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ピーク

愛する妻と娘二人との生活。

僕は今、人生のピークを迎えている。

今がピークと言い切るとはなんて向上心の低い男だと罵倒されても仕方ないが、考えれば考えるほど今がピークなのだ。

そう言い切れる要因はいくつかある。
まず、娘が「パパ」「抱っこ」なんて言いながら甘えてきてくれるのは今だけだ。
厳密に言えば長女が約三歳、次女が約一歳なので、長くて見積もっても六年後にはそのボーナスタイムは終了している。

そして、今は家族四人で楽しくお出かけしているが、これもボーナスタイム後には当たり前ではなくなるだろう。
親よりも友達や仲間を優先し、楽しい時間を過ごすに違いない。
それが子供の成長として当然であるし、そのまま素敵な青春を過ごして欲しいとも強く願っている。心の底から願っている。


ただ、本能が叫ぶ。


「考えるだけで……寂しい……!!」と。


僕の生きがいは家族と過ごす時間なのだ。兎にも角にも家族を愛している。
妻と出会う前は頻繁に友達と飲みに行っては朝まで飲んでいたが、もうそんなことは絶対にしない。友達との飲み会は年1〜2回に減り、行ったとしても必ず終電で帰る。絶対に帰る。
※付き合いの鬼だった僕が180度変わってしまったことを受け入れて、今でも会ってくれる地元の友達にはただただ感謝しかない。みんなありがとう。


妻と娘たちと公園に行ったり、買い物したり、お家で遊んだり。
それが生きる原動力になっているのだから、それがなくなることを考えると涙が出てくる。驚くほど簡単に涙が出てくる。

さらに今、もうすぐ三歳になる長女がよく喋る。
「パパ大好き」などの嬉しい言葉だけではなく、「昨日のお出かけ楽しかったね」や冗談を言った僕に対して「パパちゃん何言っているの〜」などの成長に驚かされるワードも飛び出してくれる。だからこそ、ただ喋っていてもとにかく楽しいし幸せだ。
僕たちはその出来事をずっと覚えているだろうが、娘たちは微塵も覚えていないことも寂しさを増長させる。

話は逸れてしまったが、もちろんそれらの時間がなくなったとしてもまた改めて妻と二人で過ごす時間も楽しみではある。
昔のように野毛で飲んだり、野球観戦をしたり、やりたいことはたくさんある。

しかし、四人で過ごした時間を上回ることはないだろう。

二人で飲んだとしても、話題は必ず「あの頃は楽しかったよね」や「娘たちは可愛かったよね」になるはず。
同じ話題を一生続けられる僕らのことだ。何度も同じ話題を繰り返すに違いない。
あの頃を振り返り、娘二人の成長過程を肴にお酒を嗜む。
ボーナスタイム終了後はその寂しさをなんとかして埋めることが人生の目的になるのかもしれない。


嗚呼、やっぱり今が人生のピークだ。


しかし、それは決して悪いことではないとも考えている。
その寂しさや孤独も人生に必要なことであり、僕たちの親も経験してきたことなのだろう。
それらを抱えながら当たり前のような顔をして働き、僕たちを育ててくれた。

そう考えると、やっぱり親ってすごい。

「成長」は子供のものだけだと思っていたが、親として新米な僕にこそ必要なことだ。

娘二人の成長を見守りながら、自分自身も成長する。
そしていつか、「あの頃は楽しかったよね」と寂しさをまぎらわすために妻と楽しく飲むことが今の小さな夢だ。

その夢を叶えるため、今の自分が幸せの真っ只中にいることを自覚し感謝しながら生きよう。


そんな僕は今、重松清先生の不朽の名作「とんび」を見返している。

ヤッさん、気持ち分かります……。

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