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シャーロック・ホームズになった私の「鼠をめぐる冒険」

こんなことが起こるなんて!

何十年もの時を経て、なんと謎が解けたのだ。

「鼠」の謎が。

私は前回、記事を書くために村上春樹の『風の歌を聴け』を読んだ。ただ読んだだけじゃない、小学生だった自分に戻って読んだのだ。

あの日の私にタイムスリップして。

夏休みのある日、小学生だった私は自分の部屋へ行くと、買ってもらった文庫本を手に取った。

『風の歌を聴け◎村上春樹』

柔らかくて薄くて小さいその本のページをめくる。

一行目からよくわからなかったが、気にせず私は前に進む。分からない言葉や漢字が出てくる。いちいち立ち止まって、調べたりなんかしない。

飛ばしながら読んでいく。

だけど1つだけ、いくら私が飛ばしても無視しても、何度も何度も出てくる読めない漢字があった。

【鼠】

私はそれが人を指すということも、あだ名だと言うこともわかっていた。

ただ漢字が読めなかった。

高校生になってまた私は村上春樹を読むようになった。

『風を歌を聴け』
『1973年のピンボール』
『羊をめぐる冒険』

全部に「鼠」が出てくる。

私は「鼠」を「しゅうと」と読んでいた。ビールばかり飲むその人を「しゅうと」と。

高校生の私は「鼠」は「ねずみ」と読むと知っていたけれど「しゅうと」とも読んでいた。それにしても変なあだ名だなと思うくらいで、私の中ではそういうことになっていた。

高校を卒業後、数年経ってから私は『ダンス•ダンス•ダンス』を読んだ。しばらく村上春樹から離れていたが、この本をきっかけにまた『風の歌を聴け』に戻り『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』と読んでいった。その時の私は、ビール好きの彼のことを「ねずみ」とも「しゅうと」とも読まなくなっていた。私にとって「鼠」はただの記号。

多分私は、彼のあだ名が「ねずみ」だということをきっとどこかで知ったのだろう。だけど受け入れられなかった。だってずっと彼を「しゅうと」と呼んできたから。何で『鼠』をそう読んだのかは謎だったが、とくに知ろうとも思わなかった。あの頃の私はとにかく恋に勉強に忙しかったから。

しかし今、私はとても知りたい。

そして今、私には時間がある。

私はさっそくスマホで調べてみた。

「鼠、読み方」で検索してみた。
「ソ・ねずみ」と出てきた。

どこにも「しゅうと」とは書いてなかった。だよね。そんな気はしてた。

次に「しゅうと」で検索してみた。   

「舅」と出てきた。

この漢字を見て、私はビビっときた。

「鼠」「舅」似てる。

小学生だったら簡単に間違えそうだ。

今の私だってあやしい。

ここで疑問が起こる。

はたして、小学生の私はどうやって「鼠」から「しゅうと」に行きついたのだろうか?

「鼠をめぐる冒険」のはじまり。

私は机の前でシャーロック・ホームズみたいに推理してみた。

「鼠」が読めない小学生の私は、読まずに飛ばした。無視して読んでいった。でもその漢字は何度も何度も出てきた。ビールと同じくらい何度も。

さすがの私も気になり、仕方なくいったん本を横に置いて、調べることにした。

重い腰をあげた。

はて、小学生の私は「知らない漢字」に出会った時どうしてたのだろう?
スマホに頼りっぱなしの私はすぐに思い出すことができなかった。

国語辞典?
本棚にあったデイリーコンサイスを開いた。いや違う。これじゃない。これは「意味」がわからない時に使うものだ。やれやれ。いろいろ忘れている。

しばらく固まる。

目を閉じる。
もう一度タイムスリップ。

小学生だった私になって
自分の部屋に入ってみる。
自分の机が見える。
そばに行き、椅子に座る。
鉛筆。下敷き。プリント。
紙と鉛筆の芯のにおいがしてくる。
目の前に教科書が並んでいる。
その横にいつも何かあった。机にいつも置いてあった、いつも手に取っていた何か。机の主みたいな何か。

手を伸ばしてみる。

急に記憶が蘇る。

『漢字辞典』

私はその漢字辞典をはっきりと思い出すことができた。緑の外箱とそこに書かれている幾何学模様みたいな絵。薄オレンジ色の表紙はザラザラしている。その表紙を開くと抹茶アイスみたいな色で縁取られている『部首さくいん』のページ。

小学生以来見たことがないはずなのに、手に取るように思い出せた自分に驚く。

記憶って実は無くなることがないのかもしれないなぁ。しまってあるだけで。きっかけさえあれば取り出せる。確かにそんな話をどこかで聞いた気がする。なるほど。こうゆうことか。

全て記憶している。
全て記録してある。

一人ひとり生まれてから死ぬまで全ての記憶が1つも漏れることなく詰まっているとしたら、もしかして人間って途方もないスーパーコンピュータなんじゃない?量子コンピュータどころじゃない。

ただなかなか引き出せないだけで。

脳も宇宙もほとんど何もわかってないらしい。ロマンだ。

辞書を思い出しただけなのにここまで妄想する私。やれやれ。

話は戻って、漢字辞典。

確かに、小学生だった私はあの漢字辞典を使って何回も漢字を調べた。何回どころの騒ぎじゃない。忘れられないくらいそれはたくさん。

そうだ!漢字辞典だ!

確かなひらめき。これでいける。

だが、すぐに気がついた。今の私の本棚に漢字辞典はない。とっくにない。その存在を忘れていたくらい、ない。

あれから実家は三回引っ越しをしている。かなり多くの物を捨ててきた。
「さすがにもうないだろう」と思ったが、なんか引かれるものがあった。

「一応」と言い訳しながら、なんでも取っておく母のクローゼットをのぞいてみた。高い所に本がまとまって置いてあった。ホコリもたまっている。背伸びして一番手前の本を引き抜いてみた。ドドッと崩れる。ヤバい、アレルギーが始まっちゃうと思ったその時、目に飛び込んできた。

まさか!!!

『例解 学習漢字辞典』

嘘でしょ!!!

いたの?

ずっと会えてなかった旧友と突然再会できたうれしさで、私は胸がいっぱいになった。

まじまじと辞書を見る。

そんな名前だったのね。

背表紙は半分破れているが緑の外箱は健在。私が想像していた通りの辞書だった。これこれ。懐かしい。大きさや重さ、触感やにおい、触っているうちに一気に辞書を使って漢字を調べていたあの頃の自分を思い出した。何度も何度も使った。何度も何度も調べた。

表紙を開くと見開きいっぱいに『部首さくいん』が並んでいる。一画から十四画まで。これこれ。見ているうちにあの頃の自分にすっかり戻っていた。

もう満足だった。
この辞書を思い出し、再会できただけで。でも、せっかく見つけたのだから調べないわけにもいかない。

何十年ぶりの漢字辞典。
存在も使い方も忘れていた漢字辞典。

でも『部首』のページを見た途端、思い出した。

私は「鼠」を調べるとしたら、部首は「臼」だろうと思って、引いてみた。

期待が高まる。

ページをめくる指にも力が入った。

あった。

臼の部。

私は目が点になった。

なんとそこに載っていた漢字は1つだけだった。

「興」

はい、終了。

電光石火の幕切れ。

え?

こんなに期待させといて?

急に夢から覚めた。

お祭りの後の静けさ。

さっきまではしゃいでいた自分が恥ずかしい。

あの時使っていた懐かしの漢字辞典まで見つけたのに、奇跡が起こったのに、あっけなく終わるとは情けない。

あーあ。

いやいや。

ここであきらめるわけにはいかない。

もう一度シャーロック・ホームズになったつもりで推理してみよう。

この漢字辞典で辿りつけないとすると私はどうやって「鼠」に辿り着き、いかにして「しゅうと」と読むことになったのだろうか?

とにかくあの時代スマホがないのだ。漢字辞典に載ってないとすると私が頼るのは何だろう?浮かぶのは国語辞典だけれど、読み方も分からないのに?

とりあえず本棚にあった『デイリーコンサイス国語辞典』をもう一度見てみる。 

ひらがなの言葉が並んでいる。その下に漢字と意味が載っている。当たり前だけど、読めない漢字には何の役にも立たない。

だよね。知ってた。役回りが違うのだから仕方ないけど、つれない。

行き止まり。

もう何もやることがなくなった私は居ても立ってもいられず、また母の部屋に行った。

もう一度母のクローゼットを探る。本の一群の中にホコリを被った昔の国語辞書があった。緑の表紙でシミだらけ。この辞書の記憶はなかったけれど、かなり古いものなのできっとあの頃使っていたものなのだろう。

とりあえずその国語辞典を開いてみた。大きさは違うけれどそれ以外はさっきの国語辞書と変わらない。

だよね。国語辞典だもんね。

途方にくれながらパラパラめくってみる。辞書のにおいがする。デイリーコンサイスより紙は厚めだが指に吸い付いてくる感じが気持ちいい。昔はこうやって調べていたんだよなぁと思いながらどんどんめくっていった。最後のおまけみたいなところまで来ると「漢字難音訓表」というのが出てきて、画数ごとに漢字が並んでいた。

思い出した。

子供の時漢字を調べるといったら「部首」か「画数」だった。

「画数」

すっかり忘れていた。そうだ画数だ。私はさっそくあの懐かしの『例解 学習漢字辞典』に戻って、それらしい所を探した。

あった。

「総画さくいん」

いい感じ。

はて、「鼠」って何画?

あの頃の私は「鼠」の画数がすぐにわかったのだろうか?現在の私は全く分からなかった。自分で書いたら16画。16画の漢字を全部見たけれどなかった。

私はあきらめてスマホで調べた。

「鼠」は13画。はぁ。

あの頃の私は画数のエキスパートだったのだろう。書き順と画数は小学校の間中しつこく教えられたから。そして今、その両方とも私から抜け落ちてしまっている。

「総画さくいん」の13画の漢字を一つずつ見ていく。

なかった。

これは想定内。臼の部首で探した時もなかったし。

この学習漢字辞典は冒頭に「中学校を卒業するまではじゅうぶん使えるように考えてあります」と書いてあった。きっと中学校までには習わない漢字なのだろう。

「鼠」って漢字テストに出た記憶ないもん。

私は漢字辞典をあきらめて、古い国語辞典の「漢字難音訓表」を見ていく。文字が驚くほど小さい。黒ごまみたい。年のせいもあるけど、それだけじゃない。絶対に読ませる気がない。

「13画」の漢字を見ていく。

目がしばしばする。

でもあきらめずに粘り強く、指で確認しながら見ていく。

ページをめくる。

ない。

次のページを見ていく。

ない。

目がチカチカしてくる。

線舅艇

私の指が止まった。

「線」と「艇」の間にその漢字はあった。

「舅」

体が10センチ浮く。

ジャックポット。頭の中にコインがジャラジャラ溢れ出てきた。

「あった!あった!」

これを見つけた小学生の私は、飛びついたに違いない。

今の私だって飛びついた。

ただ現在の私は「舅」という漢字を知っていたから「鼠」じゃないって気づけただけで。

知らなかった小学生の私は、飛びついて、小躍りして、満足して、自信を持って、本に戻っていったはずだ。

とにかく字が小さいのだ。密度が過ぎる。ただの黒のかたまりにしか見えない。

あの時の私が「鼠」と見間違えたとしても、全くぜんぜん責められない。


【鼠】キュウ しゅうと


この瞬間から私の中で
「鼠」は「しゅうと」になったのだ。 

頭の中がスパークした。

全てがつながった。

脳ミソがスキップした。

鼠と舅 鼠舅

私らしい。

「そそっかしさ」と「思い込みの激しさ」はこの頃からだったのか。

全ては私の見間違いから起こった、間違いだったのね。やれやれ。

しかし長かった。昭和から持ち越された謎が平成を飛び越えて令和で解けるなんて。

謎が解けたうれしさを噛みしめる。
ジワジワと込み上げてくる。
ものすごい達成感。

顔がニヤける。YES!

もう十分に満足していたが、ハイになっていた私はついでにまだ出てきていない「鼠」も探してみることにした。

ゴマ粒の漢字を指で辿りながら、
一つひとつ目で追っていく。 

ない。ない。ない。ずーと、ない。

「もう無いのかも」

とあきらめかけたその瞬間、

 
見つけた。


一番最後にその漢字はあった。


「鼠」


こんな所にいたのね。
列の一番最後に隠れるみたいにいるなんて。シャイすぎる。

これじゃあ、見つけられないよ。

あの時の私がどうしても辿り着けなかった「鼠」。

ちゃんと「ねずみ」って書いてあった。

【鼠】ソ ねずみ

謎は解けたよワトソン君。

こうして私の「鼠をめぐる冒険」は終わった。

あの夏休み、辞書と格闘しながら私がこんな冒険をしてたなんて、知らなかった。そして、何十年後の夏、私がその冒険の続きをするなんて、思いもしなかった。

真夏の大冒険。

あっちに行ったりこっちに行ったり。夏休みの旅行くらいじゃ味わえない、見知らぬ国への旅だってどうだろう。

普段使ってない部分の脳ミソがニョキニョキ動き出す感じは似てるけど、タイムスリップした私は時空を超えた。

机の前にいただけなのに、こんな冒険ができるなんて!

シャーロック・ホームズの気持ちが、少しだけ分かった気がした。


こんな気持ちにさせてくれた、
変なあだ名のビールが好きな人。

ありがとう、鼠。

さて、謎も解けたし『風の歌を聴け』も読んだので『1973年のピンボール』と『羊をめぐる冒険』を久しぶりに読んでみようか。

はたして私は「鼠」をどうやって読むのだろうか? 

ねずみ?
しゅうと?

それとも、読まない?

まずはその前に冷たいビール。
謎を解いた自分に乾杯しよう。

あの頃の私はまだ知らないけれど、大人になった私はビール好きな人になっていた。

今なら鼠とあのバーで、
一緒に飲める自信がある。




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