何者にもなれなかった自分
私にはプライドがあります。
ときにプライドが顔を出して、いらぬひと言を発することがあります。
内心「私だって。」と思っている自分が恥ずかしいものです。自分がすごくないことを誰よりも知っているし、本当に中身や実力がある人との差を知っているのに、「私だって」…そんな気持ちが湧き上がります。
そう思うのは、
自分だって努力したことを、
自分だって無理をしてまで取り組んだことを、
自分だって困難だとわかっていることに挑戦したことを、
誰よりも知っているからだと思います。
努力したし、無理したし、挑戦した。
それでも、会社で目立った存在にはならず、社会で有名にはならず、何者にもなれなかった自分が愛しいのです。
夢の中で泣いている20代の自分に出会ったことがあります。
その頃の悔しさ、悲しさ、恥ずかしさは、今この瞬間も手に取るように感じることができます。
その夢の中で、自分を抱きしめてあげればよかった。
大丈夫だよ。
頑張ったね。
わかってるよ。
有名人にも地位のある立場にもなっていないし、華やかな暮らしもしていないし、できないことが多くて恥ずかしいと思っている今の私の言葉に説得力はないかもしれないけれど、あの頃からある程度時間が経過して、あの頃頑張ったことは認められるようになっているようです。
その一方で、不思議なことに、今の自分を認めることは難しいもので。きっと、今よりもしばらく先、歳を重ねた自分が夢の中で抱きしめてくれると思います。その頃も何者にもなり得ていないかもしれないけど、求めているのは何者かになることではなく、自分が納得する暮らしをしていること。
旬のものを自分で加工して、まめに掃除をして、いつも花を飾る、、、そんな丁寧な暮らしを夢見た時代も過ぎかけて、自分にフィットする生活を模索しています。まだ諦めきれないのも事実。
そんなに気負わなくて大丈夫
80代くらいの自分がそう言って笑って抱きしめてくれるといいな。
歳を重ねるのを楽しみにして、日々模索しています。
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