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「本をつくる人になりたい」と願っていた20年前の私は、今の私を見て何を思うだろう

noteには普段、メンバーシップ会員向けの記事しか書いていないのだけれど、本稿は投稿企画#想像していなかった未来応募用に無料記事として公開している。

はじめに少し自己紹介をすると、今から20年ほど前、就職氷河期の終わりごろになんとかギリギリ社会人になった私は、会社勤めをしながら15年ほど前に温泉宿に1人で泊まることが趣味になり、13年前に1人で登山を始めた。
そして8年ぐらい前に「山と温泉のきろく」というブログを始めたところ多くの人に読んでいただけるようになり、4年前に「ひとり酒、ひとり温泉、ひとり山」という著書を出版した。この本は増刷を重ねて今年10刷となった。本当にありがたいことである。

ここまで読んだ方は
「本をつくる人になりたかったけど出版社に就職はできなくて、ところが思いもよらず趣味のブログから本を出版する夢が叶った。それが『想像していなかった未来』ということね!」
と思われたかもしれない。

4年前は、だいたいそんな感じだった。
しかし、この4年間でさらに、思いもよらない方向に動いてしまった。
20年前の私は本をつくる人になりたいと願っていたはずなのに、今の私はなぜ、新しい書籍用の原稿を書くことに前向きになれずにいるのか。

自分の考えを整理するために、この投稿企画をきっかけに書いてみようと思った。


出版部門に配属されずWebの何でも屋になった私が、旅ブロガーとして著書を出版するまで

思えば「ブロガーとして著書を出版する」ことは、「想像していなかった未来」というよりも「いつかそうなればいいなと願っていた未来」だった。

今から20年と少し前、どうにかこうにか小さな出版社に就職して社会人生活をスタートしたものの、配属されたのは出版・編集部門ではなくWebコンテンツの制作部門だった。
占いの本を主に扱っていた会社だったが、既に出版不況は始まっており、稼ぎ頭だったのはIT系企業から注文を受けて占いコンテンツを制作する部署だった。そこに配属されたのである。

なんだ、本は作れないのか……とは思ったけれど、よく考えると出版社の編集職を志望した動機は
「高校の部活は文芸部だったし大学も文学部だし、ずっと図書委員だったし暇さえあれば古本屋巡りしてるから本ならつくれそう」
という、ふんわりとしたものだった。希望部署に配属されなかったとは言え、それでよく出版社に採用されたものだと今となっては思う。

できるものなら本をつくる人になりたかったけれど、これからはWebのほうが儲かるというなら、がんばってみようじゃないの。
そう思って、できることを増やしたくてITベンチャーに転職し、激務すぎて体を壊したりしたあと「仕事の内容よりも休みが取れてそこそこの給与が貰えること」を第一に考えて転職したのが現在の勤め先だ。
WebメディアやSNSを運営したりアプリやサイトを作ったり、事業に付随するWeb関連のあれこれを社内で請け負う、何でも屋みたいなことを最近はしている。

もっとこういう仕事をしたい!とか出世したい!社長になりたい!みたいなアグレッシブな思いは、今の会社ではまったく持っていない。
夢がないと言えばそうなのだが、休みは取れるようになったので、1人で温泉宿に泊まることと、登山が趣味になった。

仕事でWebメディア運営をやることになったけれど、興味のないジャンルの記事を執筆・編集することに嫌気がさして、好きなことを書いて発信したくなったので旅のブログを始めた。
SEOの知識が少しはあったし、個人ブログが盛り上がっていた頃だったから多くの人に読んでもらえるようになった。
そうするうちに雑誌やWebメディアから依頼をいただいて、登山や温泉、ひとり旅やひとり酒などをテーマに寄稿する機会が少しずつ増えていった。

ちょうどこの頃「会社勤め」をテーマに寄稿したのがこの記事だ。

社会人になって転職を重ねたのち、ひとり旅と登山を始めた経緯について綴っている。
この記事が公開されたとき「結果的にブログを書籍化できたら、最初の夢である『本を作る』が叶いそう」というコメントをいただいた。

はてなブックマークコメントより

いつかそうなるのではないか?と実は私も思っていた。
実はこの頃既に「ブログを書籍化しませんか?」というお話をいただいたことはあったのだ。出版社の方と打ち合わせをして、具体的にどういう本にするかのイメージができなかったので立ち消えとなったが、このままブログを続けていけばまた、同様のお話をいただくこともあるかもしれない。

その機会は思ったより早くおとずれた。数ヶ月後、はてなブログとKADOKAWAで取り組んでいた「ブログ書籍化プロジェクト」で、KADOKAWAの編集の方からお声がかかったのである。2019年の10月のことだった。

前回の依頼をいただいてから少し考えを巡らせていたこともあって、2~3度の打ち合わせでタイトルと大まかな目次が決まり、執筆に入ることになった。
「ブログ書籍化」と言いつつも1から書き下ろすことになり「本当に書けるのだろうか……?」と震えていたが、幸か不幸か、執筆を始めて間もなくコロナ禍に突入。
テレワークで通勤時間がなくなり、飲み会や友人と会う機会もなくなり、移動制限で遠出しにくい期間もあって家に籠もりがちになった。また、旅をテーマにしたブログも更新しづらい空気があったので、その分書籍の原稿に注力できた。
それでも執筆には10ヶ月の期間を費やし、2020年の8月まで原稿を書いていた。当初は3月に脱稿予定だったのでまったく予定どおりにはいかなかったのだけれど、コロナ禍の引きこもり時期じゃなかったら、あの本は書けなかったんじゃないかと思う。

2020年10月28日に、私の初めての著書は発売となった。

本をつくって出すことはどうしてしんどい?

実際に本を出してみて、月並みだが、出せてよかったなあと思っている。
子供の頃から「夢は小説家!」と言っていたような気がするし、小説家は向いていなかったけれど自分の書いた文章が本になったという喜びはとてつもなく大きかった。

著書をきっかけにブログやnoteの読者になった、と言っていただけることも多いし、出版以前からブログの読者だった方にもたくさんのお祝いの言葉をいただいて、本当に、ブロガー冥利に尽きるなと思ったのだ。

しかし「出せてよかった!」と思う反面「しんどかった!もう当分やりたくない!」という思いも強く残ってしまった。

実は、初めての著書を出版して以降「本を出しませんか?」という依頼を5社からいただいた。
本当にありがたいことなのだが、メールのやり取りや、会ってお話をする中で「これはちょっと厳しそう」という結論に至り、4社お断りすることになった。
そして5社目の依頼をいただいたとき「今回は書けそうだ」と思って受けることにしたというのに、書けないのだ。書けていないのだ。

この状況は本当によろしくない。
なぜ、書けないのか。

企画の段階では書けると思った内容が、いざ執筆に入ってみたら書くことが難しかった、という計算違いもあった。
Webメディアなどの寄稿記事でもたまにそういうことはあったが、せいぜい3000文字とか5000文字なので、2週間ぐらい死ぬほど悩んでなんとか文章をひねり出して無理矢理終わらせてきた。しかし、著書1冊分となるとボリュームが段違いで、そんな力業で終わらせられるとは思えない。
それならばスムーズに書けるよう企画の修正を提案し、落としどころを見つけて進行すればいいじゃないか。自分が書きやすい企画に調整するためには、提案を待つよりも自ら動いたほうがうまくいくはずだ。

それができずにいるのは「また本を出したい」という強い思いを持てずにいるからである。
「本をつくる、本を出すことがしんどい」と思っているからである。
なぜしんどいと思っているのかを以下に述べたい。

すべてを自分の思うとおりに作れるわけではないからしんどい

ブログやnoteに書いているテキストはすべて、自分の思うとおりに書いているし、掲載する写真もすべて自分で選んでいる。
しかし、メディアへの寄稿もそうだが、商業出版をするとなればそこには出版元の意向も入るし、思うようにいかない部分も当然出てくる。

たとえば、お断りしてしまった4社のうちの1社とは「こういう本を作りましょう!」という話し合いの段階では意見が合っていたのだが「何ページで、判型(本のサイズ)は何で」といったような規格を決める段階になって
「カラーページが入ると値段が高くなってしまうのでモノクロ印刷で」
と言われてしまい、それではイメージしていたものとだいぶ変わってしまうなあと思ってお断りすることになってしまった。

今進んでいる(が、執筆が進んでいない)企画に関しては「どういう本を作るか」については合意ができたので執筆に入ったわけだが、執筆が終われば編集・校正の段階に入る。
ここでは、さまざまな理由から原稿にたくさんの赤入れがされる。普段好き放題に書いて公開している身からすると、誤字脱字や表記揺れ以外の理由で文章を直されることにはまあまあの苦痛を伴う。

3000字とか5000字の寄稿でも、編集段階で文章を大きく直されることはしんどいなあと感じていた。
しかしごくまれに、直し方がうまいのか感覚が似ていたのか?どこをどう直されたのかわからない、あれ?私もともとこう書いていたような気がする……?(けどよくよく見ると修正が入っている)という風にさらっと編集が終わることもあった。

今回もそうだったらいいなと思うが、めったにないことなので可能性は低いだろう。
となると本1冊分、あのしんどさを味わうことになるのか!しんどいなー

ただ原稿を書けば終わりではないからしんどい

初めての著書を出したときは、何もかもが初めてだったので「原稿を書き終えればそれでだいたい終わり」だと思っていた。
しかしそうではなかった。

先にも述べたとおり、原稿を書き上げた後は編集作業に入る。
前回「ひとり酒、ひとり温泉、ひとり山」のときは、私の負担を減らして編集作業のスピードを上げるために、編集担当の方が文章を直接修正し、そのあと編集済みの原稿に問題ないかチェックするだけ、という方針を当初は採用していた。
しかし、編集済みの原稿を読んだときに強い違和感を感じてしまい、これを私の書いた文章として出すことはできないと思ってしまった。それで結局、編集が必要な箇所には「こういう理由で編集が必要です」「この章はあと○文字削ってください」というように赤入れだけしてもらい、修正は私自身にやらせてもらうことにした。自分で頼んでそうしてもらったとは言え、これがかなり大変だった。

さらに編集の後には校正に入る。これも地味に大変な作業である。
「執筆が終わればだいたい終わり」なんてことはまったくなかった。

執筆も編集もそうだが、ある程度の割り切りが必要なのだとは思う。
著書を何冊も出しているブロガーさんが「編集者が入ると書いたものはよくも悪くも私が100%書いたものとは別のものになるし、本は基本的に出版社の商品だからブログで著書の宣伝はしない」と書いているのを見たことがある。実際にその方のペンネームで検索すると、著書をたくさん出しているしWebメディアに寄稿もしているのに、ブログでは著書や寄稿記事についてほとんど触れていないのだった。

なるほど、そういう手もあるのか、と思った。
「ブログなどの普段発信しているテキスト」と「著書」は別物として完全に割り切れるなら、気持ちは楽になるかもしれない。

そもそも執筆にしろ編集作業にしろ「自分の中で最上のもの」を出すことにこだわり過ぎなのではないか。
版元にしてみたら私が「自分の中でこれがベスト!と思える原稿を出せない」ことよりも「予定していた日時を大幅に過ぎているのに原稿が上がってこない」ことのほうが重大な問題なのではないか。
「質についてはそこまで求めないからとりあえず書いて出してほしい」
と思われているのではないだろうか。

「こういうものだ」と割り切って、とりあえず予定していた文字数の原稿を出せばいいのではないか?

しかし、この後に述べる理由から私は「とりあえず出せばいい」と割り切ることもできないのだ。

労力を費やしても売れなければお金にならないからしんどい

紙の本は、初版は5000部程度刷られることが多いが、売れ行きが良くなければ増刷されることはない。
著者の収入となる「印税(概ね定価の1割)」も、売れなければ初版分しか入ってこないことになり、労力をかけて作った割には……ということになってしまう。

さらに言うと紙の本は、たとえばnoteのメンバーシップなどと違って「売れ行きを見ながら内容を調整していく」ことができない。発売した時点で売れなければそこでだいたいの評価が決まってしまう。せっかく労力をかけたなら売れてほしい。だから「とりあえずこんなもので!」と割り切ることは難しい。

また、発売前後はブログやSNSで新刊の宣伝したり、著者として宣伝活動に一役買ったりすることが必要となる。最初の書籍のときは、著書に関連する寄稿やイベント登壇などを行った。お断りしてしまったが書店などでのサイン会のお話もあった。

宣伝をしたほうがもちろん売れ行きは良くなるのだろう。
しかし、私自身会社勤めをしている身だし、ブログやnoteだって書きたい。
限られた時間を著書の宣伝に使うのであれば、その本は「ベストを尽くしたし売れてほしい」と心から思えるものでなければと思うのだ。

読んだ人から(ときには読んでない人からも)批評されるのがしんどい

書店の数が少なくなったこともあり、Amazonなどのネット書店で本を購入する方が増えた。
書店なら、実際に本を開いて興味を持てそうな内容か確かめてから購入することができるが、ネットで購入する際はサンプルとして公開されている箇所以外は読むことができないので「レビュー」を参考にすることになるだろう。しかしこのレビューが、正直しんどいことが多いのである。

本当にひどいなと思ったレビューもいくつかあったのだが、現在は消えている。書いた人が消したのか、規約違反などで削除されたのかはわからない。
しかし、現在残っているレビューにも「なんでこんなこと言われなきゃならないかなあ……」と思ってしまうものもいくつかある。

それでも、購入して読み、その上で批判的なレビューを書いているなら仕方ないなと思うのだが「まったく中身を読まずに帯や表紙、サンプルとして公開している目次だけを見て書いている」とはっきりわかるレビューもあるのだ。
Amazonでは参考になったレビューに対して「役に立った」ボタンを押せる機能があるが、好意的なレビューよりも批判的なレビューのほうが「役に立った」と評価されやすい。
だから、まったく中身を読んでいなくて明らかに的外れなことが書かれているのに、批判的な内容であるために「役に立った」がけっこうたくさん押されて上位表示されているのも歯がゆい。

読まずにレビューを書くような輩はもうどうしようもないが、レビューが書かれ、それが売り上げを左右するとなれば「この本を出したらこういう批判的なレビューがつくだろうな」と予想できてしまう状態では出したくない。

そう思ってしまうから、割り切って「とりあえずこんなもんで!」で出すことができないのである。

著述業が本業ではなく「趣味」という気持ちで楽しくやっていたからしんどい

ブログを始めたのは社業でのWebメディア運営に嫌気がさして「好きなことを好きなように書いて発信したい」と思ったからだった。

ストレスを発散できる趣味として執筆や情報発信をしていたのに、執筆のためにストレスをためてしまうことはできる限り避けたい。
多くの人に読んでもらいやすいが、時に悪辣なコメントを投げつけられることがあるブログよりも、読者が限定されるnoteのメンバーシップの更新が最近は多めになっているのも、そのためだ。

ブログが昇り調子で、寄稿依頼や著書の執筆依頼が立て続けにあった頃に、腰を据えて著述業1本でやっていく道を1度も考えなかったわけではない。
しかし、その道を選んだら「自分の思うとおりに作れないからやりたくない」なんて言っていられなくなるだろう。それは、あまり向いているとは言い難い「会社員」を続けるよりもずっと辛い道のりだ。

執筆や情報発信はあくまで「楽しい趣味」にしておきたかったから、プロフィールに肩書きが必要なときも「ライター」とは名乗らず「ブロガー」を通した。
そういう姿勢だったから、依頼を受けて執筆を行うことは、認めてもらえてうれしいしありがたいことだと思う反面、痛みを伴っていたのだけれど。

しかし、しかしね。
私が「執筆は趣味でストレスためずにやっていきたいから」と言っても、依頼してくれた側にとっては紛れもなく仕事なのだ。
引き受けた以上は、何かしらの決着をつけなければならない。

「できるものなら5年に1冊ぐらい出せるといいな」という思いもあった

執筆は趣味で楽しくやりたくて、前回の著書を出したときにしんどい思いをしてもういいや!と思ったなら、どうして執筆依頼を引き受けたのか?

初めての著書が出たとき「とてもしんどかったし当分やりたくない」と思ったけれど、その反面「5年に1冊ぐらいがんばれるといいな」という思いもあったのだ。

そうは言っても「紙の本」はスペシャルな存在ではある

今は個人でも簡単に、Kindleで電子書籍を出せる時代だが、とは言え自分の名前が表紙にある紙の単行本は、次元の違うスペシャルな存在だと思う。

国内旅行のおりに立ち寄った図書館や書店で、自分の本がないと少ししょんぼりするし、置いてあればその喜びはとてつもなく大きい。

先日初めて泊まった、山形県にあるすばらしい温泉宿の図書コーナーに自著が並んでいたときもとてもうれしくて、宿の人に思わず「この図書コーナーの本はどなたが選んだんですか?」と聞いてしまった。

選んだのは社長だそうです。ありがとう社長!すごく良い宿だったしまた泊まりに行くよ!

それからXで、私の本を旅のお供に連れていってくれている……という投稿をお見かけしたことも何度もあり。

本当にありがたいことだなと思う。

当初予想していたより長く読んでいただいているこの本。時間が経っても古くなりにくいよう内容も吟味したつもりではあったが、さすがに5年もすれば「少し前に出た本」になってしまい、書店から消える日が来るだろう。
その頃に次の1冊を、出せないだろうか?

いつか会社員を辞めたときに自然な形で執筆を生業にしたい

続けられる限りは会社員を続けたいと思っているが、いつかは辞めるときが来る。
しかし、その後も人生は続いていくわけで……そのときが来たら、なるべく無理のない形で執筆を生業にできないだろうか?

5年に1度ぐらい少しの無理をして著書を出すことは、その未来につながるような気がしたのだ。

しかし……前回の著書を出したのが2020年。5年後はもう来年。
4年間があっという間過ぎて「え?もう??」と思っているのが今の私だ。
5年に1冊じゃなく、10年に1冊でも、良かったかな……?

20年前の私が今の私を見たら何を思うだろう?

約20年前、「出版編集部門に配属されなかった」と嘆いている私が今の私を見たら「なんてもったいないことを!もっとちゃんとしろよ!」と思うにちがいない。
あの頃の私なら、これまでお断りしてしまった4冊の企画についても、引き受けて自分で書ける方向になんとか持っていこうとしたかもしれない。そういうガッツがあの頃はあった。若かった。

しかし、20年間のうちに体も壊したし限界を知った。自分には向いていないこともあるし、向いていないことにあえて取り組んでも成果は上がりにくく、大きなストレスがかかることも知ってしまった。

それゆえに今の体たらくがあると言えなくもないが、現状については、このままでいいとはもちろん思っていない。
新たに執筆の依頼をいただいても「著書の執筆中なので」という理由ですべてお断りしているので、続けるにせよ終わらせるにせよ、決着をつけなければ先に進めないのだ。

それでも、10年後の私につながる選択をしたい

今の私は、20年前に想像していたのとはぜんぜん違う私だった。だから、10年後、20年後の私も、今想像しているのとまったく違う私になっているかもしれない。
それでも、10年後の未来につながる選択ができるように考えたいなと思う。
とりあえず、今楽なほうに逃げてしまわないよう、自分への戒めとしてこの文章を書いた。

もしかしたら、この文章を読んだ担当編集者の方から「ああ、あの件はもうけっこうですので!」と言われてしまうかもしれないけれど。

著書については続報があればまたnoteで告知するので、興味がある方はフォロー・メンバーシップ登録をよろしくお願いします。

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