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【22】恋を知らない小鳥~幼馴染の愛に包まれて~

第22話 消えた宝物

 詩陽が甲斐に監禁されている頃、伶弥はまだ会社にいた。伶弥はデスクに置かれた書類から目を離し、今は誰もいないフロア内を見回す。

 昨夜の可愛らしい詩陽に想いを馳せ、伶弥は熱い息を零す。物心ついた時には既に詩陽に想いを寄せていたのだから、片想い歴はかなりの長さを誇っている。

 正直なところ、鈍感な詩陽に伶弥の想いがどの程度届いたのかはわからない。これまで冗談のように伝えてきた自覚はあるから、それも自業自得だと思っている。

 それは恋愛方面に疎く、男性恐怖症になってしまった詩陽を思えば、仕方がないことだった。距離を置かれるよりは、想いが伝わらない方がいい。そう思ってきた。過去に戻ったとしても、伶弥は言葉遣いを変え、警戒心を抱かせないまま、ひっそり守ることを選ぶ。

「それにしても、昼間の詩陽は……」

 昼休みに廊下で騒いでいる詩陽たちを見た瞬間、会議前で時間がないというのに、つい声をかけてしまっていた。何かを疑っていたわけではないが、昨日の今日だ。エッチが下手だったとか、気持ち良くなかったなどと言われていたらと思うと、気が気ではなかった。

 結局、騒ぎの内容を把握できないどころか、仲が良くないとまで言われてしまった。

 詩陽が二人の関係を周囲に隠そうとしていることは知っている。やはり嫌われている自分との仲がいいと思われると、仕事がしにくくなるのだろう。

 自分は何を思われても構わないが、仕事が大好きな詩陽の居心地が悪くなることは全力で避けたい。本当は自分のものだと言い触らしたいが、グッと堪えているのはそんな思いがあるからだ。

 いつもなら全速力で仕事にキリをつけ、夕飯づくりのために帰宅するのだが、今日はどうしても不安でズルズルと会社に居残っている。

「どこが鬼上司なんだか」

 伶弥ははぁっと大きな溜息を吐き、腕を組む。背もたれにもたれると、古い椅子が軋んだ。詩陽にはこんなにも情けない姿は見せられない。悩んでいる姿も、落ち込んでいる姿も、弱気になっている姿も。

 伶弥には塩対応の詩陽ではあるが、本当は心配性であるし、優しいこともよく知っている。もし、自分が原因で伶弥が悩んでいると知ってしまったら、とんでもなく気にして、落ち込んでしまうはずだ。

 だから、へらへらと笑って帰れるようになるまで、伶弥はこうして仕事をして過ごしているのだ。とはいえ、先程から詩陽のことばかり考えていて、仕事にならないのだから救いようがない。

 伶弥は腕時計を確認し、コツッと文字盤を突いた。すでに十九時半を回っている。いつもなら、二人で夕飯を食べる時間だ。詩陽は定時で帰って行ったから、今頃困っているかもしれない。いや、料理しようと奮闘している可能性もある。

「下手なのが、また可愛い」

 伶弥はククッと笑い、先日作ってくれた料理を思い出した。一生懸命作ったことはわかるし、恐らく作り方も間違ってはいない。

 それなのに、昔から詩陽の料理は一味足りないのだ。詩陽が作った料理なら、例え激マズでも、激辛でも完食する自信がある。どんとこい、詩陽の料理。少々現実逃避をしていたことに気付き、伶弥は両手を挙げ、背筋を伸ばす。

「逃げていたって、何も解決はしないな」

 そろそろ仮面を被ることができそうだ。被らないと、がっつきそうで怖い。実は仮面は詩陽のためだけではない。自分の抑制のためでもある。

 詩陽一筋で生きてきた伶弥は、当然、昨日が初めてだった。上手くできるか不安ではあったし、気持ちよくしてやれるか、心配でもあった。何より、初めてだと知られるのは絶対に避けたいことだったから、とにかく必死だったのだ。

 上手くいったかはわからないから、こうして帰るのが怖いわけだが、いつまでも帰らないわけにもいかない。とにかく平然を装って帰るしかない。

 伶弥は何度目かわからない溜息を吐き、重い腰を上げた。
 
 

「ただいま。ん? あれ、詩陽?」

 リビングのドアは擦りガラスの部分があって、光が漏れているはずだ。それにも関わらず、現在、廊下は暗く、リビングからの灯りは一切見えない。

 伶弥は言い知れぬ不安を感じ、足早にリビングのドアを開けた。ドアが開く音がやけに大きく感じた。ヒンヤリとした空気は朝から一度も温かくなっていないことを窺わせる。

 目を凝らしても見えにくいほどの暗闇に違和感を抱き、カーテンの引かれていない窓に視線を遣る。雲が月を隠しているせいで、月明かりすら入ってきていないようだ。

「詩陽」

恐る恐る呼びながら、ソファーの陰に回り込んでみるが、そこに倒れる詩陽の姿はなかった。それからリビングの至る所を確認したものの、物の動いた形跡のないことが詩陽の帰宅を否定していた。

「詩陽!」

 伶弥は何度も詩陽の名前を呼びながら、家の中を見て回った。キッチン、ダイニング、二人の寝室に空き部屋。洗面所と浴室にもその姿は見つけられず、トイレまで見たところで、遂に伶弥は頭を抱えて、その場にしゃがみ込んだ。

「もしかして、怒って帰った……?」

 むかつくほど痛かったとか、実はすごく怖かったとか。伶弥の中で、様々な可能性が飛び交うが、どれが答えなのかは判断できない。

「もう近寄るなって言われたら、どうする」

 伶弥は深い溜息を零し、ガシガシと頭を掻く。ずっと我慢してきたのに、西村と仲良くしているところを見て、限界に達してしまったのだ。少しずつ、少しずつ、自分にだけ慣らしていくはずだったのに。

「いや、俺のことはどうでもいい。今、一人にしておくのはまずい」

 詩陽の隠し撮り写真と怯える詩陽を思い出し、伶弥は勢いよく立ち上がった。謝って許してもらえることでありますようにと内心で祈りつつ、リビングに放り投げていた鞄からスマホを取り出した。

 呼び出し音が止み、留守電の音声が流れるのを聞くと、脈拍が急激に速くなった。今は二十時を過ぎている。詩陽はもともと物欲もないから、伶弥が誘わない限りショッピングに行くことはないし、飲み歩くタイプでもない。

 要するに、仕事以外で帰宅が遅くなるはずがないのだ。ストーカーのことがあって、一人で出歩くことを怖がっている今は尚のこと。

 強い焦燥感に襲われ、伶弥はリビングの中をウロウロと歩き回る。何気なく見たローテーブルの上に置かれた柴犬の置物に気付き、それを手に取った。

 二人で百円ショップに行った時に、珍しく詩陽が気に入ったものだった。もっといい物を買ってやりたいのに、詩陽が欲しがる物はいつも安いものばかりで、プレゼントになるような物を強請られたことがない。

 伶弥は柴犬を手の中で転がし、行方のわからない詩陽を思い浮かべる。行先を言わずにいなくなっただけでもおかしいのに、電話にも出ない。考えたくはないが、まず間違いなく、トラブルに巻き込まれている。

 伶弥はソファーに座ると、再びスマホを操作し、警察に電話をかけた。ストーカー被害の話をすれば動いてくれる可能性が高い。手がかりがなければ、警察も探しようがないかもしれないが、警察が動いてくれるのとそうでないのとでは、大きく異なる。

 警察は詩陽のマンションを訪れてくれるというから、伶弥もそちらに向かうことにした。財布とスマホだけ持ち、マンションを飛び出す。

 駅に向かいながら、もう一度詩陽を呼び出してみた。呼び出し音を聞きながら諦めかけた時だった。不意に音が途切れたため、伶弥は耳にスマホを強く押し当て直す。

「詩陽! 今、どこにいる⁉」

 夜道に伶弥の切羽詰まった大きな声が響いた。それに急くような革靴の音が重なる。

 事件に巻き込まれていないなら、後からいくらでも怒られてやる。ただ何かに怒っているだけなら、帰って来ない理由を聞き出し、謝るなりフォローするなりして戻ってきてもらえばいい。事件に巻き込まれてさえいなければ。

 そんな僅かな希望も、スマホの向こうから聞こえてきた低い笑い声が掻き消した。

「誰だ!」

 耳に入った瞬間、反射的に怒鳴り、立ち止まる。鼓動が体の中で騒がし鳴り、手がかりを逃したくない伶弥にとっては酷く耳障りだ。

「可愛い詩陽は、僕のものだ。ずっと狙っていたのに……横取りしたのはお前だ」
「ふざけんな! 詩陽はお前のものじゃない。今どこにいるんだよ。詩陽を出せ!」

 詩陽のスマホに男が触っている。それが、どれだけ異常な状況であるかは考えるまでもない。

 伶弥は耳を澄ませて、男の言葉以外の情報も得ようと試みた。だが、電話の向こうは静まり返っていて、詩陽の気配は感じ取れない。

「僕と詩陽の新居だよ。二人きりの新しい生活が始まるんだから、邪魔しないでくれるかな」

 男の声からにやけていることが伝わってきて、感情のままに怒鳴り散らしそうになる。ストーカーの異常性は過去の事件で知っているつもりいたが、やはり慣れることはないようだ。

 自分が被害者なら、いくらでも耐えてやるが、標的が詩陽である以上、伶弥はどんな些細なことでも我慢ならない。

 それから、伶弥は短い時間で、必死に考えた。怒鳴っても、男の言うことを否定しても、恐らく電話を切られておしまいだ。

 それなら、男の気を引いて、なんとかして居場所を突き止めるしかない。この電話を切られてしまったら、もう繋がらなくなる可能性が高い。

 伶弥は心の中で、呪文のように『慎重に』と繰り返す。詩陽を失うかもしれないという恐怖が手を震えさせるし、詩陽の状況を想像してしまえば、焦りと憂慮で胸が張り裂けそうになる。

「詩陽も嬉しそうにしていたから、君も心配しなくていいよ。じゃあ」
「ま、待て! お前、詩陽の写真を集めるのが好きなんだよな?」

 男を怒らせて、詩陽に危害が加わることだけは避けなければならない。絶対に失敗は許されない。緊張のせいで呼吸が乱れているが、唇を噛み締め、こっそり大きく息を吸った。

「いくら撮っても、足りないくらいだね」

 この言葉で写真を送り付けてきた犯人であると確信した伶弥は、ゆっくり息を吐く。

「小さい頃の詩陽の写真、見たくないか?」

 まるで詩陽を売るようで胸が痛いが、こうする以上に、男の関心を引ける話題がなかった。伶弥は目を閉じ、詩陽の顔を浮かべる。

 泣いて、パニックになって、吐き気と過呼吸で壊れそうになっているかもしれない。もしこの会話を聞いていたら、更に精神的な傷を増やすことになる。

 願うは詩陽の無事だけ。そんな矛盾した言動に、自分を殴りたい衝動にかられた。

「小さい頃の詩陽? 今も未来もいくらでも撮れるけど、過去は戻れないからな……見たい」

 男が言い切った瞬間、伶弥はこっそり拳を握った。

「それなら、今から持っていこう。場所を教えてくれ」

 そう言いながらも伶弥はすでに歩き始めていた。今にも走り出しそうになるが、必死に抑える。

「このスマホにデータを送ってよ」
「昔の写真だから、データでは残ってないんだ」
「……わかった」

 男の返事の前の数秒が、ひどく長く感じられた。それでも、なんとか了承の返事をもらった伶弥は男の自宅を聞き出し、血の気が引いた。

 まさか詩陽のマンションの目の前だとは思っておらず、そんなところにしばらく住まわせてしまったことを激しく後悔した。後悔したところで、どうしようもなかったことだとわかっていても、詩陽を恐怖に陥れた原因は、自分の配慮のなさにもあると思ってしまう。

 伶弥は警察に電話をかけて居場所を伝えると、力強く地面を蹴った。
 
 
 

#創作大賞2024 #恋愛小説部門

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