ヴィーガンの偽善

動物が苦しんでいることが苦しくてたまらない、というヴィーガンの声を聞くと、はっきり言ってうんざりするし、偽善的に感じる今日この頃です。生活スタイルは別に変えないけど、ひとに自分をヴィーガンだというのはやめよっかなー、とも最近は思います。実際、もう食生活が話題にならない限りは、いちいち自分はヴィーガンだとかひとに言ってないです。

あのさ、この世界って、動物の苦しみ、人間の苦しみ、植物の苦しみ、その苦しみの総量を思えば、どれだけ想像をめぐらしてもおぼつかない、と思うんだよね。この世界って、ある意味、非常に酷いもんなのよ。もし世界中の目には見えない、人間、動物、植物、の全ての精神的な苦しみ、身体的な苦しみを可視化できたら、それがたった1日分であっても、一瞬で氣が狂いますよ、まちがいなく。

でもこうして、あなたもわたしも、氣が狂わないで生きていられてるってことは、それらを適度に無視できてるんです。無視というと言葉が悪いかもしれないから言い方を変えれば、それらの苦しみの存在を知ってはいても、それに翻弄されず、巻き込まれず、適度に横に置いて、他者の苦しみでなく、自分の人生の喜び苦しみなどに集中して、上手に生きてるんですよ。ほら!だからこうして今日も生きられた!

動物が苦しんでるから自分も苦しい!苦しくて仕方ない!というヴィーガンの方たちは、動物以外のものの苦しみに関してはそれが出来てるのに、なんで動物の苦しみに関してだけ、それが出来ないんでしょう?なぜ世界中のたくさんの苦しみの中の、動物の苦しみだけを、そんなに自分の中で巨大化してしまうんでしょう?

わたしは10年くらいヴィーガンやってるけど、動物が苦しんでるから自分も苦しいという事はないですよ。世界中の他人の苦しみが、我が事のように苦しくないのと同じです。

だってそれ、わたしの苦しみじゃないもん。

やたら動物から搾取したり、必要もないことで動物を苦しめている、今の人間の文明のスタイルが好きではない。そんなことに出来るだけ加担したくないからヴィーガンやってますが、

別に動物が苦しんでるせいで自分が苦しい、という事はありません。人間は、他者の苦しみまで背負って生きられるわけがないのです。人間というのは、誰もがそれぞれの自分の苦しみで精一杯だと思います。それなのに、他者の苦しみまで背負ったりすれば、

自分の苦しみとちゃんと向き合うことは決して出来ない。

それが出来ないということは、自分自身に対しても、世界に対しても、

なんの影響力も持てない、

という事だと思います。

あくまでわたしが感じるまともさではありますが、まともなヴィーガンの人は、動物が苦しんでるから自分も苦しいとは、決して言いません。そんな事は偽善だとわかっている。この世の痛みや苦しみというものについて、自分自身の痛みや苦しみについて、本当に深く考え、感じたことのある人は、そんな事を言いません。

人の痛みがわからない人というのは、自分の痛みをわかってない人です。子どもを虐待する親は、子ども時代に自分が受けた虐待とちゃんと向き合って、自分自身の痛みをわかる、という事をしていないから、愛しているのに、自分の子どもを虐待してしまうのです。

動物が苦しんでいることが苦しくてたまらない、という人は、自分の痛みや苦しみとちゃんと向き合えていないから、それを動物の痛みや苦しみに投射してしまっているのだと思います。

だから世界はいろんな苦しみに満ち満ちているのに、その中でことさら動物の苦しみだけが、巨大化してしまうのだと思います。その人にとっては、動物がいちばん、自分の痛みを投影しやすいのだと思います。その対象が動物でない人もいます。子どもだったり、その他の社会的弱者だったり、いろいろです。そういうの、本当の思い遣りじゃないんだよ。

何はともあれ、

ハッピーな人しか、自分の周りをハッピーには出来ません。

ヴィーガンであることが楽しくてハッピーである人しか、ヴィーガンという生き方もいいかもなーと人に感じさせる事は出来ません。

動物の苦しみを自分の苦しみにしてしまっているヴィーガンは、動物たちが苦しみから解放される事を願いながらも、それをコツコツ一生懸命、邪魔している。

わたしにはそう思えます。

自分が幸せになる以外に、他者を幸せにする方法は、ありません。その他者が、家族だろうと、他人だろうと、人間だろうと、動物だろうと、植物だろうと。わたしはそれを、確信しています。

動物を幸せにしたかったら、どうか自分が幸せになってください。

誰かを幸せにしたかったら、どうか自分が幸せになってください。

世界を幸せに満ち溢れた場所にしたかったら、とにかく自分がまず幸せになってください。

だって他に方法ないんですから。

この世に生まれた瞬間から、不幸になるようにいろんな刷り込みを受けているわたしたちですから、それは全身全霊でやらないと出来ないことです。それにはマニュアルもありません。自分の幸せは自分にしかわからないし掴めない。

わたしも日々、その努力をしています。

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