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何を信じたらいいかわからないあなたへ

超情報過多の時代、しかも指先一本で情報へアクセスできてしまうという簡便さ。でもでも、そんな最中よく耳にするのが「何を信じていいかわからない」ということ。特にネットの情報は玉石混交だと言われています。本は信憑性があるから、情報を得るには本を優先して読んでほしいとも思うのですが、本によっても書いていることは違いますよね。

以前「人は分かり合えるという本を読んだことがある。でも、この本には人は分かり合えないと書いている。どっちを信じたらいいんだろう」という話を聞きました。これは本当に面白い話です。結局のところ、正しさというのは自分の中にしかありません。どちらも正しいし、どちらも間違っているといえます。対処法としては、どちらを取り入れたら自分が楽になるだろうということです。気持ちも環境も常に揺らいでいるから、その時々で都合のいいように、自分にとっていい方を選ぶんです。

この例でいうと「今日、友人とすごく共感できる話ができた。人が分かり合えるというのは本当だな」と思える日があっていいわけですし、反対に「あの人とは全然話が通じない。まあ、人は分かり合えないとも言うし、仕方ないか」で終わらせてもいいわけです。

他にも、読書法も色々ありますよね。「一冊読み終わるまで他の本は読まない方がいいですよ」「同時に2、3冊読んじゃいましょう」など。どちらでもいいのです。日によって変えてもいいですよね。私も「これ!」といった読書法はありません。その日の気分です。それくらい自由でいいのだと思っています。

そんな風にふわりふわり生きていても、誰に責められることもありません。もともと私は白黒つけたがる人間でした。だから「この間白と言っちゃったからこの先もずっと白!」と変に信念を曲げないという、まさしく世渡り下手なタイプ。「頑固」「融通が利かない」とよく言われたものです。軸がブレないという点では良いのかもしれませんが、同時に他人にもそういう考えを要求するという欠点を持っていました。

けれども、今のようにその日その時の気分で情報とうまく付き合うようになってからは、人に対しても優しくなれるようになりました。だって、誰も間違っていないから。その人にとって、それが正しい訳だから。大それた人間ではないので「うーん、賛同できないなー」と思うこともあります。それでも「あなたがそう思うなら、それでいいと思うよ」とすんなり落とし込んでしまえるのです。

何が正しいか。命に支障をきたすこと、犯罪にかかわること以外なら、たいていは正しいと私は思っています。

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