リリー・フランキーさんの名言 「人は歳とったぐらいで成長なんてしません。 おっさんが落ち着いて見えるのは元気がないからです」 わかる✨と力強く頷いてしまう。 おばはんが逞しいのも、成長とは違うと思うし。 男女問わず、歳とったぐらいで成長なんてしない。 長く生きている方が学びの機会が多いはず、なだけで 若くても分別ついた立派な人はいる。 言葉の説得力は生きた年月で増したりするけど 案外、若い頃も同じことを言ってたりする。 経験がないと腑には落ちないので いろんな事態、
昨年も、今年も、夏の猛暑がなかなかに異常で 農業の世界にも様々な影響を及ぼしています。 丹波の名産品[黒枝豆]も、大不作に見舞われたり 収穫時期にズレが生じたりして もう地球はこれまでとは違う環境になってしまったのではないかと ヒヤヒヤはらはらしています。 多品目の野菜を作付けしている農家の友人が 猛暑も水不足もまったく影響なく増殖していく 最強の野菜はこれだ、と言っていたのが タイトルの[菊芋]です。 ほんの少し植えておいたら、引くほど増えます。 我が家もかつて、おばあちゃ
等身大、という言葉からイメージされる自分像。 若い頃のわたしの場合、それは未熟でちっぽけな存在で あまり直視したくないように思うものでした。 自分はこのままではいけない、 もっと成長しなくてはならない、 そういう焦りから、等身大の自分を否定的に見ていたように思います。 本来の自分はこんなもんじゃないはずだ、 もっと活躍できる、したい、という 期待や自信に満ちた肯定的な思いが強い場合も 現状の自分の等身大を、不足した存在に感じてしまうのではないでしょうか。 等身大の自分
私は身近に畑も田んぼもない環境で育ったので 丹波に引っ越して、家から一歩出れば 目の前に山があり、畑があり、 野菜が育つ様子をリアルタイムで観察できたり 道の端にゴザを広げて何か乾かしているのを見たり 目に映るものが色々と新鮮で、 あれは何?これは何してるの?と 人に聞いては感心してました。 そんな中で 「こんなことも知らんのか?」 と鼻で笑われたこともあり。 あ、今のはバカにされたな と感じたら やはりちょっと嫌な氣持ちになって 知らない自分が恥ずかしい人に思えてきたりし
「信じるか信じないかはあなた次第です!」 っていう某人の決めゼリフがありますが、 この世は本当にその通りだなぁと思うのです。 人は真実より信じたいモノの方を信じますし 誰かの正義は誰かの悪であったりするものなので それで良いんだと思います。 いつか白馬の王子様が迎えに来てくれるのだ、と 本氣で信じている人のもとには きちんと白馬の王子様が現れるのだと思います。 王子様を待ち焦がれるあまり、 いやその人は違うでしょう💦という人を 彼が王子様なのよー!!と思い込みたいパターンもあ
日本で一般的にインターネットが普及し出したのは 1995年頃からだそうです。 昭和生まれ、平成ギャル世代(ギャルではなかった)のわたしが 小中学生の頃にはまだなかったインターネットが 高校生ぐらいから登場しました。 モバイルもどんどん進化して一般化していきましたね。 今や大人も子どもも当たり前のように 一人一台はスマホやタブレットを所持している時代ですが わたしが高校生の頃はまだポケベル、PHS、ケータイが混在していて そのどれも所持していないという子も少なくなかったです。
昨日、少し前に知人から教えてもらっていた 青垣町稲土の浄丸神社さんに行ってきました🚗 山の中にあるので、神社の手前600メートルぐらいのところに 獣害対策の鉄柵の門扉が設置されています。 それぐらい自然が豊かなところです。 神社さんに向かう道の、左は山肌で木々がいっぱい 右には川があって、とても清い水が流れています。 木々の香りを含んだ山の湿氣を吸い込むと 全身の細胞が潤っていくような感じがします。 透明の清流の中にある苔むした岩の緑色とか めっちゃジブリの世界観で、どんどん
わたしは、今でこそスマホゲームの一つもしませんが、 ファミコン世代なので、小学生の頃はRPGで遊んでいました。 特に好きだったのはファイナルファンタジーです。 2でしたかね?ジョブチェンジって、職業が変えられるやつ。 戦士や魔法使いはわかるけど、吟遊詩人がいたりする事 子どもの頃はただ不思議でした。戦いに向いてなくない?と。 ドラクエでも、遊び人ってのがいました。 レベルが最高まで上がると遊び人こそが最強のキャラクターになる、 という設定は、大人になった今だからこそナルホドと
他人の夢の話ほどつまらないものはない、なんて意見があるというのに 何故でしょう、夢を題材にアウトプットしたくなりました。 わたしは物心ついてから現在まで、ほぼ毎日夢をみます。 何度も登場する同じ街並みがあったり、 違う日の夢で同じお店を利用したり、 パラレルワールドみたいなもんなんだろうか?と思う、夢の世界。 子どもの頃によくみた夢で覚えているのは 薄暗い階段の踊り場にいるピエロを階下から見上げる夢や 鬼から逃げて、走っても走っても前に進まない夢など、ちょっと怖いもの。 父
昨日、半覚醒の状態でテレパシーらしきものを体感した、 やはり電話に似た感じだった、などとと書いたところですが 今日は完全に眠っている時に 別の某知人よりクレームの電話をもらう夢を見ました😅 SNS上で知り合い、リアルには一度お会いしただけですが とても尊敬できるセラピストの方で、 たまに長電話をする仲だったのですが 政治の話をきっかけに何か思うところあったようで 繋がっていたもの全てブロックして去って行かれました。 対話ができれば、誤解ならとけたかもしれないけど サクッと去
今朝方、半分寝てて半分起きているような状態で 不思議な事がありました。 何か カチッとギアが入れ替わるような感覚があり 尊敬する某知人と、想念だけで会話をする、 所謂テレパシーというものを体感したようです。 声も間違いなくその人なんだけど 会って話したり電話で話すのとは全然違いました。 想念だからか、純粋にただただ[声]であり 会話というよりは、 情報交換、確認、といった風情です。 生身でそのような対話をするとどこか寂しいものですが、 想念の会話においては、おそらく繋がって
自宅から車で10分程度の場所へ 用事で出掛けた帰り道の出来事です。 運転していたのは私、助手席に夫がいました。 大きな道の一本裏、住宅が並ぶ細い路地を走行中 5歳の男の子が車の前に飛び出してきたのです。 道の反対側にいたお父さんに向かって 一目散に駆け出したそうでした。 初めて通る路地だったこともあり、減速して走行していましたが それでも20キロは出ていたと思います。 とても徐行とは言えない速度でしたので ブレーキを踏んでも間に合わず、男の子と車体がぶつかり 男の子は2〜3
人と出会い、その人の第一印象が決まるまでに 3〜10秒かかる説と 1秒かからない説があるそうです。 前者は、相手の表情や声色、身だしなみなどを 瞬時に判断している感じがするけれど 後者は、それらを判断する前に 一瞬で決まっている何かがある、という感じ。 多分、どっちもあるのだと思います。 ほんの一瞬で、 なんか好き✨ なんかイヤ💦 は決定されていて、それから外見的なものや 発しているものを見極めていくのが 第一印象の組み立て方じゃないかなと。 相手に自分が好かれるか嫌われる
どうしようもなく氣分が落ち込む時って 何かしら、責めてる時だなと思う。 人のせいにして、相手を責める 不甲斐ない自分の、過去を責める 憂鬱が憂鬱を呼んで 記憶から重苦しいものを引っ張り出す 他者と自分を比べて 自分が もってないもの にだけフォーカスして あれを勉強してこなかったからだ これを続けていなかったからだと 変えようのない過去を責める こんなん苦しいに決まってるけど こういうモードから抜けられない時はある とことん味わってみるしかない 何と比べて人を責めてる
なんかちょっと気になる夢を見ました。 幼児期の数年間、生まれた時とは違う名前で育てられた という夢。 なぜ名前を変えられたかというと 「頭が悪かったから」という(笑) 夢とはいえ、オイ💢です😂 名前の力で、現実の何かを矯正することができる。 そんな感じの夢でした。 ただ、違う名前を付けられた私自身は 私は なっちゃん なのに、 この名前では なっちゃん じゃないぞ?? と、疑問に思っているのです。 正式な名前や漢字ではなく なっちゃん、という音の響きが重要なようでし
愛としか表現できないような 神としか言いようがないような 圧倒的な光を受信して それを発信する時 どうしたって、この肉体を介する。 純粋な光を表現したとしても それは私のカタチで、私の響きで、 私の身体から 世界に発信される。 だからこそ、受け取ってくれる人がいる。 たくさんの表現者がいるからこそ 広く共鳴していける。 きっと感受しているものは 同じ光なんだと思う。 アートも、音楽も、ヒーリングも。 人生を彩り、謳歌すること。 私は、誰かを癒すことで それを成していきたいな