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[つまみ食いラジオ Vol.10]休みの呪縛とライフスタイル

みなさん、こんにちは!
このnoteはpodcastspotifyで聴ける[つまみ食いラジオ]のnoteです。
各エピソードのハイライトや、トーク中に登場したお店や参考文献の紹介、編集後記をご紹介していきます。

▶つまみ食いラジオとは?

食いしん坊なふたり(渥美まいこ・こばみほ)がナビゲートする食のトレンドやカルチャーを「つまみ食い」する番組です。食卓から外食、はたまた、旅やホテルなど、様々な視点から食文化を紐解いていきます。
気になるエッセンスを耳から「つまみ食い」してくださいね。

▶まずは聴いてください‥!Vol.10エピソード

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▶ナビゲーター紹介

改めて番組ナビゲーターの2人をご紹介します。

食トレンド研究家 渥美まいこ
1986年神奈川県生まれ。クックパッド社でFoodClipというメディアの編集長。ライフワークとしてnote で食トレンドの考察を紹介している。好きな料理はベトナム料理、好きなファミレスはロイヤルホスト。
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ホテルと旅のプロデューサー こばみほ
クックパッド→スマイルズと「食」を軸にしたキャリアを経て、現在はホテルプロデュースの温故知新に所属しつつ、フリーで旅や食関連のプロデュースも行う。ホテルや旅、食の魅力を歴史やストーリー・文化から紐解き発信中。好きな料理はカレー。
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▶Chapter A:私たちを縛る、「休暇」の起源

みなさんは、「おやすみ」は好きですか?ちなみに私たちは大好きです(笑)
しかしながら、日本には”サザエさん症候群”という言葉があるように、日曜日の夜は憂鬱になる・・・といったことを経験したことがある人も多いのでは。他にも、お正月やGW、お盆休みなどに人が集中し観光地は大混雑。そんな休みにストレスを感じたりすることもありますよね。

実は、私たちは休みに縛られているのではないか・・・?

というのも、ナビゲーターの小林はホテルの会社に務めているため、平日に休むことも多く、平日休みにはたくさんのメリットがあるとも感じています。いつからこの「休暇」の制度がはじまったのでしょうか?

お盆休みや年末年始
諸説あるようですが、古くから日本では、一年を二期に分けていました。正月と盆を節目として祖先の霊を迎え、祖先の霊を祀るという習慣だったそう。それが飛鳥時代に日本にはいってきた仏教の普及にともない徐々に変化していきます。

夏の祖霊祀りは仏教行事である盂蘭盆会(お盆)と結びついて祖霊祀りの意味あいが強くなり、そしてお正月は年神様を迎えての神祀りの意味合いが強くなり、お正月は五穀を守る神様である歳神様を迎え、その年の豊作を祈る月へと変化。正月に家に門松や鏡餅をかざるのは、この歳神様を迎えるための準備だそう。

平安時代頃から主に宮中など身分の高い人たちの間で、お盆の行事が行われるようになり、お盆が庶民に定着したのは、江戸時代に入ってからのこと。日本のお盆は、日本古来の風習と仏教の融合によって生まれた行事のようです。
江戸の休日
江戸時代の商家や職人の社会では、一般的に毎月1・15・28日を休日にすることが多く、この他にも、それぞれの同業者や組合で取り決めた定休日や行事にともなう多数の休日があったようです。

一方、農村社会の休日、村ごとに休日が決められており、その日数も現代の感覚からすると非常に少なかったと言われています。江戸時代の休日は「遊び日」などと呼ばれ、定例的に農作業を休む日が決まっていました。

全国一律の休日ではなく、村ごとに休む日を決めていたようで、祭礼の日などが多いですが、臨時の休みが設けられることも。

明治の休日
江戸の伝統を受け継いで、1868年、明治維新の新政府は、毎月1と6のつく日を休日と定めました(これを一六休みとよぶ)。この他に、祝祭日として、天皇家の行事に関わる年10日の休日を設けた。

しかし、この「一六休み」は、1876年に諸外国の慣習にあわせるための太陽暦採用で改められる。

▶Chapter B:日曜休みの普及はいつから?

日曜休みはキリスト教の休日が普及したもの
世界的に日曜休みを採用する国は多いのですが、この習慣はキリスト教の休日が普及したものだと考えられています。ただ、日本で日曜日が休日とされ、さらには世の中の多くの人々が共通する「休日」を持つようになったのは比較的最近のこと。
やってきました、日曜日!
日本で日曜休みが始まったのは1876年(明治9年)のこと。諸外国の慣習にあわせるため、現在の七曜週休制(日曜休日、土曜半休)に改められ、これが官公庁・学校を中心に次第に全国に定着。

昭和時代になると、江戸時代の「武士の時間」も、自然のリズムに合わせた「農民の時間」も、「一六休み」の伝統をもつ「商人の時間」をも駆逐して、「軍隊と戦争の時間」「工場のリズム」「会社の時間」が庶民の生活を支配するようになっていきます。

▶Chapter C:休み方改革は企業からはじまった

土曜日を休みとして定めた先駆けは三菱電機

午後半休のことを現す「半ドン」という言葉があります。その語源は「半分ドンタク」だと言われています。この「ドンタク」という言葉は、江戸時代末期から休日や休業を意味する言葉として使われてきました。

実は、その半ドンがなくなり、土曜日が一日休みとなっていったタイミングが昭和にあります。

それは、1963年(昭和38年)から第1、第3土曜日は休日とする隔週週休2日制を、民間企業の三菱電気が導入しました。その2年後の1965年(昭和40年)には松下電器産業(現在のパナソニック)が完全週休2日制を日本の企業で初めて導入。

創業者の松下幸之助はアメリカの企業を視察し、完全週休2日制から得られる能率に衝撃を受け、この制度の採用に踏み切ったそう。
当時は労働組合の大反対にあったようですが「一日休養、一日教養」というスローガンを掲げ、働き方改革を断行。その後1980年代には多くの民間企業が土曜日を休日とする完全週休2日制を採用するようになり、1992年(平成4年)には官公庁も完全週休2日制が導入されました。

▶Chapter D:新しい休暇のデザインはできるのか?

一昔の前の日本は、ラインを止めれば一斉に休むことができる製造業などの第二次産業中心の産業構造でしたが、現代は、サービス業などの第三次産業中心にシフトしています。

日本全体の構造が変化してきており、それに加え、今回のコロナで働き方の多様化が進んだにも関わらず、私たちはまだまだ「休み」の呪縛から抜け出せてはいません。

星野リゾートの代表の星野さんも、数年前から、「連休など需要が集中する日を事業の対象から外して需要を平準化する施策が望ましい」と述べています。(以前から政府にもそのような提言をしているそうなのですが、状況は変わらずだそう。)

▶編集後記

今回、休みの起源を調べてみると、実は「休み方改革」は企業からはじまっていました。

そして、そのもっと昔には休みというのは小さい村単位であったもので、自分たちのコミュニティに適した休み方がデザインされていたのです。

まだまだ自由な働き方(休み方)ができない方も、多いでしょう。でも、それができる企業・人も、着実に増えてきています。気づかぬうちに縛られていた「休暇」の呪縛から私たちを解き放つ企業や個人の動きが、もっと増えていけばいいなと。

休みという「当たり前」を改めて考え直してみると、混乱の世の中にも柔軟に対応していくヒントが見つかるのではないでしょうか。(こばみほ)

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