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役に立たない意識で書き続けたっていい【オンラインナースのお仕事】
※この記事は、双極性障害の朝日さんの原稿をもとに、看護師の私の視点を入れ書きこしたエッセイです。
さて、今何を伝えたいかと聞かれると、何も伝えたいことはない気がする。役に立とうとすると、明日はもっと役に立とうとする。そのスパイラルで、どんどん役に立つことを書けない気がするし、今書きたいことを書けない。役に立たない意識の方が、私の場合は上手くいく。
情報発信や出版するためには、人の役に立つことを書かなければならない。数多くのビジネス書やセミナーでは、こんな風に教わってきましたよね。去年は、実のところものすごく出版という目標に近づきたくて、noteの記事も「役に立つこと」を意識していました。
そして、出版企画書コンペに出場。いただいた講評は「あなたのはエッセイですね」でした。ノウハウではなく、自伝。あー、私の企画は、役に立つことではなく、自分の想いを連ねているだけということですか…と落胆。けれどもほどなくして「エッセイの方が良くない?」「エッセイじゃだめですか?」「もう、エッセイでいきます」と吹っ切るのでした。
役立つことを考え投稿する→反応が少ない→え、じゃあもっと勉強しなくちゃいけなんだ→私なんてまだまだ→こんな未熟な私に書けることなんかない…と思うようになっていたからです。
ちなみに昨年の企画書のテーマは「読書術」でして、それに関連する本を1週間で10冊ほど読み漁っていました。なんというか、そろばんをはじくけど、人差し指に力が入りすぎるために五珠がぶっ飛んじゃう感じで(そんなんで一級がとれず、二級でやめました)空回りしているのが自分でも痛いくらい分かっていたのです。
「私はエッセイを書こう」と開き直ってから1年。記事を見ていただくとわかりますが、とにかく自分の感じたことばかり書いています。「役立つことを…」から「これ書きたいな~」にシフトしてからは、「みんな何を知りたいんだろう」「次何を書いたらいいんだろう」と思うことはなくなりました。
2年近く私を応援してくださる読者の方がいらっしゃいます。先日、このマガジンが10本に達したので連絡を差し上げたところ、全て読んでくれて、感想も送ってくださいました。「次も楽しみにしています」と。私が書きたいように書くだけで、これから描く私の物語を心待ちにしてくれる。その事実がなんともうれしかったです。
スピードスケート平昌オリンピック500M女子の金メダリスト、小平奈緒さんをご存知ですか。幼少期からずっとトップを走り続けていた彼女でしたが、バンクーバー、ソチオリンピックは惜しくもメダルには届きませんでした。レース後の会見ではどこか申し訳なさそうな表情をしているように、一視聴者の私の目には映っていました。
しかし、平昌オリンピックを目前にしたインタビューで「誰かのために勝たなければならないという思いを捨てた」と清々しく話す姿は、何のためらいもなく未来を見据えているように見えました。「誰かの期待に応えるのではなく、自分の思い描くレースができればそれでいい」と語っているかのように。そして祈願の金メダルを手にしたとき、これが彼女の生き方なのだと、強く胸を打たれました。
「人は自分のためには頑張れない」「応援してくれる人がいるから頑張れる」という言葉も存在します。世の中の矛盾ですよね。結局どっちを信じればいいの?と思いましたか?答えは簡単、どちらでもいいのですよ。
「誰かのために役立つ記事を書く」ことも「自分の書きたいように書く」ことも、どちらが自分にとって心地よいのか、その判断は一人ひとりに委ねられているということです。
もちろんそれは、そのときの状況や心境でも変わってくると思います。今日は役に立つことが書きたい、でも明日は好きなことを書きたい、それもいいと思いませんか。
役に立つことを書こうとしない朝日さんの原稿に対して「今日の原稿役立ちました!」と伝えたことはありません(笑)「またしょうもないこと書いてますね」「朝から笑えました」とか、そんな感想を送っています。
ただ、朝日さんの原稿を読んでいるときは楽しい時間が流れます。このことに気づいてから、書いている私が楽しいことが前提で、たった一人でもおもしろがって読んでくれる人がいれば、それは幸せなことだと思うようになりました。
私はこれからもエッセイを書いていきます。次を楽しみにしてくれる人がいる、それだけでよくて。役立つことがもしあったとしたら、それは読者の方がこっそりと教えてくれることでしょう。その声の数が、いつしか本になるのだと思っています。「今日もまた、私の記事をあの人に届けられた」その想いをいつも心に残したままで、ゆっくりと歩みを進めていくだけです。
※このマガジンは、個人が特定されないように書こうと留意しています。でも、朝日さんは「別に自分だと気づかれても構わない。それよりも、同じ病気の人を救えるのならという思いが優先する」とのこと。関係者の方は、そっと見守ってくださると幸いです。