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「観音菩薩になろうの会」のきほんのき② 観音さまに何でもお願いしてみようの巻
「観音菩薩活動ってやってみたいけど、難しそうだから私には無理だな」
私は友達の顔を二度見してしまった。
「えっ、やってみたかったの?」
「うん」
びっくりした。友人は全く興味ないものだと思っていたから。
やってみたいと思っているけど、できない理由が「難しい」だとしたら、それは私のせいだ。だって難しいことなんて何もないんだから。
観音菩薩活動のきほんのき【その2】
観音さまに何でもお願いしよう。
以上。
簡単でしょう?
観音さまの素晴らしい所は何でも全部観て聴いて、そして、かなえてくれるところ。嘘みたいな本当の話。
観音さまってとにかく太っ腹。
観音さまってマジですごい。
「嘘だぁ!」
「そんなこと言っちゃって大丈夫?」
「それはない!」
はい。聞こえます。ハッキリと。
「そんなことあるわけないじゃん。だったらこんなに苦労してないよ!」
はい。わかります、その気持ち。痛いほど。私は観音さまに命を助けてもらったことがある。見たこともある。なのにずっとそう思っていた。何十年もずっと。
願い事なんかかなわない。
叶えてなんかくれない。
願ったってしょうがない。
中学二年生の時、ママが心臓病の手術をした。あの当時それはとても難しい手術で、ママの前と後に手術を受けた人は亡くなった。なのであの時ママが亡くならなかったことは感謝してもしきれない。けれどこの日を境に私の人生は人生は激変した。私の子供時代は終わった。なぜならその日を境にママは以前のママではなくなってしまったから。
ママは損なわれてしまった。別人になってしまった。それが大量に飲んでいる薬から来る副作用だとわかるのは何年も先のこと。
私はあの日からずっと、ずっと、ずーと、観音さまに同じことをお願いした。
「元のママに戻してください」
私は以前のママに会いたかった。前の世界に戻りたかった。ママに甘えられる普通の親子の会話ができる日々に。
私はママはいつか必ず元に戻ると信じていた。今はトンネルの中にいるだけ。病気なんだからいつか治る。トンネルを抜ければいつか視界がパッとひらける。青空が広がる。あの頃に帰れる。また笑いあえる。私の大好きなママに会える。
けれど待っても待っても待っても、そんな日は来なかった。
私の中の観音さまに対する気持ちは徐々に薄れていったように思う。命を救ってもらった観音さまへの思いはなくならなかったけれど、気がつけば思い出話みたいにぼんやりしたものに変わっていた。
だからなのか、私は何かを真剣にお願いしたり、信じたりということ自体しなくなっていた。
3年前にママがあの世に行った。一緒にスーパーに行き、そこで動けなくなり、救急車で運ばれ、約2週間後に亡くなった。
「間に合わなかった」
その時私を埋め尽くしていた思いだ。
「間に合わなかった」
間に合わなかった
間に合わなかった
間に合わなかった
結局、ママは昔のママに戻らずに逝ってしまった。
結局、治せなかった。
何もできなかった。
私はママを治してあげたかった。病気になる前のママに戻してあげたかった。だからと言って積極的に動いたわけでもない。いや、何もしなかった。やったことと言えば、病気の本を読むことくらい。離れすぎず近づきすぎず、私がやっていたことと言えばただ奇跡みたいなものを待っていただけ。
映画みたいにある日突然あの頃のようなママになってることを夢見ていた。あの頃のママに戻ったら、私の悩みは一掃され、長いトンネルから抜け出せ。見渡す限りの青空が広がる。
そんなことはなかった。もちろん。
その前にママが死んじゃった。
ママが亡くなって家にお仏壇が出来た。ママと観音さまに手を合わせるのが私の日課になった。
その時からまた私と観音さまの関係が始まった。邂逅と言えばかっこいいが、これはママからのプレゼントだと思う。ママが亡くなる時、私の心に自然と湧いてきたのが観音さまだったから。ずっとそっぽを向いていた私なのに、辛い時に観音さまがサッと姿を現し、ずっと私と一緒にいてくれた。
それから3年、影に日向に私を支えてくれている。
今ならわかる。私の目が開いてなかっただけで、観音さまはず〜と私の中にいたのだ。
毎日毎日手を合わせるうちに、なんとなく見えてきた。もしかして観音さまは私の願いをかなえてくれていたんじゃないか。
私は割れた卵が元に戻るように、昔のママに戻して欲しいと願っていた。絶対に昔のママにまた会える。昔のママに戻りさえすれば、あの日々に戻れる、全て解決する、そう信じていた。でもそんなことは「私を17才に戻して下さい」とお願いするくらい無茶なことなのではないか。この世は無常。割れた卵を完全に元の卵に戻すなんていくら観音さまでもできない。この世界はそんなふうには成り立っていない。
そんなことにも気づかずバカの独りよがりみたいにずっと願っていた私。それが叶わず拗ねていた私。
「元のママに戻してください」
私はずっと無明だった。
私が「観音さまは願いをかなえてくれていた」とはっきり気づけたのは、ママが亡くなって2年が過ぎた頃、手を合わせていた時だった。
私の願いはかなわなかった。
私が思い描いた形では。
でも私の願いはかなっていた。
ママは元通りにはならなかったし、昔のまんまとはいかなかったけれど、深く深く考えていくと、私の願ったことはかなっていた。私が本当に願っていたことは結局の所、ママの幸せだったから。
私はずっとママは不幸でかわいそうな人だと思っていた。薬の副作用で人格を変えられたママはなんて不幸なんだろうと。私はあまりに近すぎた。手を合わせてママの人生を俯瞰してみれば、ママは決して不幸でなかったことが分かる。体と心の病気と共に自分の人生を精一杯楽しく生きた。病気に負けず、明るく、どんな時も楽しみを見つけて自分らしく生きた。決して不幸な人なんかではなかった。目の前のママを受け入れられず、そう思い込んで哀れんでいたのは私だ。
私はママが亡くなる前、入院中のママに電話でちょっとおどけて聞いてみた。
「ママの人生って幸せだった?」
「そうねぇ、いろんな所にも行けたし 幸せだったわねぇ」
明るい声でおどけたように答えてくれた。
毎日手を合わせるようになって、私と観音さまの関係が完全に戻った。何かあると私はとにかく観音さまにお願いするようになった。それこそ何でも。そして分かった。観音さまはやっぱり凄い。
観音さまはご存じなのだ。私も気づいていない、本当の願いを。そこを観て聴いて、かなえてくださる。私はこのことに気づいてから、もうお願いだけしたら、すっかり安心して、言ったそばから忘れていくようになった。だってお願いした時点でもうかなっているみたいなものだから。とにかくお願いすること。手を合わせること。これが大事。
観音菩薩活動のきほんのき【その2】
いつでもどこでも、何でも「お願い」しよう。そして、すっかり安心しよう。
以上。
ね、簡単でしょう?