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マイおばあちゃん物語。おばあちゃんと私のあちら側とこちら側。

私は一度だけ見たことがある。

霊?お化け?

否。おばあちゃん。

おばあちゃんがお遍路さんの白装束に身を包み、階段の途中に立ち、私に向かって笑顔で何度も何度もお辞儀をしていた。

それはおばあちゃんのお葬式の時だった。おばあちゃんが嫁いでからずっと暮らしてきた家でお葬式をした。喪服だけではまだ肌寒い4月。庭にはしだれ桜がちょうど見頃を迎えていた。

縁側がある窓もドアも全て開け放たれたスースーした家に入ると、おばあちゃんの遺影らしきものが目に入った。間違いなく黒い額に入っているので、遺影だとは思うのだけど、その写真の中の若い女の人を私は知らない。

私は誰に聞くというでもなく言っていた。

「誰?」

「おばあちゃんが20歳の時の写真だって」

先に来ていた従姉が答えてくれた。

初めて見る20歳のおばあちゃんは美人で、昔は近所で有名な美人さんだったというのも頷けた。だけど、ポイントはそこではない。遺影だよ?誰もこの違和感に気づいていないのだろうか?

私はまた誰にというでもなく聞いていた。

「あのさ、遺影って最近の写真じゃなくていいの?」

「おじちゃんが選んだんだって」

また従姉が教えてくれた。

奥の方からそのおじちゃんが現れた。焦燥しきっていた。

声をかけるのも憚られたが、私は聞かずにはいられなかった。

「おじちゃん、この写真ちょっと若すぎじゃない?」

「このかあちゃんが一番いいんだよぉ」

おじちゃんはうるさいといわんばかりに語気を強めて言った。

元来気性の激しい人だ。私はこれ以上ツッコんではならない事を悟った。

でも、と心の中でごちる。

写真の中のおばあちゃんと会ったことがある人ってここにいないし、そもそもおばあちゃんが二十歳の時ってまだ誰も生まれてないじゃん。

そんな遺影ってある?

でもさすがおじちゃんだ。こんな時まで一筋縄ではいかないなんて。

若くて美しい、でもまだどこか幼さも残るおばあちゃんの遺影を見つめながら、私はおばあちゃんの人生を想った。何も出来なかった自分を責めながら、私はおばあちゃんとおじちゃんのことをずっと考えていた。

目の前にいるおじちゃんはぼろ雑巾みたいだった。喪服どころか、もう長年洗ってないのではないかという汚いシャツがズボンからだらしなく出ていた。そのズボンから見えてる足は裸足で爪は真っ黒だった。首にかけてるタオルは全体的に茶色く、変な形に固まっていた。
長男のおじちゃんは喪主だった。

「おじちゃん、喪服着ないの?」

「そんなもん着れるかよー、かあちゃんが死んじゃったよぉー」

おじちゃんはそう言うといっそう泣いた。そして汚いタオルで涙を拭き、鼻をかんだ。

おじちゃんはこの家の問題児だった。おばあちゃんをさんざん泣かせ、家族を苦しめ続けた。

全てなぎ倒す大型台風みたいな人。

私は全部を知っているわけではない。でも小さい頃から見ていたし、聞いた話もあった。おじちゃんは暴れん坊だった。特におじちゃんが学生の時は酷かったらしい。家庭内暴力。なぜおじちゃんがそうなってしまったのか、私には分からない。

あまり触れてはいけない話。小さい時から聞いてはいけないことだとなんとなく分かっていた。たまに聞こえてくるおじちゃんの昔話は、話す人によって内容が違っていた。

私が知っているおじちゃんは、その頃から比べれば大分丸くなっていたはずだが、おばあちゃんに対してだけは両極端で、大事にしてる時もあったが、急に大声で怒鳴りだしおばあちゃんを罵倒していた。そんな時私達はただ傍観するばかりで何もできず、いつも心の中でおじちゃんを呪い、自分たちの無力さを呪った。

だけど私は1度だけおじちゃんに歯向かったことがある。

私は小さい時からよくおばあちゃん家に1人で泊まりにいっていた。一緒に寝る時はいつも、おばあちゃんが私の冷たい足を太ももで挟んで温めてくれた。私はそうされるのが大好きで、布団の中でぬくぬくと、おばあちゃんが話してくれる昔話を聞きながら、うれしくてうれしくておばあちゃんにしがみついていた。

ある日、私はいつものようにおばあちゃん家に1人で泊まりにいっていた。まだ3才だったけれど慣れたもので、朝から一緒にお経を唱えたり(手を合わせておばあちゃんの横でモゴモゴ言っていた)畑に行っては犬と一緒に仕事が終わるのを待っていた。私と同じくらいおばあちゃんのことが大好きなこの大きな犬は、畑までの道中いつも私を背に乗せ運んでくれた。

昼下がりだった。おばあちゃんは庭で何か作業をしていた。突然おじちゃんの怒鳴り声が辺り一面に響いた。振り返ると、激怒したおじちゃんが大声でわめきながら、おばあちゃんを叩こうと手を振り上げ近づいてきた。その瞬間、私は立ちはだかった。おじちゃんの前に立ち、腕を大の字に広げ、おじちゃんに食ってかかった。

「おばあちゃんになにをする!このひきょうもの!」

この武勇伝は何十年経ってもテッパンで、おばあちゃんとおじちゃんは繰り返し何度も私に話してくれた。おばあちゃんは「こんなに小さいのにおじちゃんに向かっていって‥‥‥」と言うともう泣いていた。おじちゃんは「あれにはおじちゃんも参ったなぁ」と言うと、いつも嬉しそうに目を細めた。

小学生の頃、一時期おばあちゃんと一緒に暮らしていた。いや、暮らしていたわけじゃない、おばあちゃんはおじちゃんから身を隠すために子供たちの家を転々としていた。 

ある日、突然おじちゃんが車で家にやってきた。学校から帰ってきて、おばあちゃんとママとゆっくりしていた私は慌てた。小学2年生だったけれど事情を理解していた。おばあちゃんを押し入れに隠すとおじちゃんを家に入れた。私はおじちゃんに一生懸命話しかけた。おじちゃんにおねだりして、自慢の外車に乗せてもらい、おもちゃ屋に連れて行ってもらった。私はお人形を買ってもらった。一緒に行った弟も何か買ってもらった。しかし、超合金の合体ロボットが’欲しかった弟はそのおもちゃを買ってもらえず、大泣きして暴れ、おじちゃん自慢の車のダッシュボードを蹴りまくって、壊した。

「許して。わかった。買ってあげるから。さすが男の子だなぁ」

おじちゃんは猫なで声で言うと、弟の機嫌を伺った。そしてうれしそうに言った。

「しょうがねーなぁ」

独身で子供がいないおじちゃんにとって、たった一人の甥っ子の弟は最後まで特別な存在だった。姪っ子を呼ぶ時は私も含め、全員呼び捨てだったけれど、弟だけ君付けだった。そしていつも目を細め、弟を褒めた。

私はダッシュボードを壊されても怒らないおじちゃんを不思議な気持ちで見ていた。

おばあちゃんの逃亡がどのくらい続いたのかわからないが、気がつけば、田舎に戻って畑をやりながら、おじちゃんの仕事を手伝わされていた。おじちゃんが社長でおばあちゃんが社員。おじちゃんはいつも「おばあちゃんは社長のように威張っているんだ」と言っていたけど、仕事の受注と伝票整理などの事務作業を全部おばあちゃんが1人でやっていた。いつでも電話を受けられるようにと、炊飯器くらい大きなケータイ電話を持たされ、それを肩にかけながら、農作業をやっていた。

おばあちゃんはいつも言っていた。

「おばあちゃんは一銭だっておじちゃんからお金をもらったことがないよ。おじちゃんはケチでケチでしょうがない」

おばあちゃんはパチンコが好きだった。私の家に遊びに来た時は一緒に駅前のパチンコ屋さんに行った。田舎でもおばあちゃんは自転車を漕いでわざわざ町まで行き、時々パチンコを楽しんでいた。

ある日、おじちゃんがパチンコ台を買って帰ってきた。パチンコ屋さんにあるちゃんとしたパチンコ台。それも2台。自転車は危ないから、これで遊べということらしい。

おばあちゃんは言った。

「家でやったってちっとも楽しくなんかないよ」

パチンコ台がすぐに孫たちのおもちゃになったのは言うまでもない。

ある夏の日、おばあちゃんは畑で倒れた。野菜の間に埋もれていたので、見つかるまでに半日かかった。脳梗塞だった。言語障害はなかったが、手足に麻痺が残り、今までのようには暮らせなくなった。

おばあちゃんにはおじちゃん以外に3人の子供がいた。みんな「私が引き取って一緒に暮らす」と言った。家事を一切やったことのないおじちゃんに介護など出来るわけないし、みんな内心おじちゃんからおばあちゃんを引き離す良いチャンスだと思っていた。

でも、おじちゃんはおばあちゃんを手放さなかった。独占した。おじちゃんは仕事を辞め、フルタイムでおばあちゃんの介護をするようになった。といっても清潔や快適とは程遠い介護だっだ。みんな思う所はあったが誰も何も言えなかった。おじちゃんの気性は相変わらずだったから。

それまで毎年やっていたお正月、お盆の集まりは無くなった。おばあちゃんを心配して顔を出すと、足の踏み場もない汚い部屋でおばあちゃんはおじちゃんと一緒にいた。

私が遊びに行った時、おばあちゃんは大好きな相撲を見ていた。私に好きな力士の事をうれしそうに話してくれた。私が「うんうん」と聞いていると、いきなりおばあちゃんがおじちゃんに叫んだ。

「トイレ」

おじちゃんはいそいそとおばあちゃんを介助しながらトイレに連れて行った。昔からだったけれど、おばあちゃんもなかなか負けていない。

ものすごく汚い部屋だけれど、うちに来て狭い家で気を使いながら生活するより、慣れ親しんだ自分の家にいる方が、おばあちゃんにとって自由で幸せなのかもしれないと思った。それに、おじちゃんにとってこれは神様がくれた贖罪のチャンスなのではないかと思った。あのままおばあちゃんが死んでいたら、おじちゃんは謝るチャンスさえなかったんだから。

しかし、そんな簡単な話ではなかった。

おばあちゃんが倒れてから約20年、89才で亡くなるまで、おばあちゃんはおじちゃんと2人で暮らした。おじちゃんはその間ずっとおばあちゃんの介護をした。その間2人に起こったことのほとんどを私は知らない。ただ入院した時、おばあちゃんの体に痣があったとおばちゃんが教えてくれた。私はお見舞いに行った時、おばあちゃんに「おじちゃんに虐待されてるの?」と聞きたかったけれど、聞けなかった。おばあちゃんは私からそんなことを、聞かれたくないだろうと思ったし、心の声も私に繰り返し言っていたから。

「今更何言ってるの?」

私の怒りはママやおばちゃん、一番下のおじちゃんに向けられた。なんで何もしないの?私はおばあちゃんを安全で清潔な施設に入れたかった。どうしたらそうできるか、どうしたらあのおじちゃんから離すことが出来るかいろいろ調べた。しかし結局何もしなかった。できなかった。

入院中のおばあちゃんが言った。

「早く家に帰りたい」

切り取った一部分だけを見て騒いでいる私には到底分かることなどできない深く重く強い何かがそこにはあった。不格好で歪で目を逸らしたくなるような家族の、親子の形を私はまだ受け入れることができなかった。愛憎という言葉が何度も浮かんだ。

おばあちゃんが亡くなった。一番泣いたのはおじちゃんだった。私はそのおじちゃんを横目に、おばあちゃんの人生を想い、自分を責めた。

何かもっとできたんじゃないか?

人が亡くなった時、どうしょうもない気持ちになるのは、その人の人生が不幸だったと思う時ではないだろうか。おばあちゃんの人生を考える時、もしおじちゃんがいなければ、おばあちゃんはどれほど楽で幸せな人生だったかと思わずにはいられなかった。もしおじちゃんがいなければ、この家族の誰もひどい目にあわず、傷つかず、苦労しないで済んだのではないか。私はおじちゃんを恨めしく思った。

しかし、目の前で泣きじゃくって魂が抜けたようになっているおじちゃんを見れば、嫌でもわかった。一番苦しんで生きてきたのはおじちゃんだ。私には、大きなトゲが刺さって「痛い痛い」と叫びながらのたうち回っているおじちゃんが見えた。その度にまわりを傷つけ、嫌われ、みんなおじちゃんから逃げていった。最後まで一緒にいたのは、おばあちゃんだけだった。

お母さんその人ただひとり。

それもおじちゃんがしがみついて離さなかったからだ。
どれほど孤独だったのだろう。

二十歳のおばあちゃんの遺影を見つめながら、その前で泣いているおじちゃんの背中をを見つめながら、どうしようもない、どうにもならない思いが溢れ出た。後悔と怒りと諦念。

無力感が私を襲った。

その時だった。

おばあちゃんが現れた。

白装束を着て、右手に杖を持っていた。階段を登る途中で私の方に振り向いて、何度も何度も微笑みながらお辞儀をしている。

ぼんやりとか、半分透けてとかそんなレベルではなかった。はっきり、くっきり、そのまんまのおばあちゃんがそこにいた。

私は自分の目を疑った。何度も瞬きをした。あまりにもリアルだったので、みんなにも見えているはずだと思ってまわりを見渡したが、誰も気づいていなかった。みんなただぼんやりと祭壇を見つめていた。私は涙を拭き、何度も何度も確かめた。何度見てもおばあちゃんはそこにいて、私にお辞儀をしてくれていた。見えているのは私だけだと分かるのに、少し時間がかかった。

本当に幸せそうな晴れ晴れしてるおばあちゃんを見て私は思った。

「おばあちゃんは自分の使命を果たし自由になったんだ」

その瞬間、自分の考えの薄っぺらさに気づいた。おじちゃんを排除すればおばあちゃんは幸せだったという私の短絡的な考えは間違っている。そんな簡単な話であるはずがない。絡まった糸を断ち切れば問題が解決するなんて、それは物語の中だけだ。どんな問題でもそれだけが独立して起こっているなんてことは無い。全ては複雑な網のように絡みあい繋がっている。

おばあちゃんの姿は教えてくれた。

生きている時が全てではないということ。

人には自分では選べない与えられた使命があるということ。

陽光を浴びて微笑みなからお辞儀をしているおばあちゃんは、喜びと慈悲に溢れていた。

どす黒い鉛のような私の気持ちは、気がつけば雲散霧消していた。

今回これを書いていて私は思った。
もしかしたらこれ全部私が作り出した幻覚なのでは?と。
自分が救われたいから、自分の脳が作りだしたプロジェクションマッピングなのかもしれないと。
全部自分がいいように納得するために私が作ったこじつけじゃないの?と。

私の気持ちが一瞬で安らいだのだから、その可能性は大だ。

それは否定できないけれど私はやっぱり、おばあちゃんが私を安心させるために「出て」きてくれたのだと思う。だってあのおばあちゃんの笑顔は私が今まで見てきたどの笑顔とも違っていたから。

その晴れやかな微笑みは私に言ってくれていた。

「泣かないで」
「責めないで」

ママに聞いたことがある。

「おばあちゃんの人生は幸せだったと思う?」

「孫に囲まれて楽しい時間を過ごしたおばあちゃんは幸せだったわよ」

孫がいないママが私に言った。

人生は幸せだけ、とか、不幸だけ、ということはない。そんな簡単に2つに分けることは出来ない。私は人生のマイナス面ばかりを見すぎるのかもしれない。おばあちゃんの出現はそんな私を救ってくれた。

おばあちゃんの澄み切った笑顔を見ることができた私は、おばあちゃんの人生を、死を、受け入れることができた。

ものすごく前向きな気持ちになれた。

輪廻転生とか来世のことはよくわからない。あの世の事もよくわからない。でもお遍路さんのおばあちゃんは私に教えてくれた。

この世界は死んで終わりじゃないということを。

前からそうだろうとは思っていたが、あそこまではっきり見てしまうと、否定しようがない。不思議という感じもしない。

だからママが亡くなった時、私はものすごく期待した。お葬式の間中ずっとキョロキョロしていた。でも「出て」きてくれなかった。全然現れなかった。

残念なことに、霊?お化け?が見えたのはあの時だけ。1回きりだ。

おじちゃんが去年亡くなった。
あの問題児のおじちゃんが。
おばあちゃんが亡くなってから、おじちゃんはあの田舎の家でロビンソンクルーソーみたいに暮らしていた。

今私は毎日、おばあちゃん、おじいちゃん、ママ、おじちゃんに手を合わせている。

手を合わせる時、毎回思うことがある。

あっちで仲良くしてるかな?

みんな個性が強かったから、それぞれ自由に好きなコトをやっている気がする。

おばあちゃんはお遍路さんで四国八十八ヶ所巡りをしている。
もう何周しただろう?

友達は「もうとっくにいないよ」と言っていたけど、私は「いる」と思っている。私の中でおばあちゃんはフォーエバーお遍路さん。

私もいつかお遍路さんをしに四国へ行く。

その時また会えるかな?
霊の、お化けの、白装束のおばあちゃんに。

その時は遠慮なく「出て」きてよね。

驚いたりしないから。

よろしくね、おばあちゃん。














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