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導かれる絵、みてしまったものーエドガー・ドガ 「洗濯女(逆光)」

こんにちは。パリ郊外在住の作者が、美術館で運命的な一期一会の出会いを遂げた作品について歴史や解説を踏まえつつ、自由に気軽に、時には脱線しながら綴る美術エッセイです。 マガジンのタイトル「カルト・ブランシュ(Carte blanche)」とはフランス語で「白紙(全権)委任」の意。レストランの「おまかせメニュー」のように自由度の高いクリエイションの表現として使うことの多い言葉です。



いまオルセー美術館はドガ三昧

上半期のオルセー美術館で最も堪能できる画家のひとりはエドワード・ドガである。常設展、さらに現在二つの企画展のおかげで彼の本物の作品をたっぷりこの目で楽しめる機会だ。今までごく限られた作品しか観てこれなかったが、世界から企画展のために集結している作品を観るとよりその作家の面白さを感じる。そのおかげで、うっかり言うなれば「ドガ沼」にハマってしまった。

常設のフロアにあるドガの作品といえば「青い踊り子たち」をはじめとするバレリーナの絵が有名だが、今回私を「沼」へと導いたのは、「洗濯女シリーズ」のひとつ、「Blanchisseuse (silhouette)洗濯女(逆光)」(1873年)だ。

Blanchisseuse (silhouette) / Edgar Gegas (1873) 

華やかなバレエ界を描いたかと思えば、洗濯屋で働く女性を描いた。
バレリーナという題材は当時から彼の作品の中でも人気でよく売れ注文も多かった。この洗濯女シリーズは、全14点と同じテーマをよく描いていたドガの作品の中でもさほど多いとは言えない。多分題材からして地味なのでバレリーナの絵のようには売れなかったのだろう。それらのいくつかが現在オルセー美術館の両企画展で集められまとめて鑑賞できる機会になっている。

逆光でほぼシルエットになっている女性の手元で動くアイロン。無心に作業する女性の動き、狭い作業場の湿度や熱気。黙々と仕事をする女性の姿がリアリティをもって伝わってくる。
天井にかけられた布や衣類はこれからアイロンを施すものなのかはわからないが、その作業の量と労働時間を感じる。
下級層の社会の女たちを見つめる彼の視線。当時のフランス、パリでは洗濯は外部に頼むことが多かった。その仕事を担うのは主に女性で、2〜3割の女性がこのような洗濯業に従事していたという。

この絵で彼は何かを伝えたいのか、なぜ洗濯をするに女性にこだわって何枚もの洗濯女を描いたのだろうか。

ドガが目指した芸術とは

ドガに画家の道を推し進めた出会いと言葉がある。21歳だった彼は巨匠アングルと出会う。ドガはアングルに恥ずかしそうに、そして一世一代の想いで「画家になりたい」と告白する。するとアングルは「記憶や自然から、たくさんの線を作りなさい」と助言したという。若きドガはこの言葉をあたかも福音として受け止めた。


また、ドガの手記にはこう記されている

インスピレーション、自発性、気質など、私にとっては未知のものだ。同じ題材を10回、100回とやり直さなければならない。芸術には、偶然に似たものはないはずだ。

同じ題材を幾度も描くこと。何かを見出そうとする姿勢。直感やその時の偶発性というものには頼らない芸術の道のり。

アングルの言葉に忠誠を尽くす形で、描いて描いて、描きまくる、同じ題材に向かう執念と知で芸術を模索した。ドガの真摯で執念深い気質が感じられる。

ドガは今日でも印象派の画家のひとりと言われているが、本人はそれを嫌い、「独立派」と呼称を変更しようと試みた。
確かに彼は印象派一派と言われながらも屋外制作はほとんどしていないし、いわゆる印象派とは一線を画していることは、オルセー美術館の印象派フロアを歩いていてもよくわかる。

「なんて顔!」「なぜこのシーンを描く?」

オルセー美術館で開催中の企画展「マネ・ドガ展」へ行きマネの作品と一緒に展示されているドガの作品を目にしたときの第一印象だ。
例えば人物画も両者の描くものは一目瞭然でその違いがわかる。
ドガよりも年上で先輩のマネの絵は目がキラキラとしていたり、正面を見つめている、素直な表情である。当時はクライアントに依頼されて肖像画を描いていたのだから、「よくみせる」ように描くことで、客を満足させるということはある意味当たり前のことだ。
悪く言えば、正直マネの絵はドガの絵の横に並べられると「教科書通りのお手本」の絵に見えてしまう。

一方ドガの絵に登場する人々の表情は心の中までもを見抜いたようななんとも言葉では形容しがたい表情をしている。画家に向かい、よくみせようとしているモデルの卑しい心を見透かし、つくられた表情を崩したほんの一瞬の無表情やモデルが望まないような表情を捉えているようだ。それは、ふと誰にも見られていないときにしてしまうようなどんよりとした表情だったり、どこか焦点の合っていないような、宙を彷徨う目線、悲しそうだったりぼんやりとした表情。一人の時にしているような無表情、その人物の何も装っていない本音の表情。
それを絵に暴き出そうと試みているドガの観察眼の力を思い知らされた。

想像を掻き立てられる絵

さらにドガの絵には、「絵のその奥にあるもの」「絵には描かれていないストーリーのようなもの」を感じる。観るものに想像、妄想の扉を開けさせるような絵。この逆光で描かれたアイロンをする女性の絵に限らず、ドガの描く人物は、感情を捉えにくい。うつむいていたり、後ろを向いている絵も多い。だからこそ想像を掻き立てられる。このアイロンをする女性も、もしかしたら鼻歌を口ずさんでいるかもしれない。いや、イライラしているかもしれない。彼女の首筋を汗がつたっているだろうか。額には汗で垂れたおくれ毛が肌にぴたりと貼りつき、暑さにうんざりしながら終わりのない仕事をこなしている。もしくは涼やかな気持ちで画面の外にいる仲間と会話をしているのかもしれない。気がつけば私は一枚の絵から物語を紡ぎだせるのではと思うほど想像を膨らませていた。

しかし同時にふと我にかえる自分がいる。そして絵の前で戸惑うことになる。
「でも本当は私は何を見ているのだろう」と。
それは絵の奥からのドガの声のようにも聞こえる。
「君はこの絵に何を見たのかい」と。

ドガの墓へ

不思議なことに、幾つもの解説文や動画、ドガ自身の残した言葉を集めたとしてもなかなか彼のことをすとんと飲み込めない。それゆえ余計に気になってしまう。すっかり足は沼に浸かってしまっていた。

美術館の外に出た時、私は彼が残した絵画というアイロニックで迷宮的で難解だけれども、真実の世界へ通じるの入り口の前で、観てはいけないものを観てしまった、あるいはその先に気づかないほうがよかったことに気づいてしまったような気がして、罪悪感にも似た気持ちで胸の鼓動が高まっていることに気づいた。どうしようもなくドキドキしていた。絵を観てここまで動揺した経験は過去にあっただろうか。

その時、とっさに私は「彼に会いに行ってみよう」と思った。その「動揺」の中で、まるで彼に呼ばれたような気がするほどだ。もちろんこんな衝動を感じた画家は初めてだった。どうにもならないこの思いの終着点にたどり着きたい、藁にもすがりたいような気持ちになっていた。

彼が眠るのはパリの北西のモンマルトル墓地。高い木々に囲まれ、ひんやりと涼しい木蔭を歩いた。

モンマルトル墓地

彼の墓、ド・ガス家の墓は入り口からゆっくり5分ほど歩き、頼りない数段の階段を登った後にある一角にあった。びっしりと墓が並ぶ中、方向感覚がひどい私がたどり着いたことが不思議なくらいだった。

ドガス家の墓

そこには思わず笑って拍子抜けしてしまう、画家の墓にしてはゆるいレリーフが施されていた。鉄の扉のついた一家の墓。この扉の奥に彼は眠ってるいるのだ。扉の前にはメッセージの入ったバレエシューズが供えられていた。

墓の扉につけられたドガのレリーフ

そのレリーフの気の抜け具合に、私も気持ちが少しほぐれたのか、思わずそっとそれを手で触れてみた。するとその時、重くしっかりと閉ざされていると想像していた扉はいとも簡単に動き、開いていった。
私はとっさに手を引っ込めた。扉が開くとは思っていなかったし、開いたその奥にあるものを目にする心構えは全くできていなかったからだ。
扉は再びそっと閉まった。
私は一刻も早くこの場を去りたかった。そして静かに、けれど逃げるように墓を後にした。胸の動悸はおさまらないままに。

あの扉はいつも開いているのだろうか。彼がこんな私の心を見透かし、いたずら心で翻弄しているような気さえした。

そしてしばらくして、動悸とともにともに気持ちが落ち着いてきた時に気がついた。あぁ、私はまだ彼の絵と同じようにその「奥」や「闇」への扉を開ける覚悟が出来ていないのかもしれない、と。

ドガの絵の奥にあるもの

この一連の体験を経て、実際に本物の彼の作品に向き合うと、最初の印象とは違う、また動画サイトの解説、数ある解説本などでそれぞれの解説者の視点を通してみるのとは違うドガが見えてきた。
アクの強い性格や、バレリーナシリーズに中年男性を登場させる作品などが注目されて、変態性や奇人という印象が先行してきたが、実際に感じるのは、社会や人間のより奥深く、その内面を描こうとするしつこいくらいに写実的な姿勢だった。

カメラに向かってにっこりと笑顔でポーズをとるような写真の「違和感」「虚構性」は彼の世界では通用しない。ドガという恐ろしいくらいに現実を我々の心に突きつけてくるレンズを通して世界を見る覚悟を強いられる。

人間の奥底の心理を捉えようという視線、「みられたくないものをみられてしまう」という羞恥心にも似たもの、それを暴こうとする彼の挑戦。描く側と描かれる側の心理がせめぎ合う様子が想像できる。

ドガは世間からも変わり者のレッテルを貼られ、あの印象派のみならず、フランス国民の意見を二分した「ドレフュス事件」の際にも印象派仲間と分断を起こし、調和のとれた人間関係からは程遠い人生を送った 。
しかし、芸術においての彼の芯の通った姿勢に私はその見てしまう苦しみ、表現せざるを得なかった苦しみをも含めて共感できるところがある。一度見たものを誤魔化したり、見なかったことにするなど自分に嘘をつけない性格。時にそれは人間社会人においては調和を乱すことになる。しかしそんな彼のまっすぐな気持ちに憧れを感じる、一言では言えないシンパシーを絵から感じられる気がした。


最後にドガ の人生を感じさせる言葉を二つ記して締めくくることにする。

「デッサンとはかたち(フォルム)ではない。それはかたち(フォルム)の見方なのだ」

「なぜ私は結婚しなかったのでしょう。妻が私の絵を見て、『素敵ね』と言うのが怖かったからです。愛があり、絵がある。しかし、私たちの心はひとつしかないのです。」

結婚よりも芸術を選んだと言えるこの発言。嘘を許せないドガ。愛の領域で真実を失う恐ろしさ。
ドガは芸術を通して人間と社会の真の世界をみつめていたかった。人生をかけて嘘や偽りや世間体といったエゴのない世界の存在とそれらを見極める眼を持つことの大切さを我々に知らせてくれているように思う。


墓にまで導かれた沼の中で見えた彼の吸引力。その後も作品を観なおそうとオルセーへ通った。彼の絵は相変わらずアイロニックに、少し意地悪に私に向かって笑っているような気がする。


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