山梨が果樹大国である理由とその歴史
あたりを見渡せば、そこには桃やぶどうの畑。
山梨がなぜ果樹大国となったのか、その理由と歴史を少しのぞいてみます。
山梨の果物はなぜおいしい?
山梨県の中心には甲府盆地があり、桃やぶどうを中心とした果樹栽培が盛んです。
(緑の山々に囲まれた、窪んだ赤丸の部分が甲府盆地)
果樹栽培が盛んなのは、以下のような理由があるようです。
・昼と夜の寒暖差が大きい→夜の気温が低いと、昼間につくった甘みの元となるでんぷんを消費せず蓄積することができる
・年間日照時間が日本一*→太陽光は、果物が光合成をして糖分をつくりだす重要なもの
・年間の降水量が日本一少ない*→土壌の養分が流されず吸収率が上がる・湿度が低いと病気のリスクもさがる
特に果樹栽培がなされているのは笛吹川東部で、桃が有名な一宮町(笛吹市)やぶどう栽培が盛んな勝沼町(甲州市)もここに位置します。
(一宮・勝沼はだいたい赤丸の辺り)
東部には、笛吹川に合流するいくつもの川があります。それらが山の谷間から運んだ砂礫が積もり、「扇状地」を形成します。扇状地は水はけがよく、これも果樹栽培に適しているもう一つの理由です。
余談ですが、「笛吹川」の由来は「増え吹き川」=「大雨が降ると、東方の山々から”吹き”出してくる水が合流し、水量が”増え”る」からという説**もあります。
この吹き出してくる水(川)こそが、扇状地を形成する重要な役割を果たしているのです。
このように、果樹栽培に適した気候や土壌条件が揃っているのが、甲府盆地の特徴といえます。
江戸から続く果樹大国としての歴史
山梨県の果樹大国としての歴史は、江戸時代から続いているようです。
桃、ぶどう、梨、くり、柿、りんご、ザクロ、銀杏またはクルミは「甲州(甲斐)八珍果」と呼ばれ、江戸時代から山梨県を代表する果物とされています。これらは甲州街道を経由し、献上品として江戸に運ばれました。
明治時代になると、殖産興業政策※により製糸工場が相次いで建設され、製糸生産量が増大、それに伴って養蚕に必要な桑が大量に植えられます。
養蚕の最盛期は1921年頃。戦争が始まると一時期は食糧増産のために雑穀などの畑に切り替わり、戦後は高度経済成長期による食生活の変化などもあって、勝沼町・一宮町を中心に果樹栽培が始まりました。
果樹栽培で使用する農薬がもともと植えられていた桑にもかかってしまうと、蚕が食べる餌として利用できなくなります。そのため、どんどんと桑園の果樹園化が進みました。
このあたりは大消費地である京浜地方にも近く、輸送面においても便利な地です。果樹は高収益を見込めることもあって周辺に広まり、各町村でつくられるようになりました。
今となっては、山梨県全体のぶどう・もも・すもも生産量は全国一を誇ります。***
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※殖産興業政策・・・「明治前期に政府によって推進された資本主義育成策。富国強兵をめざし、軍事工業と官営工業を中心に欧米の生産技術や制度を導入して、急速な工業発展をはかった。」(出典:コトバンク)
山梨ではこの政策の一環として、ぶどう栽培やワイン醸造を奨励したという経緯もある。
*統計でみる都道府県のすがた2019(総務省統計局)
** 輿水秀人 2017. 地形と地名の愉しみ方〜地形の特徴から山梨県と全国各地の地名を見直す〜 286-288. まんどりやま出版.
***「作物統計調査(作況調査「果樹」)・平成30年産果樹生産出荷統計(第1報)」
参考文献
・1977. 郷土地理読本. 山梨県教育委員会.
・萩原三雄編 2012. 山梨県謎解き散歩. 株式会社 新人物往来社.
日本博学倶楽部 2005. 出身者でも意外と知らない 「県民性」の常識・非常識. PHP研究所.
・富士の国やまなしの逸品物語 https://www.pref.yamanashi.jp/nou-han/untoii/documents/ippinmonogatari280816.pdf
・JA山梨中央会 https://www.ja-yamanashi.or.jp/?farming=sugata
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