落語と中国語
中国、道中
私は今、中国の西安から北京に向かう飛行機の機内でこのノートを書いている。明日はこのノートの締切日だ。中国のことでも書けば文章に多少の独創性を持たせられるのではないか、という思惑から、旅行終盤の今日まで書くのを先延ばしにしてきた。このノートは、落語と私の中国での経験を半ば強引に結びつけながら書いていこうと思う。どうかお付き合い願いたい。
わたしと中国語
私は第二外国語で中国語を履修したため、全く中国語が分からないというわけではない。とはいえ、週2コマが一年間で、身につく語学力は高が知れている。現に、今しがた流れた機内放送は一言も聞き取れなかった。当然、翻訳アプリ無しではコミュニケーションにかなり苦労した。ここからは、中国語での私の拙いコミュニケーションを記していきたい。
手荷物検査
中国では、観光地に入るときや地下鉄に乗るとき、手荷物検査がある。警備員が控えている検査場で、手荷物をX線のスキャナーに通すのだ。
ある時、私は検査場で警備員に呼び止められた。警備員が何か言っているが、何を言っているのか全く分からない。
(「何か持ち込み禁止物はありましたか」って中国語でなんて言うんだ??)
(早くスマホを出して、翻訳アプリで何か言わなければ)
オタオタしていると、警備員が「もういい、行け」というような手振りをした。荷物に大した問題はなかったらしい。
時そば
そこで私は、去年の留学生向けのイベントを思い出した。そのイベントで私は、留学生の前で落語「時そば」をやった。率直に言うと、全くうけなかった。それもそのはずだ。初対面の外国人が、よく分からないことを目の前でまくし立てているのだ。警備員につかまった私と、状況はほぼ同じである。これでは笑おうと思っても笑えたものではない。
イベント後、他の会員達から、留学生向けにネタを改変したほうがうけたのではないか、と助言をもらった。「時そば」にはそばを啜る場面があるが、そもそも麺を啜る文化は日本独特のものであり、留学生には伝わらなかったかもしれない。セリフの意味が分からなくても、リアクション芸で笑いを取れるネタがよい、という助言も受けた。
わたしと土産屋
私が覚えている数少ない中国語の表現の一つに、品物の値段を尋ねる表現があった。それを使ってみたくて、土産物屋で店員に話しかけてみた。
鉄寅「多少钱?(いくらですか?)」
店員「三十五块。(35元です。)」
やった、通じた。聞き取りもできた。
店員「你是哪国人?(あなたはどこの国の人ですか?)」
なんと、これも聞き取れた。授業で習った定型文で回答する。
鉄寅「我是日本人。(私は日本人です)」
店員がまた話しかけてきた。
店員「□■□■□■□■□■□■」
鉄寅「············???」
私が中国語を話せると思ってくれたらしいが、早口の中国語で何も聞き取れない。店員には申し訳ないが、こういうときのために覚えてきた表現を使うことにした。
鉄寅「听不懂。对不起。(分かりません。すみません。)」
このとき、店員が想定した私の中国語のレベルと、実際のレベルとの間にギャップがあったことになる。落語でも、話し手と聞き手との間に理解のギャップが生じ得る。
「落語は○○○○○○○○○」
例えば、古典落語の時代設定は百年以上前である。当然、話の中の文化や風習も、現在と異なる。話し手がなんとなく理解していても、聞き手であるお客さんには分かりにくい背景知識がある。そうした点について適切に解説を入れたり、言い換えたりしないと、語り手が意図した笑い所が、聞き手に伝わらないことになる。
中国での経験と落語を強引に結びつけて改めて感じたことは、落語はコミュニケーションであるということである。演者が聞き手に向かって一方的に語るのではない。演者は、聞き手が期待しているものを予想しながら準備をし、聞き手の反応を見ながら演じなければならないのだ。
偉そうなことを書いているが、私自身入会してまだ1年足らずの未熟者である。ここまで書いたことは、まだまだ実行できていない。これからも、お客さんと対話するような、楽しんでもらえる落語を目指して、稽古を積んでいきたい。
七海亭鉄寅