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ただそこにいるという勇気づけ
2016年 6月 瀬戸ツクルスクール引っ越し。
その後、1名の女の子がスクールに参加した。低学年。理由はもう忘れてしまったが、学校に行き始めたのだが、スムーズにいかなかったということだと思う。
瀬戸ツクルスクールでは、毎朝必ず輪になってミーティングをするというルーティンがある。そこには教育的意味を持たせているので、そこに参加しないという選択肢は当時はなかった、と思っていただけだった。
たまたまスタートしたときは、輪になることに抵抗がなかった子どもたちだけだったということだ。いきなりそこに入れない子どもがいるのは、当然といえば当然の話だ。
スクールには来るのだが、輪には入らない。さて、どうしようか。という私。スクール生と話し合い。結果、「別に輪に入らなくていいんじゃないですか。」そして、その合意を、輪には入らずに、少し離れたその子はおそらく聞いていたと思う。
その後も、スクールには来るものの、ミーティングには参加せず。買い物も行くけれど、基本的にいつもおばあちゃんと来るので、二人で買い物。
参加の仕方は、メンバーが納得の上で決めたことだったので、いつも自然の流れに任せていた感じ。
毎日来ていたわけではなかった。でも時々来て、午前中だけいて、帰る。そんな参加だった。
スクールでは無口だったが、家ではいろいろと話していたようだ。やがてスクールには来なくなり、地元の学校に通いだしたそうだ。(確かそうだった気がするが、定かではない。)
私もスクール生も何もしていない。
積極的に関わろうとしたわけではなかったが、無視していたわけでもない。ただ彼女がそこにいて、それが自然の在り方のように時間を過ごしていただけだった。
既存の学校だと、一人でいたりすると、先生が積極的に声をかけたりする。仲間が誘ってくれたりもするだろう。うれしくないわけではないとは思うが、なにかしらのストレスがかかる子どももいるだろうと思う。
その程度ならいいが、その状況を認めない空気感があったり、この子にはなんらかの支援が必要だという支援臭を漂わせている大人たちが無理に関わろうとしてしまう。
そうなると、子供たちは息苦しくなるだろうと思う。
子供の様子にもよるという大前提ではあるが、そういうときには、何もしないのが大事なんじゃないかと思う。
ただ、その存在を無視するのではなく、その空間にいっしょにいるという時間を過ごすことが特別なことではなく自然なことなんだという雰囲気がその子を勇気づけるのではないかと思う。
そして、それができるためには、この子は絶対大丈夫という心からの信頼が必要だ。実は子供たちはそれを結構たやすくやってしまうのではないかと思う。だから、子供達みんなで過ごすだけで、勇気がわいてくるのではないかと思う。
その勇気を奪ってしまうのは、自分の心配や不安を醸し出しながら関わっている大人なんじゃないかと思うことがよくある。
あれから4年がたち、その子は小学5年生になっているのかな。
便りがないのがよい知らせ。
楽しく学校生活を過ごしてくれているといいな。
ママの学び場一尾塾 (思春期の子育てを中心に、子育てについてのあれこれなどを話しているYouTube動画です。)