ショートショート。のようなもの#16『夜の蝶』
「食べてからすぐに寝たら、“牛になる”わよ」
ぼくは、ママにそう言われたから、絶対に食べてからすぐに寝ないようになったんだよ。
そんなの迷信だろう。って言いたいんでしょ?でも、ぼくのママが言うんだから絶対に、本当だよ。
だって、“夜の蝶”のぼくのママが言うんだから─。
はじめて見たときは、本当にびっくりしたよ。
ある日、夜ご飯のカレーを食べおわったぼくは、いつものように食器を台所に持っていき、水につけた。
そして、いつもなら、ママに言われた通りにそのままお風呂に入るのだけど、その日は、観たいテレビがあったのでそのまま居間に座っていた。
そのときぼくは、無性に、襖越しの隣の部屋が気になった。その部屋には、ママがいるのだ。
いつも、ぼくよりも先にご飯を食べ終わり、隣の部屋に入っていって、ぼくがお風呂に入ってる間にお仕事に出掛けていく。
そして、ぼくが朝、目を覚ます前に帰ってきて、隣で寝てくれている。
ママは、なんでも“夜の蝶”とかいうのをしてるらしい。
“夜の蝶”ってどんな仕事なんだろう?と前から疑問に思っていたし、いつもぼくがお風呂に入ってる間に、この部屋で何をしてるのだろう?と、気になっていた。
だから、ぼくは、ママから「見たらダメよ」と、言われていたけど、約束を破って、バレないように襖をほんの少しだけ開けて覗いてしまった。
すると、そこには、見たことのないママがいた。
というか、本当はママかどうかわからないけど、それ以外の人はこの家にはいないから、ママなんだと思った。
なぜ、ママかどうかわからないかと言うと、“蝶々”になっていたからだ。
お化粧台の前で、パタパタと粉を叩いて顔から全身につけたり、髪の毛を触角みたいに立てたりしていたかと思うと。
極めつけには、ママの肩甲骨が背中から飛びだして大きく大きく広がったかと思うと、なんと半透明の羽根のようになったのだ。
まさに、そこには、大きな“蝶々”がいた。
ぼくが、呆然としていると、ママはガラガラッと窓を開け、鱗粉をキラキラと降らせながら、夜空に飛び立ち、フワフワと羽ばたいていった。 ぼくは、慌てて靴を履いて空飛ぶママを追いかけた。
気がついたときには、ぼくは、カブキチョウとかいう町内まで来てしまっていた。
学校の先生や、ママから、近づいたらダメだと言われているところだ。
建物はギラギラと光っていて、いろんなところから強い音がいっぱい聞こえてきて、黒いスーツの男の人はタバコの匂いをさせながら道行く人に声をかけては痰を吐き捨てていた。
派手なヒラヒラのカーテンを巻いたみたいな女の人は眉間にシワをよせてキーキーと鳴いている。
この人たちも、ママみたいにお昼は普通の人だけど、夜になって何かの動物になっているのかな?
そんなことを思いながら、ぼくは、カブキチョウをフワフワと舞う進むママを追いかけた。
しばらく行くと、一つのお店の前でママがスーッとスピードを緩めた。
そのお店の扉は少し開いていて、その間から、ママは店内に入っていった。
ぼくも、バレないように注意しながら中を覗いた。すると、そこには奇妙な光景が広がっていた…。
薄暗い店内には、何本かの木が生えていて、童謡の「ちょうちょう」が爆音で流れてて、赤とか青とか緑のレーザーみたいな光がシュインシュイン!となっている。
その中をママのように、恐らくは元人間であろうサイズの蝶々が5.6匹飛んでいて、それを捕まえようとするおじさんたち。
おじさんたちは、みんな短パンにランニングシャツ姿で、首から虫とりカゴをかけ、手には虫とり網を握っていた。ぼくは、なんだか恐くなってきた。
夢を見てるのかと思ってほっぺをつねってみたけど、痛かったから、どうやら夢じゃないみたいだ。
帰ろうかと思ったけど、ママが毎晩こうやって働いてくれているから、ぼくは、学校にも行けてるし、ゲームも買ってもらえてると思うと、もう少し見ておいたほうがいいのかと思って、バクバクと動く心臓を抑えようと胸に手を当てながら、必死で、ママを目で追いかけた。
蝶々を捕まえたいおじさんたちは、ドンペリとかいうお酒を木に塗っておびき寄せたり、木の枝にバーキンとかいうカバンを引っかけて罠を作ったりしていた。
それに引っかかって、捕まった蝶々もいたけれど、捕まえたからといっておじさんたちも何かするわけでもない。
なにしろ、黒いテカテカの大きな躰をした“カブトムシ”が睨みを利かせて監視をしているのだ。
だから、おじさんたちは、捕まえた蝶々に丸めた一万円札を握らせて、返してあげていた。
しばらくは逃げ回っていたママも、おじさんを喜ばせるために、わざと捕まってあげたりしていた─。
どれくらい時間が経ったのだろう、全身が緑と黒の大きなガマガエルがガラガラ声で「はーい、もう今日はお終いね~!社長さん、お終いよ。ありがとね~!もう蝶々たちを帰さないとダメだから~、また明日ね~。はい、順番にお会計しましょ」と、店内に響かせた。
すると、ママたちがぼくのいる出入り口のほうに向かって飛んできた。
「ダメだ!バレちゃう!」
ぼくは、大急ぎで駆けだした。
「ママが帰ってくる前に、布団に入らないと!」
また、さっき来たカブキチョウを全速力で走った。
「よかった~」なんとかママよりも先に家について、息を切らせながら布団の中に入った。
そのあとすぐに、窓が開いて、ママがフワフワと帰ってきた。
帰ってきたママは、すぐにお風呂に入っていったけど、どうやって人間に戻ったかとかも気になったけど、もう見ないでおこうと思って、ギュッと目を瞑って、ぼくは布団の中で丸くなった─。
─あっ、そうそう、そうだった。ぼくが、食べてからすぐに寝ない理由だよね?それだよ、それ。今言った話が、まさに、その理由だよ。
だって、そんなママに「食べてからすぐに寝たら、“牛になる”わよ」って言われたら、信じちゃうでしょ?だから、そんなことはしないんだよ。
~Fin~