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【 障害受容 】 という言葉。

こんにちは、月子です。
今日は、巷をザワザワさせる【 障害受容 】という言葉について。

子どもの障害を親が「認める」「認めない」とか・・・そういう話しも絡むけど、言いたいのはソコとはちょっと違う話。この言葉に対する私の捉え方や感じてきたことについてのお話しです。


いきなりですが・・・それ、本当に必要ですか?

これが月子の正直な感想です。もっと詳しく言うのなら、他人から言われたくないよって思う言葉。「受容してね」と人から言われて「はい、そうですね」ってなる? 「受容しなくてはならない」と思って無理やりにでも受け入れられる?

病院で、療育で、幼稚園で、学校で、言われるらしい。
私は言われたこと無いんだけどね。


保育園時代

こんなお母さんはじめてです」って先生に言われました。「こんなに(子供の障害を受け入れている保護者は)はじめてです」という意味だったと思う。

他にも「海月くんは、月子さんを選んで生まれて来たのだと思う」って言われたことも。

あ、それ障害児親界隈で言われてる超有名NGワード・・・って聞きながら思っていて。私は特にショックを受けるでもなくて、SNSで目にする言葉のように何処か他人事のようだった。先生ってば、いい意味で言ってくれてるんだろうな・・・でも他の人に言っちゃダメだよ? って考えながら。私への攻撃力は0(ゼロ)だけど、瀕死になる保護者はいるだろうと想像できたから。どっちの先生も、私が障害受容していると思ってたんだろうなぁ・・・。


そんな出来事があったんで、私って受容してるんだ?!って、ずっと思ってきたんだけどね。

それから数年後。
普段は「個別」で通っていた放課後等デイサービスが「小集団」に変更になるという話があり、紆余曲折の末4−5人程度のグループ活動をお試しすることに。参加している子供たちは、ルールのある遊びを理解して、楽しんで、言葉を発して、互いにやりとりして。その様子を私はモニターしていた。

海月くんの様子はというと・・・
外の景色見たり、窓のサッシ触って回ったり、窓に映る自分を見たり、抱っこしてもらったり、声をあげたり。全くもって一緒に活動できてない。というか。できることのレベルが違い過ぎて、無理に決まってる。

一緒にいたのはおそらく支援学級の子たちで。この子たちは、何のためにきてるの? そう思うくらい、私から見たら普通の子供たちだった。

この子たちも生活に困り感を抱えているのだろうけど、この子たちと混ざっても一切ついていけないんだ。

他の子と比べることは意味がないと分かっていても
あまりの差に愕然とした。
ショックだった。
受け入れられなかった。


受容って何なんだろう。
受容したってことに何の意味があるんだろう。
受容したらエライの?
受容しなかったらダメなの?

言葉が私を苦しめるなら、そんなものは必要ないんじゃないかって思えてきて。

ムスコ、海月くんの場合は、

A)しか選べないくらい知的障害が重い。否定できる要素がない。でも、この選択肢・・・なんか違うな。

という感覚に近しい。



そしてここから、
私がずっと胸の奥に抱えていた話

海月くんは、この世界に出てきた直後に、まずは身体のトラブルが発覚した。その事実を受け止められなかった私は 出産自体が無かったことにできないか と思ってしまった。リセット。または command + Z 。人として最低だなと、自分が嫌になった。そんなことを思ってしまった私って本当に最悪だなと思った。

だから、誰にも話すことができずに黙っていた。
絶対言っちゃいけない言葉だと思っていたから。

そんなことがあったからか「障害」というより「存在」についてを産後すぐに向き合うしかない状況で。ウンウン考えて、シクシク泣きつつ産後鬱も混ざって酷い状態。あれから長い時間が流れ、海月くんは今や小学部。これだけ月日が流れりゃ、悟りも開くわ。

障害者って何者だろう

障害者基本法(昭和45年法律第84号)
(定義) 第二条 この法律において「障害者」とは、身体障害、知的障害又は精神障害(以下「障害」 と総称する。)があるため、継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける者をいう。

「障害者基本法」より

日本における「障害者」の法的な定義はこんな感じ?


海月くんはお話できない。「知的障害」だと理解している。ってことは・・・障害者よね。私は海月くんという存在を受け入れている。と、思う。でもそれが =(イコール)障害受容かと言われると正直よくわからない。


目の前の存在が大好きで。だから知りたいと思うし、理解したいなと思う。何が好きで何が嫌いで、どんな時に喜んでどんな時に怒るのか。海月くん目線で世界を想像して、ときどき見てる世界が分かったかもという瞬間が訪れる。不思議な行動に見えても、意味のない行動なんて無いのかもしれない。ごく普通の子なら一歩で登れてすぐ通り過ぎる1段を、10回に分けて登る景色には発見や喜びがたくさん詰まってる。

ありのままの子供を見つめる目があれば、それでいいんじゃないの? って、月子は思います。心は一定じゃなくて、揺れるし、波打つ。それが当たり前。



あ、ちなみに。文中に出てきた保育園も先生も本当に大好きでした。NGワードの話したけど、ディスりじゃないからね・・・私を支えてくれた素敵な保育園でした。その話もまたの機会に。



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月子(つきこ)
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