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不登校から離島留学を決めるまでのこと

今日はちょっと勇気を出して、次男が学校に行かなくなった時のことを書きたいと思います。 この時のことは、まだ自分の中に、まだ消化しきれない気持ちが残っているような気がして、そういうのが言葉に乗っかってしまうことが怖くて、話すことさえあまりないままにしてきました。読んでいて不快な気持ちになったらごめんなさい。


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離島留学を決めた時、息子2人はオルタナティブスクールに通っていました。その学校は、そこにある教育を求めて1年生から入学するような子が多く、近年では募集枠を超えた応募者が出てきていました。一学年7、8人で、のびのびとした教育の学校でした。

だけど、そんな小さな世界の中で、3ヶ月近く長男が陰湿ないじめにあいました。

長男が辛い状況の間、何度も何度も学校とも話し合いを重ねました。学校との話し合いは、いじめという言葉を使いたくない(認めたくない)のだな、という印象に始まり、「コミュニケーションだからね、〇〇にも原因があってこういうことになった」ということを言われたり、、、こんなに傷ついているのに、さらに傷つけられたような気持ちになるようなものでした。

それでもとにかくあきらめずに、話し合いをつづけ、最後には学校と相手側からの謝罪にまで至りました。

今こうやって書いていても、記憶に蓋をしたい自分がいてフリーズして、胸が苦しくなってしまいます、、、。

話を戻して、、、

そして、長男はふたたび学校に楽しく通うようになりました。


だけど、ほとんど入れ違いのようなタイミングで、今度は次男が学校へ行くのを嫌がるようになりました。長男のときのことで、直接なにもされていない次男も傷ついているということは感じていたので、「嫌だ」と言ってシクシクなく次男を無理に行かせることはしませんでした。

彼の気持ちを学校側に伝えました。

学校の中で「死ね」などの言葉が飛び交っている状況を辛く思っていること。 長男のことで次男も傷ついていること。長男をいじめた子たちが軽い冗談のような調子で仲間外れを相変わらずすること。

だけど、なにも変わることなく、変えようとする気もないようでした。「学校のルールは子どもたちが決めることだから。暴言についても子どもたちと話し合いましたが、子どもたちからは「気にしない」という意見が多かった」という話でした。

「もう無理だな」という思いを確信しました。掲げている理念は素晴らしく、今も素敵だと思うのですが、実際の現実や環境は思っているようなものではないのだとはっきり思いました。


そしてそのまま次男は学校が大嫌いになり、私も新しい道を探すことを考え始めました。

家にいる間の彼は、なんだか萎んだ花のようで、、、このままではいけないということだけははっきりしつつも、どうしていいかわからないまま3ヶ月が過ぎようとしていました。

そんな時、何年か前に聞いていた山村留学のことをふと思い出しました。

生き物や自然が大好きで、キャンプに行くたび信じられないくらいイキイキと活動していた彼。一日中でもカブトムシを探し続ける彼。

そんなイキイキできる環境を用意してあげたい!

長男にとってもきっといい経験に違いないし、来年度6年生になる彼にとっては最後のチャンス!

そう思ってから、いろんな山村留学、離島留学を調べまくりました。 行くことを想像してみたら、私自身とてもワクワクしてきたし、なにより次男が前向きな反応をしめしました。 

現実問題としては他にもいろいろありましたが、このままの状況を変えていきたいという気持ちは、夫も私も同じだったので、とにかく行動してみようという、そんな最初の一歩でした。

長男はふたたび通うようになった学校を楽しんでいましたが、彼の気持ちが一番と思いつつも、親の学校への信頼がなくなってしまったことは大きく、説得するような形になってしまったけれど、いっしょに行くことも想定して、とりあえず面接に行ってみることに同意してくれました。

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現在の学校は、全校生徒は30人を少し超えるくらい。学年に縛られず、みんなで遊ぶことも多く、先生たちとの距離感も近く、安心できる環境のようです。

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以前通っていた学校が、大嫌いだといっていた次男は、最近になって「あそこも楽しくて、いい学校だったと思う。だけど、傷つくことが多かったな、、、」と深いところをみつめるような目で、振り返ってました。彼の中で、もう過去になったんだなぁ、と思いました。

そんなすっきりと前を向いて、現在を生きる彼を見習って、私もこれを最後に、すっきりと前へ進みたいと思う。


読んでくださりありがとうございました。

mahalo nui loa

南の島より mico




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