一度死を考えた人は永遠に死と隣り合わせで生きていく

昨日、俳優・佐藤二郎さんツイートを見た。
『今やってる作品の役の底無しの暗さ。地方のビジネスホテルで、どんどんダウナーになるから…』

俳優は役になることができるらしい。
三浦春馬さんが死んだ時も、そういう役を舞台でやっていたそう。




突然、なんの話をするんだと思うだろうけど
私はジッとするのが苦手だからか、家だとドラマも映画も、もちろん漫画も読めないタチなんだけど。
漫画は年1くらいのペースで、一作ハマったりする。

今日読んだのは男性向けの漫画だった。ヒロイン全員胸がでかかった。主人公の高校二年生の男の子は金髪でイケメンだった。

みんな、死について考えていた。


私は漫画を読み進めるのが早い方ではなくて、40話を2時間かけて読んだ。
2時間、無心で読み進めた。
その漫画ではときどき見開きをつかって登場人物の辛い気持ちを一気に吐露する場面がある。
みんな何かを抱えて泣き叫んだり、叫ぶ元気もない様子だった。


私は何度も死にたいと思っていた。中学生から高校生のうちにかけて。
理由は本当にどうでもいいことばかりだった気がする。てか、覚えてない。思い出せない。

でも本当に情緒が不安定だった。
歯止めが効かずに信じられないような行動をとってしまったことに全てが終わってから気付いたり、或いは行動の最中に心の中でハッとする自分がいても体はその行動をやめなかったり。
一応言っておくけど、犯罪とかそういうのじゃ無いよ。そこそこ広い道端でうずくまって泣いたり。そういう、まあ可愛いやつ。
幸い私が生まれ育った町はすごくヘルシーだったから。ヤンキーなんてどこにもいなくて、周りの小中はみんな綺麗。今思えば、今住んでるこの町という環境はとても良いように作用していてくれたんだな。

とにかく、何度も死を考えた。高校生になってから電車を使うようになって、死にたいと思った時は駅のホームから線路を見つめていた。黄色の線より外側を、ホームの縁ぎりぎを歩いてみたり、電車の車輪と線路の狭間の黒い隙間を見つめてみたりした。

死ぬ方法を何度も調べたことはあったけど、実際どれも行動には移さなかった。普通に楽しく生きたかったんだと思う。

私は一度自殺なんとなセンターみたいな、フリーダイヤルの「助けますよー」みたいな、なんかそんなところに電話したことがある。すごく役に立たなかった。何を習ってその受話器を取る位置に座っているんだと憤りを感じたことを覚えている。助けてくれやしない。助けてくれやしないんだ。怒ったり絶望したりした、そんな記憶がある。


ああ、死について思い出そうとするといろんなことが蘇ってくるな。

でもここまで読むときっとわかる。私の中にはずっと「死ぬ」という選択肢があったんだなってことが。

それは今も変わってない。


最近は将来を見据えて明るい気持ちになることが多い。

それでも、お月様の明かりがどこかに隠されてしまった黒が深い夜の空を私の部屋の窓から見たとき、必ず「死」が心に浮かぶ。

誰かがどこかで言っていた。
『一度死を考えた人は永遠に死と隣り合わせで生きていく。』
本当にその通りだと思う。

私は最近忙しくて小さな悩みは必ず毎日湧くように出てくるけど、死にたいとは思わない。すごく幸せだし楽しい。小さな幸せに気づけて毎日深い眠りについている。

でも、絶対に生きたいか、と言われたらそんなことなくて。
実は毎日死んでもいいと思ってる。死んだらそれで終わるだけだからと思ってる。今寝て、死んでも、苦しくなければいいと思ってる。
(こう考えられるのも、誰かの親じゃないからかなとは思うけれど。どうなんだろう。)

私が社会人になり仕事をするようになっても、誰かと結婚して子供を産んでも、スコーンを焼く休日が存在してても、自分が起業した会社が当たっても、
どんなときでも私は「死ぬ」という選択肢を持っている。


それは正直、結構きつい。


ここまで読んでくれたかた
死にたいと思ったことは、ありますか。
今は死ぬことを考えるとき、ありますか。


これ、漫画の感想文です。『少年のアビス』という漫画の感想文。

この記事はいずれ、非公開にします。


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