「話し合い」って難しくない?
2014年 ツクルスクールをつくるときに、学校でなくとも、生きていく上で必要なマインドやスキルをトレーニングする機会を確保できると自信を持って取り組めたのは、「クラス会議」というものを知っていて、数年間学んできたからだ。
ツクルスクールを始めるときに、いろいろな本を読んだり、取材された他の学校のミーティングを見たりして疑問に思ったことがあった。
「ミーティングのトレーニングはしないのだろうか。」
2014年からさらにさかのぼること10年ほど。
サラリーマンをしていたころ、最も課題だと思った事。
ミーティング(話し合い・会議)ができない
「なんなんだ、この時間・・・」と思うような会議は数知れず。
ほんとうに時間の無駄だと感じることが多かった。
しかし、ではどうすればいいか、という代替え案を出す知識も能力も経験もなかった。20代。
そして、気づいた。
私は学生時代に「話し合い」のトレーニングをしたことがない・・・(討論とは別)
そういう状態の自分が、子どもたちに自分の経験に基づいて「話し合い」を教えたり、伝えたりすることができる自信がなかった。
そして、よほど運がよかった人以外は、そういうトレーニングは学生時代に積んで来なかったはずだ。
だとすれば、子どもたちだってどうしたらいいかわからないのではないか。
人数が少なかったり、同意見のときはいい。
人数が多くなったり、意見が対立したときに、どうしたらいいのかということは、だれがどのように修正していくのか。
それすらも子どもたちに委ねるというのももちろんありだと思う。
しかし、いろいろと学ぶ中で、「道徳性の発達」について、なるほど、と思うことがあった。
子どもたちが子どもたちだけで判断するときに、何を善悪の判断にするかというものだ。
以下は私の実感と理論を組み合わせたもの。
低学年。善悪の判断は、快・不快。楽しい、気持ちよければいいことで、嫌なこと、おもしろくないことは悪いこと。
中学年。善悪の判断は、周りの友達に合わせる。友達がよいとすることはよく、悪いとすることは悪い。
高学年以上。善悪の判断は、自分なりに考える。メタ認知的といってもいいかもしれない。
そして、研究成果として、子どもたちは子どもたちだけでいる場合、悪いを良しとする傾向が強い、ということを知った。
実感として、すごく分かる流れだった。
いずれは子どもたちだけに委ねるつもりではあるが、ただ委ねた場合のケースをイメージして、なんの対策や型も教えずに委ねるのは危険だと感じた。
もちろん子どもたちだけでも十分に改善できる可能性はあると思ったけれど、私は極力パブリック寄りの学校にしたかったから、そこを偶発性に頼ることはしたくなかった。
そこで「クラス会議」
これは単純に手法だけではなく、ベースにはアドラー心理学があり、その実績も十分にあったし、大学院で研究として取り組まれているものだった。
(現在は、そのすべての基本を網羅した「クラス会議で子どもが変わる」はamazonの中古でしか買えない。ほかにも「クラス会議」の本はたくさんあるが、情報としては不十分。もちろん「知る」というだけならば十分だが。やり方はぜひ関連書籍を読んでみてほしい。)
それを数年間学んできたのちの、ツクルスクール開校だったため、ミーティングにおいても、自信を持って取り組めた。
そして、それは人数が増えて、30名近くになっても、縦割りで小1~中学生が同時にするミーティングで今も続いているし、このツクルのような学校でも十分に耐えうる実践だと感じている。
心理的なベースも、実績も、研究もされており、さらに仲間がいるということは本当に心強かった。
さらにこの「クラス会議」の考案者であるジェーン・ネルセン博士にも直接シアトルまで会いにいって、世界的にこのクラス会議(ポジティブディシプリンという子育て手法の一部がクラス会議)が通用するものだと確信した。
アメリカやヨーロッパだけではなく、南米、アフリカ、至るところで実践されていた。
こういった実践は即効性があるものではないが、継続していこうという勇気をもらえるものだった。
これからいろんな人が「学校づくり」に取り組んでいくと思う。
もちろんその人のやりたいようにやればいいと思うが、こういう実践もあるのだと知っておくことは有用だと思う。
ママの学び場一尾塾 (思春期の子育てを中心に、子育てについてのあれこれなどを話しているYouTube動画です。)