹を飾り、「ほうとう」を作って家族で食べた。父は、松本出身ではないが、私が生まれてからは一緒に食べてきた。

 今日では、七夕人形は観光用に商店の軒先に飾られはするものの、自宅で飾る家は少ない。「ほうとう」も、私が子どもの頃は、七夕の日の給食メニューだったが、恐らく、今の子どもたちは、一度も食べたことがないという子がほとんどだろう。それでも、今でも、年寄りと同居している家などでは、旧暦の8月7日に七夕をすることは珍しくない。

 8月に入り、父のデイサービスでも、七夕の願いごとを短冊に書いたらしい。

「健康で有ります様に」

 シンプルな銀色の短冊には、いつもの父の字でそう書かれ、フルネームで父の名前も添えられていた。

 わが家に子どもはいないが、介護をするようになってからは、毎年、玄関に七夕人形を飾り、「ほうとう」も作って父と2人で食べている。私は、玄関の七夕様のとなりに、父の短冊を飾った。

 ところが翌週、父がデイサービスから戻ると、バッグの中には、また七夕の短冊が入っていた。今度は、薄紫色の縁取りがついた赤い紙に、笹飾りのイラストまで付いたかわいらしい短冊だった。そこには、

「デイにずっとかよえますように」

と、書かれ、今度は亡母の名前がフルネームで書かれていた。

「えぇ?!」

私は、思わず笑った。

「お父さん、今日の老人会で、これ、どなたかが書いてくださったの?」

 そう言って父に短冊を見せると、父は

「俺の字じゃあねぇなぁ…」

 と言ったものの、よくわからない様子だった。最近は認知症が進み、帰宅したばかりでも、その日のデイサービスの内容を思い出せない日も珍しくない。だから、今日も忘れてしまったのかもしれない。連絡帳を見てみたが、亡母の短冊については、特に何も書かれてはいなかった。

 書かれた字の雰囲気からすると、恐らく、デイの職員が書いてくださったものではないようだ。父から、他界した妻の名前を聞いて、ほかの通所者さんが「父に対する亡母の願い」として、書いてくださったのだろうか。父は、”デイサービス”という言葉を知らず、いつもデイのことを”老人会”と呼んでいる。だから、書かれている願いごとも、父が言った言葉ではなく、書いてくださった方か、職員さんたちが導き出してくださったものだろう。それにしても、何とも、おもしろいことを考えついたものだ。

「あの世から、短冊が届いたよ!」

 私は笑いながらそう言うと、同居する弟にその短冊を見せた。そして、父の短冊のとなりに"亡母の短冊”を飾った。

 七夕人形の横で、父と母の短冊がゆらゆらと風に揺れていた。私はクスッと笑うと、このまま8月いっぱい飾っておくことにした。

 8月下旬、今月も、担当のケアマネージャーさんが、父の様子を伺いに訪問してくださった。ケアマネさんには、いつも、自宅での父の様子や、父がデイサービスを楽しめていそうかなどを伝えている。

 今回は、「あの世から、短冊が届いたんですよ!」と笑いながら、私は2枚の短冊を見せた。ケアマネさんは、少し驚いたような、不思議そうな顔をした。父は2か所のデイサービスに通っているので、これはどっちのデイから持ち帰ったものかと聞かれた。

そういえば、どっちだったかなぁ…?

 少人数のデイAは、派手さはないが、いつも細やかな配慮をしてくれる。もう一方のデイBは人数が多く、花見にバーベキューにと、陽気で賑やかなイベントが多い。「亡母の短冊を書く」などという、ちゃめっけたっぷりな企画を考えつくとすればデイBだろう。でも、そういえば…、珍しいなぁって思ったような気がする…。

 するとケアマネさんが、

「お母様と、同じお名前の方がいるってことは…」

と、ポツリと呟いた。

「!」

 どうして、思いつかなかったのだろう。ケアマネさんが帰ると、私はすぐに過去の連絡帳を確かめた。すると、短冊を持ち帰ったのは、陽気なデイBではなく、デイAの方だった。

 そういえば、以前デイAに行った際、廊下の掲示物の中に、苗字までは覚えていないが、亡母と同じ名前があったような気がした。

 翌日は、父がデイAに行く日だった。私は、連絡帳に”あの世からの短冊”を挟むと、メッセージを添えた。帰宅した父の連絡帳には、「ほかの通所者さんのものでした」と記されていた。母と、同姓同名だった。

 こうして"あの世からの短冊"は、お盆の数日前にわが家にやって来て、お盆が明けて1週間ほどして帰って行った。

 もしかすると、キュウリよりも早く走る馬に乗り、ナスよりも遅い牛に乗って、母は本当に、私たちに会いに来てくれていたのかもしれない。







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