読書録no.1 学問のすすめ
毎年お正月、新年度、新学期など、何かのはじまりの時期になると
「よし、今年こそは本を読むぞ!」
と意気込む私ですが、有言不実行とはこのこと。今までの2年間の大学生活で読んできた本は5冊にも満たないんじゃないかな、、、。マズイ!
というわけで、noteをモチベーションに読書の習慣も付けよう。
きっかけ
最近、「新しい価値観を広めるにはどうしたらいいんだろう」とよく考えています。具体的に言えば、ヨーロッパ(デンマークだけなのかな、、?)にいると、気候変動や環境問題、持続可能性は現代の課題としてかなり重大視されているように感じます。普段の学生同士の会話でも、講義中のアカデミックな場面でも、街で活動している大小さまざまな団体やお店でも。
一方日本では政治家にとっても、国民にとっても、経済、景気が大優先な雰囲気。環境の話をしても、偽善者ぶっているように見られている気がする。そういうつもりはないんだけど、、。でも、持続可能性って絶対大切なことのはず。このまま目を背けてちゃ明るい未来は無いんじゃないの?
この動画を見て、その思いは強くなりました。スウェーデンの活動家、15歳の女の子のスピーチです。話す内容と、訴えかける力と、彼女にとって外国語である英語の流暢さに、ただただすごいなあと思いました。
それで、今はあんまり注目されていないことの大切さに気付いてもらうにはどうしたらいいんだろう、とぼんやり考えていて、思い浮かんだのが明治維新でした。鎖国を解禁したばかりの日本に、当時進んでいたとされる西洋の学問や文化をじゃんじゃん取り入れていた時代。(その良し悪しは置いといて)その時代に留学したり、外国から学んでいた日本人は何を思って、どうやって日本人に新しい価値やその重要性を伝えていたんだろう、と気になって。
それで、この時代の名著、「学問のすすめ」を手に取りました。福沢諭吉も、本の名前も、有名な言葉「天は人の上に人を造らず」も知ってはいるけど、ちゃんと読んだことなかったからこの機会に、と思って。しかも今回kindleを初めて利用したんだけど、学問のすすめは無料で読めるの、、!(現代語じゃなくて原文のものです)ありがたい。スマホじゃ小さすぎて読みにくいんかなって思ってたけど、意外と大丈夫でした。これからもっと使おう。
結論から言って、ズバリ答えが出たわけじゃなかったけど、いろいろ今に通じるところがあって面白かったです。さすが100年以上人々に読まれている本なんだなって思いました。読む価値はあると思います。おすすめです。
基本この本は、日本が名実ともに独立するために、っていうのが目標で、そこは現在とちょっと違うかなと思っていて
独立とは一軒の家に住居して他人へ衣食を仰がずとの義のみにあらず 。こはただ内の義務なり 。なお一歩を進めて外の義務を論ずれば 、日本国に居て日本人たる名を恥ずかしめず 、国中の人とともに力を尽くし 、この日本国をして自由独立の地位を得せしめ 、はじめて内外の義務を終わりたりと言うべし 。ゆえに一軒の家に居てわずかに衣食する者は 、これを一家独立の主人と言うべし 、いまだ独立の日本人と言うべからず 。
本文中にこんな記載があって、現代なら、さらに義務を一歩進めて、世界中の人と共に力を尽くすことが考えられたらいいなあと思いました。
記録
学問のすすめは著作権が切れているはずだから、引用しても大丈夫そう?ということで、以下は自分のために引用、要約、思ったことなどを残しておこう、という趣旨です。勝手な解釈もあると思います。ご了承ください。
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず 」と言えり 。…されども今 、広くこの人間世界を見渡すに 、かしこき人あり 、おろかなる人あり 、貧しきもあり 、富めるもあり 、貴人もあり 、下人もありて 、その有様雲と泥との相違あるに似たるはなんぞや 。…されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり 。
人は生まれながらに平等だけど、実際の社会において人間は不平等。それは学ぶことをどれだけしてきたかの差によって生まれる。…だとしたら、学ぶことができる環境は誰にでも開かれていないといけないな。
政府の官吏を粗略にせざるは当然のことなれども 、こはその人の身の貴きにあらず 、その人の才徳をもってその役儀を勤め 、国民のために貴き国法を取り扱うがゆえにこれを貴ぶのみ 。人の貴きにあらず 、国法の貴きなり 。…ただいたずらに政府の威光を張り人を畏して人の自由を妨げんとする卑怯なる仕方にて 、実なき虚威というものなり 。…かりそめにも政府に対して不平をいだくことあらば 、これを包みかくして暗に上を怨むることなく 、その路を求め 、その筋により静かにこれを訴えて遠慮なく議論すべし 。
元来 、人民と政府との間柄はもと同一体にてその職分を区別し 、政府は人民の名代となりて法を施し 、人民は必ずこの法を守るべしと 、固く約束したるものなり 。譬えば今 、日本国中にて明治の年号を奉ずる者は 、今の政府の法に従うべしと条約を結びたる人民なり 。ゆえにひとたび国法と定まりたることは 、たといあるいは人民一個のために不便利あるも 、その改革まではこれを動かすを得ず 。
国民と政府のありかた。大学1年の時の国際関係論で、「国家」の成り立ちみたいなものを説明していたのを思い出した。「万人の万人に対する闘争」(ホッブズ)状態を避けるために、国民を代表する政府ができて、法律を作って、それに従って処罰を下す。役人だからえらいんじゃなくて、法律に従って国民の安全を守ってくれるから尊敬に値する。法律は、国民のために国民が作ったものであるはずだから、国民はそれを軽んじて破っちゃいけないし、不平不満があるなら堂々と政府に訴えて議論をして変えようとしないといけない。…「国民主権」とか「民主主義」の考え方に近いよな。調べてみると、この本の出版が自由民権運動とばっちり同時期だから、きっとかなりの影響を与えたんじゃないかなあ。
愚民を支配するにはとても道理をもって諭すべき方便なければ 、ただ威をもって畏すのみ 。西洋の諺に 「愚民の上に苛き政府あり 」とはこのことなり 。こは政府の苛きにあらず 、愚民のみずから招く災なり 。愚民の上に苛き政府あれば 、良民の上には良き政府あるの理なり 。
国民が愚かだと、政府も理性だけでは統治できない。だから、暴君を避けるには、国民は勉強して、法律を守って、政府と対等に時に議論し合う関係にならないといけない。…なるほど。政府と国民との信頼関係とかも関係ありそう。
もとより政の字の義に限りたることをなすは政府の任なれども 、人間の事務には政府の関わるべからざるものもまた多し 。ゆえに一国の全体を整理するには 、人民と政府と両立してはじめてその成功を得べき
明治維新以降人民は権利を得るようになったけど、知をもってその権利を行使しないと封建的な社会の実態は変わらない。
しかるにいま 、自国の富強なる勢いをもって貧弱なる国へ無理を加えんとするは 、いわゆる力士が腕の力をもって病人の腕を握り折るに異ならず 、国の権義において許すべからざることなり
人に権利があるように、国にも主権がある。豊かな国が、その勢いで貧しい国に無理を加える行為は許してはならない。帝国主義に加担する前にこのことを思い出してほしかった。そして、現在の世界でも言えるし忘れちゃいけないこと。
昔鎖国の世に旧幕府のごとき窮屈なる政を行なう時代なれば 、人民に気力なきもその政事に差しつかえざるのみならずかえって便利なるゆえ 、ことさらにこれを無智に陥れ 、無理に柔順ならしむるをもって役人の得意となせしことなれども 、今 、外国と交わるの日に至りてはこれがため大なる弊害あり 。
国民が無知な方が、政府は国内でやりたい放題できて都合がいいんだろうね。でも、グローバル化する社会において果たしてそれは正解か?
国の文明は上政府より起こるべからず 、下小民より生ずべからず 、必ずその中間より興りて衆庶の向かうところを示し 、政府と並び立ちてはじめて成功を期すべきなり 。
全てを政府主導で行うことって難しいんだろうと最近感じていたけど、昔からそうなんや。いわゆる"grassroots"は今も昔も大事なのね。
正理を守りて身を棄つるとは 、天の道理を信じて疑わず 、いかなる暴政の下に居ていかなる苛酷の法に窘しめらるるも 、その苦痛を忍びてわが志を挫くことなく 、一寸の兵器を携えず片手の力を用いず 、ただ正理を唱えて政府に迫ることなり 。
政府がその権利を超えてふるまったときに国民として取るべき行動。
そもそも世に生まれたる者は 、男も人なり女も人なり 。…その功能いかにも同様なれども 、ただその異なるところは 、男は強く女は弱し 。大の男の力にて女と闘わば必ずこれに勝つべし 。すなわちこれ男女の同じからざるところなり 。
何でもかんでも平等!と言うより、違いを認めたうえでの男女平等論なところが個人的には好感。違いを断言しちゃってるところには異論がありそうだけど。
罪もなき子を生きながら穴に埋めんとするその心は 、鬼とも言うべし 、蛇とも言うべし。…子を生みて子を養うは人類のみにあらず 、禽獣みな然り 。ただ人の父母の禽獣に異なるところは 、子に衣食を与うるのほかに 、これを教育して人間交際の道を知らしむるの一事にあるのみ 。
最近そういう事件をよく聞いて胸が痛くなる。
方今日本にて学校を評するに 、 「この学校の風俗はかくのごとし 。かの学塾の取締りは云々 」とて 、世の父兄はもっぱらこの風俗取締りの事に心配せり 。そもそも風俗取締りとはなんらの箇条をさして言うか 。…余輩はかえってこれを羞ずるなり 。…学校の名誉は学科の高尚なると 、その教法の巧みなると 、その人物の品行高くして 、議論の賤しからざるとによるのみ 。
物事の本質を見て評価することが大切。
インドの文も 、トルコの武も 、かつてその国の文明に益せざるはなんぞや 。その人民の所見わずかに一国内にとどまり 、自国の有様に満足し 、その有様の一部分をもって他国に比較し 、その間に優劣なきを見てこれに欺かれ 、議論もここに止まり 、徒党もここに止まり 、勝敗栄辱ともに他の有様の全体を目的とすることを知らずして 、万民太平を謡うか 、または兄弟墻に鬩ぐのその間に 、商売の権威に圧しられて国を失うたるものなり 。
得意な部分ばかりを他と比べて優越感に浸ってちゃだめ。それ以上成長できなくなる。
けっして文明の十全なるものにあらず 。その欠点を計うれば枚挙に遑あらず 。彼の風俗ことごとく美にして信ずべきにあらず 、我の習慣ことごとく醜にして疑うべきにあらず 。…西洋の文明もとより慕うべし 。これを慕いこれに倣わんとして日もまた足らずといえども 、軽々これを信ずるは信ぜざるの優に若かず 。彼の富強はまことに羨むべしといえども 、その人民の貧富不平均の弊をも兼ねてこれに倣うべからず 。
あの国の文明は進んでて素晴らしい!って、自国の文化を全部捨てて、外国のものを全部取り入れるのも愚かなこと。問題点とか、バックグラウンドの違いを考える必要がある。
「資本に乏しき国土においては 、人民みずから知らずして節倹の道に従うことあり 。日本全国の人民をして鼻紙を用うること西洋人のごとくならしめなば 、その国財の幾分を浪費すべきはずなるに 、よくその不潔を忍んで布を代用するは 、みずから資本の乏しきに迫られて節倹に赴くものと言うべし 」と 。
140年前以上に忠告されていたことにびっくり。いつからこんなに浪費社会になっちゃったんだろう。
文字を読むことのみを知りて物事の道理をわきまえざる者はこれを学者と言うべからず 。いわゆる 「論語よみの論語しらず 」とはすなわちこれなり 。
学問の要は活用にあるのみ 。活用なき学問は無学に等し。
リーディングの予習に苦しむ自分に向けて。読んだ内容をちゃんと咀嚼して活用しないと、勉強してないことと一緒だって。くうう。でも、英語の文献から学ぶことってきっとかなり大切なんだ。自分の中のハードルを下げれるように頑張ろう。
読んだ日 2019/2/11