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自傷行為と自殺願望

うつ病と診断されてから、自傷行為が始まった。いろんな理由からそれをする人がいると思う。例えば、SOS。例えば、承認欲求。私の場合は、人に見せたいという気持ちはなく、とにかく心の辛さを忘れたいから、それ以上の痛みを身体に刻んでいた。カッティングすることもあれば、自らの身体を殴りつけることもあった。本当に、ただ痛みが欲しかった。そしてその痕を眺めて、心を落ち着かせていた。

緊縛と出会い、セットで少しだけSMを始めた私は、自分で自分の身体を傷つけるよりも安全に自分を痛めつけることができる、SMにのめりこんでいった。緊縛は緊縛で、相手に命を預ける行為だと感じた。縛られているときの私は、生きながらにして自己を手放していられたし、生殺権を一時的に相手に委ねることは束の間の休息でもあった。(現在はそういう意味で縛られているわけではないが。)

※声を大にして言いたいが、これはたまたま私が「良い縛り手」にであったからこう思えたのであって、界隈にはそうでない方もいるので安易に足を踏み入れることはおすすめしない。

そして、流れで緊縛ショーのモデルとなった私は、始めた理由と真逆の結果を迎えることになる。ショーのために、普段は痣をつけられなくなったのだ。なので、低温蝋燭を買ってきて足にかけて、熱さで心の痛みをしのぐようになっていった。

当時、以前も書いたが毎日死にたいと思って生きていた。そういえば、幼稚園くらいから私はなんとなく、死にたいと思って生きている子どもだった。もしかしたら緩やかな双極性障害をもともと持っていて、小学校時代は鬱、中高は躁、そしてその後たまたま養成所の出来事がきっかけで判明したのではないかと思うこともある。

毎日死にたかった私は、飛び降りられそうなマンションや、首を吊れそうな場所を探したり、ちょっとずつ精神薬を溜めてオーバードーズしてみたりしていた。糖尿病の彼氏がいた時には、彼のインシュリンを過剰投与してみたこともあった。

死にたい、でも死ぬことに成功できない。そんな毎日を変えたのは、東日本大震災だった。

その日、私は朝まで緊縛ショーの打ち合わせをしていて、早朝に帰って眠りについた。そしてあの時間、突然の大きな揺れに飛び起きた。ただ事ではないということは理解したが、睡眠導入剤を飲んでいたこともあり、私は逃げ道(玄関が開かなくなった時のことを考えてベランダを開けたり、ベランダへの道を確保したり)を作って、どうせ来るであろう第二波に備えて一番安全そうな場所である、布団に潜り込んでそのまま眠ってしまった。

夕方だろうか。のそのそとやっとベッドから起きた私は、テレビをつけて初めて朝の大惨事を知ることとなった。だが、ショックだったのはそれだけではなかった。

毎日毎日、死にたい、消えたいと思っていたはずの私が、無意識に逃げ道を確保していたことに愕然としたのだ。そして気付いた。

私は死にたいのではない。今、この現実から目を背けたいだけ。

そして、死にたいと思う気持ちは、所謂「希死念慮」という症状で、私の本心は生きたがっているのだということに。

そしてそれ以降、私は自殺未遂やオーバードーズ、自傷行為をしなくなった。したくなる時はもちろんあるが、その時は「これは症状なんだ」と言い聞かせてとにかく休む。すると、そのうちその衝動も消えてくる。この成功体験を繰り返していくうちに、だんだん考え方も前向きになっていった。



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