エッセイ|虎と馬
心臓が移動している。
左のこめかみあたりが、どくんどくんと鼓動を刻んでいた。
「偏頭痛ですね。」と診断され、拍子抜けしたのと同時に安堵したのは、中学生の頃。
見たことも聞いたこともないような様々な検査をしたものだから、自分はてっきり何か重い病気なのではないかと思い込んでいた。
その頃、頻繁に頭痛がおきていて、度々学校を休むこともあった。
父が頭痛持ちだったこともあり、祖母が心配して病院に連れて行ってくれた。
頭痛薬デビューを果たした日。
その日から私は現在に至るまで、頭痛とともに生きている。
外出する時には必ず、ロキソニンだけは忘れないよう何度もバッグの中をチェックする。これを忘れた日には、なんだか不安で落ち着かない。お守りのような存在だ。
だいたい頭痛が起こる日は、決まってこんな時。雨の日、低気圧が近づいている時、人混みの中や満員電車、飛行機など。気圧の変動や電波の強い場所にも弱い。スカイツリーとか。とにかく人が多い場所はダメだった。あとは、新月満月の前後や水星逆行の時なんかも。
こうしてあげればキリがないほど、長い間、私は頭痛とともに日常を過ごしている。
きっと…地球の次元も上昇してきている今、頭痛に悩まされている方は多いのかもしれない。
頭痛を頻繁に起こすようになった中学時代は、私が最も生きづらさを感じていた頃でもあったと思う。
この頃から私は、自分を生きるということをなんとなく諦め、空っぽになった肉体だけがうろうろと漂っているような状態だった気がする。
言葉を発することも苦痛になっていて、言葉は声にもならずに、喉の奥で潰されていった。潰していたのは自分自身だったのだけれど。
とにかく呼吸が浅かった。
自分のまわりの空気が硬くて重くて、息がしにくかった。思うように酸素が鼻腔を通過できずにいた。
いつも浅い呼吸ばかりを繰り返し、無意識に呼吸そのものを止めていることさえあった。
その頃、一緒に暮らしていた祖母と叔母との嫁姑関係は最悪なものだった。
叔父には他の女の影もチラついていたし、家の中の空気はいつも乱れていて、刺々しく残酷で、嘘に塗れていた。
まるで床一面にガラスの破片が落ちているみたいな家だった。
さらに追い討ちをかけたのは、遠くで生活していた実の両親が、それぞれに再婚していたこと。
母にいたっては再婚相手との子供を産んだという事実だった。
「なんで?」
ほかに言葉が出てこない。
結局、大人なんて自分の欲求だけを満たし、自分の生活を守ることしか考えていない。
子供だった私は、そんなことばかり考えて生きることに疲れ果てていた。
正直、もうどうでもいいと思い始めていた。
…そんな闇夜を手探りでひたすらに彷徨い続けるような中学時代を過ごしていた。
誰だって一つや二つ、トラウマというものを抱えて生きている。
私にとって祖母たちに引き取らせて過ごした10年という月日は、それがひとつの塊となり、私の中にトラウマとして埋め込まれてしまっている。
そしてそれが何かのキッカケで、ふっと思い出した時、強い頭痛を引き起こすことがある。
手が痺れて吐き気を催すこともあったり。
記憶が頭痛に関連しているのかはわからないけれど。
それでも私は、自分のトラウマを早く克服しようとは考えてはいない。そうした方がいいのかもしれないけど、あえてそうしないことを選んでいる。
それは、トラウマを悪いものだとは思っていないからだった。確かにトラウマと対峙している時は、辛いし、苦しいし、痛い。でも長い間、寄り添い続けてきた仲間でもあるような気がして。
それに、毎日24時間365日、囚われているわけではないから。
時々ふと蘇ってきて古い傷を私に思い出させるだけ。「ここにいるよ」って。
そうやってふらっとやってくるトラウマ達を私は、可愛い子供のように扱ってあげようと決めている。
あの時は辛かったよね。よく頑張ったね。生きていてくれてありがとう。そう声をかけて寄り添ってあげる。
すぐに私の中から追い出そうとせず、背中をさすり続けてあげることでだんだんと安心を取り戻していくから。
きっと私の最後の最期の日まで、そうし続けるのだと思う。
私の心の草原では、虎と馬は放し飼いにしている。自由に走り回って良し。私に会いたくなったら、自由に草原を飛び出しても良し。そうやって飼育している。
出てこないで!と、怯えながら過ごすことは余計に心や身体を壊してしまうような気がしたから。
こんなふうに考えるようになって私は今、深く清らかな呼吸ができている。
偏頭痛もトラウマも、なくてはならない大切な私の一部なのだと思えたから。
私はもう何が起きても大丈夫な気がする。
まあ、ちょっと大袈裟かもしれないけど。
起こることはすべて意味があって起こっている。それはきっと本当のこと。
どれだけ自分との信頼関係を結べるかは、私の意識に委ねられているのかもしれない。
一生一緒のパートナーである自分に、今日も元気に「おはよう!」と挨拶をして、今というかけがえのない瞬間を味わいながら生きていく。
さて、
どんより曇り空の日曜日。
どんな日だって生きていることが奇跡だから。
今日の私にご褒美のような深い呼吸を。
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