#150 四十九日までの過ごし方(その2)
前回の続きになります。
介護用品の整理
妻の火葬が終わって、翌週に妻の介護用品を片付けました。
介護ベッド、介護リフト、スロープなどなど、業者さんからレンタルしていたものです。
エアマットと自走式のリクライニング車椅子、押すタイプのリクライニング車椅子は、当初レンタルしていましたが、途中で購入しました。
でも家に置き場所もないし、処分も面倒なので業者さんに寄付しました。
「妻のように介護保険が使えないような方に安く使ってもらってほしい」とお願いしました。
そして妻の介護ベッドが置いてあったところに、お骨など祭壇を移動しました。
妻が毎日居たところ。
ここで四十九日まで過ごそうね。
訃報の通知
妻の友人に訃報を知らせるハガキを送りました。
一部の友人以外には、妻の訃報を知らせていません。
年賀状を頂いていた友人、仲の良かった友人に対して
1年半闘病生活を送っていたこと、妻が亡くなったこと、妻の希望により家族葬で葬儀を行ったこと、お知らせが遅れてしまったことへの謝罪などを書いて送りました。
お供え
妻が亡くなってから四十九日までは、朝昼晩、毎日三食かかさずに妻の分の食事を用意しました。
亡くなる前の最後の3週間くらいは、ほぼ食べ物を口にしていないし、妻から退院したら作ってほしいものを沢山リクエストされていたので。
あとは妻が好きな物とか、食べたことない物なんかも用意してあげました。
おやつの時間に家にいるときは、コーヒー淹れてあげて一緒におやつを食べたり
息子が寝た後はノンアルコール飲料で乾杯したり。
お花もたくさん飾ってあげました。
私の友人、知人が妻にお花を送ってくれたり、お花代を送ってくれたりしました。
ありがたく使わせていただきました。
息子も買い物に行くたびに「これ買ってあげよう」とお花を選んでいたので、お花はどんどん増えていきました。
水を換えたり、茎を切ったり、お世話が大変だったけど、祭壇にお花がたくさんあると鮮やかでいいですよね。
息子の変化
自宅での過ごし方も少し変わりました。
妻が亡くなる前、息子は何よりもマインクラフトが大好きで「いいよ」と言えば何時間でもやっていました。
亡くなってから少しすると「マインクラフトやっていいよ」と言っても、「やらない」と言ってやらなくなりました。
これまではゲームをしていると妻がずっと見ていてくれたからなのかな。
ゲームをやらなくなった代わりに、息子が赤ちゃんの時に撮ったビデオ、妻が元気な時のDVDをひたすら見ていました。
息子なりに何か消化していたのでしょうか。
四十九日の食事会
四十九日は、妻とお別れをした会場を再び借りて食事会をすることにしました。
葬儀当日は食事禁止とのことでしたが、四十九日は良いようです。
コロナも落ち着いてきたので少し緩和されてきた感じですね。
妻のお骨をお墓に安置しないこと、私も妻も宗教的なこだわり等なく、葬儀もお坊さんを呼んでお経を唱えてもらったり、戒名を付けてもらったりはしませんでした。
分骨もしたことだし、四十九日は息子と3人でゆっくり過ごそうかな?と思っていたのですが・・・
お義父さんが、四十九日はこちらで何かやってもらいたいと言っているとのことです。
お義父さんに言われたらやらない訳にもいかないですね。
妻のご家族も、私の家族も他県在住ということもあり、年齢のことも考えると移動が大変みたいです。
なので、今回で集まるのは最後にしましょうということにしました。